自分に、時間やお金を掛けること


=自分を大切にする


だと思っていた。



今もそういうところがある。





けど、掛けてると気づき始める。




自分は、掛けたものの内に


つまり、受け取ったものの内に


不満を見ているのか


満足を見ているのか





前者なら、掛けても掛けても満足しない上に


もっと、掛けないと!


と常に足りない飢餓状態に。








後者なら。



そもそもそもそもで、不足を埋める為に


掛けてるわけじゃないので


基本満足+で


何からでも豊かに受け取る器が

満足を見出す。







本当に足りてないならまだしも、


欠乏感というのは


本当に厄介だ。







本当に『足りない』を

創り出すんだから。










最近、前から入ってみたかった


街角に佇むカフェバーへ入った。





ヨーロッパの街角を思わせる


雰囲気の良い佇まいに


通るたびに気になっていたお店。





入ってすぐに希望の席に着いたのだが


選んだソファの座り心地が、


思った程ではなかったことに気づく。





さらに、自然豊かな緑のすぐそばで


窓を開放してるので仕方がないが、


窓際にハエが数匹、音を立てて飛び交っている。






これは、マズい。


そう感じ始めウキウキした気持ちが一転、


イマイチゲージが加算されてゆく。





そんな時に

このブログを書き始め、視点が変わった。




そうだった


そうだった、と。






(私は何を見出してこのカフェに入ったのだ?)


(私は何を味わいたくて、入った?)


そしたら、最初に感じた不満を超えて


素敵なところが見えて来た。







こだわりの内装。


イタリアをイメージした工夫


品のいい音楽



そして何より、うっかり頼んだピッツァが


とても美味しかったのだ。


カリッふわっとしてほんのり塩味の効いた生地に


みずみずしいソースのマルゲリータ。


ニンニクの風味がほんのり香り、とても美味しかった。


お茶するために入ったけれど、


更に他の種類も食べたくなった。











おそらく、『ブログを書く(本質に還る)』
を挟まなければ



イマイチゲージが最高潮に振り切ったまま、

赤点だけが加算されていっただろう。





こだわりの内装。


イタリアをイメージした工夫


品のいい音楽



そして何より、うっかり頼んだピッツァが


とても美味しかったのだ。


カリッふわっとしてほんのり塩味の効いた生地に


みずみずしいソースのマルゲリータ。


ニンニクの風味がほんのり香り、とても美味しかった。


お茶するために入ったけれど、


更に他の種類も食べたくなった。





これらに気づかぬばかりか、



気づいたとてそこに赤点を見出すことが更に上手になって、



イマイチだった



期待外れだった



2度目はないな




そんな感想を残し満足していただろう。












先日のブログにも通じるけれど




『批評家』なる生き方なんかまっぴらだ、



と折に触れ思う。







いっぱしの評価者にでもなったつもりで



目の前の人やお店やサービスなんかを


あーだこーだと評価しては文句を連ねる。






何様やねん。笑





ある時


自分が、そんなことをしょっちゅう
していたことに気づいてしまった。


なんてオソロシクつまらなく、
品のない生き方かと思った。




何様やねん。笑

と思った。






自分は世界に差し出さず


差し出す工夫もせずに


お金と引き換えに得たものを


当然のようにあーだこーだと



もしくは、お金さえ出してない上に


ヨソの誰かがエネルギーを掛けた


創造物やサービスやらに対して


さも当然の権利かのように


あーだこーだと文句を垂れる。




本当に下品な生き方だ。














大体、その不満は


往々にして


自分自身への不満。




その程度しか受け取れない、


自分への不満。




文句垂れる暇があったら、


受け取る器を疑う方が100倍も


有意義な生き方ができる♡



と今は思う。






そういうことにも気づかせてくれる、


感謝ワーク



そして


今すぐ勝手に幸せで在る


設定変更ってやっぱり面白い。



結局、、設定変更推し記事になった🤣