どっかできいた話

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「塩さん、まだガラケーなんですかぁ?」


後輩が言うには、僕の携帯電話は『ガラケー』らしい。




ガラケーってのは耳を通過したことがあったけど、最近ようやく理解したところだ。

ま、理解したところで「知るかボケっ」というセリフしか出てこないけれど。



少しわかりにくい表現になっちゃうかもしれないけれど、自分自身の携帯がガラケーって言われていることを把握できていないからこその「ガラパゴス」というもんだろう。



あそこに住んでるイグアナは自分がどのくらい珍しいかどうかなんて知る由もないし、どうだっていいことだ。





昔付き合っていた彼女がこんなことを言っていたのを思い出した。



「あ~あたし、トキだけには生まれ変わりたくないなぁ~」


「なんで?」


「だってさ、絶滅しそうとかいうだけのことで、ガチガチに管理されて生きるのやだよ」


「そりゃ仕方ないじゃん。絶滅しそうなんだから大切に保護するでしょ」


「それは知ったこっちゃなくない?あたしは普通に”いちトキ”としての生涯を自由にまっとうしたいのにさ」


「…すごいトキ目線だね。でも近くに仲間はいないんだよ」


「いいよ。まわりにあたしの仲間がいないなんてことは気づいてもいないんだからさ」


「相手がいなけりゃ子孫も残せないんだよ」


「そりゃそのときになって思うことだし、見つからなければそれはそれで何とも思わないだろうしさ」


「そういう風に思うのかな」


「とりあえず自由にエサとって、自由に飛んでいたいの」


「……」


「それで何とかタマゴ産んだとしてさ。あたしが産んだタマゴもあたしが温めるし。勝手にあたしのタマゴを取り上げて、勝手にぬく~い綿の上とかで温めないでよ」


「……いや、数を増やすためには大切にフ化させないと」


「あたしのタマゴなんだからあたしにやらせてよ。それでダメだったらそれはそれで仕方ないんだし」


「…………」


「残されたあたしやその他の数匹に、トキのこれまでの歴史や、人間の罪滅ぼしをのっけないでよね」







進化をみんなでチョットずつサボってきたのだから、絶滅の際っきわになってから、その世代だけに責任を負わすなっていうことを言いたかったのだと思う。








お酒が入って楽しい時間でした。












冬の夜にそんな昔のことを思い出していたら、孤島暮らしのさみしさが足元からつたってきました。





このまま絶滅するか、それとも島を抜け出す時が来るのやら……。















先日、帰りの電車のなかで手帳をひらくと、メモの欄にこんな文言が殴り書いてあった。



「それはソムリエの田崎シンヤがビックル飲みながら『何だかんだでこれが一番』って言ってるようなもんだ」


……奇天烈怪奇、意味不明だ。



何のためにどんなことを思って書き記したのか、さっぱり見当がつかない。








独り暮らしを始めてからもう10年近く経つが、きっかけはひょんなことだったように記憶している。


僕は社会人になってからもしばらく両親と一緒に住んでいた。


実家は都心から近く便利で、わざわざ別の場所に住む理由がなかったからだ。



ある日、着替えをしながらタンスをまさぐっていると、あるはずのTシャツが見当たらない。


イラついて「あのTシャツどこへしまったんだ」と母親に聞こうとしたとき、僕はふと思った。




「自分でしまっていないから、わからないんじゃないか?」



毎日、汚れた衣類をカゴの中に入れるだけ。


そうして次の日にはきちんとたたまれてタンスにしまってある生活。





茫然と立ち尽くし、血の気がひいていく。


現状の生ぬるさにひいていく。


気づくのが遅すぎる鈍さにひいていく。




『引』 越しとはよく言ったもんだ。


それから2週間後には、新居に新しいカーテンをひいていた。






話は戻って、近頃 『記憶力』 の衰えをものすごく感じる。


もの覚えの良さには自信があったのに。


恥ずかしながらここのプロフィールにも書いてしまっているが、数少ない「ちょっと自慢できること」だった。




そんな記憶力が変化したのは、今年から手帳を使うようになったことに原因があると踏んでいる。





僕は社会人になってから手帳を使わなくなった。



というのも、社会人になってからの用事は大切なことだらけだからだ。


「そんな大事なもん忘れっこない」が僕の考え方。


こまごまとあるしょうもない用事は憶えられないから、学生時代は手帳をつけていた。



仕事の日付や時間は正確に記憶することができ、

ひらめいたことや、その日起きた出来事はいろいろな人と話をする中で頭に刷り込んだ。



たまに忘れることもあるが、「忘れるくらいのもんは、その程度のもん」で片付ける。



そうすることで本当にいるものいらないものは勝手に淘汰されていくのだ。



記憶するメカニズムを喩えるのに、タンスというか「引き出し」を使われることがあるが、それで言うと僕のタンスはきちんと整理整頓されている方だと思う。


記憶はしまう作業が肝心だ。


その時の印象・事がらの「見出し」を見えやすいように丁寧に折りたたむ。


なるべく同じ色彩で、重ねずに並べる。


明確に整理しているおかげで、瞬時に的確な記憶を取り出すことができた。






……それが手帳を使い始めたらこのざまだ。


安易に手帳に寄りかかるから、記憶する作業を狂わせることになる。



便利な余白、スペースは、物を停滞させてしまう。


とにかく見たこと書く。


触れた印象をすぐに書く。


ポッと頭に浮かんできたことを書きつけてしまう。




あとでまとめて整理するのは困難で、ただただおっくうになる。



