さきこさんに、


『立ち止まる』という大切さを教えて貰って



いつからか、


『立ち止まらない』ことの方が難しくなった。






立ち止まることが作ってくれる余白が


私にはとても必要で、



それがないと望まない言動をして


それにのまれたり


動き続けて電池切れになるまで


消耗に気づかない



そんな風になる。








朝の時間の散歩はほんとうに無になれる







今朝、息子が



レンタサイクルを返却場所じゃない所へ返却



というやらかしをしてくれたおかげで、



久々に朝日の差し昇る中



朝の散歩ができた。








そんな息子の尻拭いも、またおかし。笑






無になる時間を過ごしていると、




内側から、シュワシュワ〜🫧✨)



湧くというより



湧かずにはいられない、という感じのそれ。





それが何度もやってくる。














そして、



思い出す。





無になる時間の真価。





私が、本来身を置くべき場所



本来の魂目線という身の置き場。





本来のゼロベースの私と




肉体の私の会話が始まって




たくさんの本質の願いを思い出す。















こういう時間を持つと、


なんというか『その後の時間の質』が


変わってくるし、



何より



•••うん




言葉にし尽くせない拡がりが



内側からどこまでも広がっているのを



感じて、思い出すのだ。





それが、いいのだ。














目には見えないし



聞こえない。






でも確かにあるそれを




見ようとしなければ




聴こうとしなければ




ない世界で生きてるのと変わらない。

















毎日、毎瞬


目を開いて生きるために


私は立ち止まるのだ♡