色味のはっきりとしないボヤけたものは、どこにしまっていいかの判断に困る。


変な素材の服、ガチャガチャとチェーンのついたような服はどうたたんでいいかわかりゃしない。



アンチ断捨離、逆断捨離、脱断捨離。



買いたてで値札もついたまま、Mのシールもそのまま。


せっかく一度洗濯したものも全てごちゃまぜに丸めてある。



僕のタンスの前は記憶の山だ。


おかげでタンスの下の段は、引き出すことができない。






何なんだよもぅ。


記憶の手助けしてくれるはずの手帳のせいでえらい目だ。



ま、上手な手帳の使い方を知らないだけなんでしょうけど。。。








それでもこうなった以上、ひとつひとつ地道に片付けていくしかなさそうだ。





「それはソムリエの田崎シンヤ……」のすぐ下に、もうひとつメモがあった。





「それは宇宙飛行士の野口総一さんがバンジージャンプ嫌がるようなもんだ」



…………。




これを丁寧に折りたたんでタンスに入れたところで、再び取り出す時が来るとはとても思えない。





ただ捨てる前に、「それはソムリエの田崎シンヤ……」の方にだけ、何でアンダーラインがひいてあったのかを解決させてからにしようと思う。


















ほんと久しぶりの更新。


ドラえもんの話、してもいいですか?






今年のゴールデンウィークに帰っていた、実家でのこと。


朝起きてイチローの試合を観るためにリビングへ行くと、7歳の甥っ子がソファで寝転んでいた。


生意気にもソファを占拠できるほど背が伸びたことに驚いたが、僕の特等席がない。




「…おい、ちょっとどけっ」


「やだー」



……。



「いいからちょっとどけって」



「やだーー」



…………。




むむむ、早朝から ”ひとりっ子感” 全開か。


僕の ”末っ子魂” とマッチアップさせても良かったけれど、とりあえずソファの手すりに腰掛けて、テレビの電源を入れることを優先させた。


ここで引き下がったのは、さっさとイチローを観たかったのもあるが、甥っ子が寝転がりながら何かを夢中になって読んでいたからだ。




「朝から本読んでんの?」



「……」


「何読んでるの?」



「ドラえもーん」



「ドラえもん?」



「ドラえもーん」




リビングにきて結構時間が経つが、いまだに目も合わせずに、「やだ」と「ドラえもん」だけで叔父さんをあしらってくる。


甥っ子の読む本をよく見ると、どうやらドラえもんの道具がいろいろ載っている事典みたいなものらしい。


イチローの打席を待ちながら、山なりのキャッチボールを続ける。






「その本、面白いの?」



「うん」



「ドラえもん好きなんだ」



「うん」



「ドラえもんの中で誰が好きなの?」



「ドラえもーん」




「ドラえもんの道具の中で何が一番欲しい?」



「スペアポケットぉ」


…………。





ここでなんだかちょっぴり腹が立った。



しかし瞬時にその理由がハッキリしなかったので、「そっかぁ、ずるいなぁ」とだけ返答し、イチローの第一打席へ集中することにした。







そしてこんな些細なやりとりはすっかり忘れてしまっていたが、先日、職場の後輩とのやりとりでふと思い出した。






「ねぇ聞いてください塩さん、あたし最近『知りたい病』がひどいんですよぉ」



「へぇ~何それ?」



「何か知らないことに出くわすとぉ、すぅ~ぐウィキペディアで調べないと気がすまないんですぅ」


「ひゃ~つまんない病気だね……たとえば?」



「こないだもぉ~、トウモロコシの ” ひげ ” は何で生えているのかがぁ、気になっちゃて気になっちゃってぇ」



「なるほど。そういや何でだろね」



「アタシたまんなくなって、すぅ~ぐ調べちゃいましたよぉ~。何でだと思いますぅ?」



「ん~とね…」



「実はぁ、トウモロコシのぉ…」



「ちょいちょいちょいちょいっっ!答えいらんよ!!何でか考えてるんだから!」



「だってスグ知りたくならないですかぁ?」



「僕はこういうのを、ウダウダとあ~でもないこ~でもないって考えるのが好きなんだから!」



「アタシそういうのダメなんで、すぐウィキペディアで調べちゃいますぅ」



「……病気だな」



「……」





甥っ子のドラえもんの話との共通点は、「『正解』の扱い方」だ。




「ドラえもんの道具で何が欲しい?」に対する「スペアポケット」ってのは『正解』だ。


でも、ここで僕が聞きたかったのは『ドラえもんの道具の中のどれか一つを選んで、それを使ってどういうことをしたいのか』だ。


我が甥っ子の描く想像を聞いてみたいのだ。


質問に対する『正解』なんて聞きたかない。


まして「スペアポケット」って答えは昔からの手垢がついたおなじみの返し。


それをこれまで僕以外にも同じ質問されて、「スペアポケットぉ?うわぁ~賢いねぇ~!」とでも言われて手応えでも感じてたのか知らんが、さらっと答える感じ。




あの時、腹が立ったのはこれが原因だったのだ。



そして我が甥っ子のおもしろなさに、ガッカリしたのだった。




叔父さんにできることはほとんどないが、実家から帰る道すがらのやり取りを、精一杯のメッセージとして受け取ってくれただろうか。





「クラスで隣の席は女の子?」



「……うん」



「たくさん喋ってる?」



「べつに」



「だめだ!隣と前と後の女の子と、たくさん喋って楽しませないとっ!」



「前と後は男だもーん」



「その言い草がもうおもしろくないな。いいんだよどっちだって!前後左右の席は、男でも女でも楽しませるんだよっ」



「…………」










次に甥っ子と再会するのは盆休みだ。