ご訪問、ありがとうございます
本日もよろしくお願いします
おはようございます
今日のお天気ですけれど
日本海側は、北日本から西日本にかけて
雪や雨が降りやすくなるそうです。
関東は天気が回復して
日差しが届くそうです。
いずれにしても
暖かくして過ごしましょうね
さて
一昨日
この絵にまつわる話を知ったのですが・・
この絵は
タナーが
21歳の頃に描いた水彩画でなのですが・・
21歳で、これだけの細密画を、
陰影を描くというのは、
やっぱり天才のなせる技なのだろうなぁ
と思ったのです。
そう思ったら
橋本佐内が脳裏に浮かんできました。
以前、
佐内が15歳の時に書いた『啓発録』を
ご紹介させていただいたことがあったと
思うのですが
五訓のうちのひとつ「稚心を去る」
という言葉
幼稚な心を捨て、 甘え心を捨てて、
15歳の
自分自身の人生訓として、
これから立派な大人になるための心得
を、綴っています。
その佐内は
25歳で斬首されたのでしたね。
それでも
その人生は
決して短命に終ったとは言えません。
その生き方と志は、
永遠のものとなって
輝きを失うものではないからです。
今日は
佐内のお話は
ひとまずここまでといたしますが
今日は、
光の画家とも称されるターナーの
卓越した絵画で
Wake up
目覚めませんか
あなたはターナー、お好きですか
わたしがこのロマン主義の画家に
関心を抱くようになったのは、
ターナーの生きた18世紀を軸にする
英文学者で美術史の著作・翻訳家の
高山宏先生が
英国では最も評価されている画家だと
教えてくださったことからです。
そのターナーの
紛失した水彩スケッチが 、
イギリスの田舎の邸宅の屋根裏部屋で
発見されたようです。
1796年に作成された
この 31.75cm × 43cm の作品は、
来月のオークションで
3万ポンド~ 5万ポンド
(600万円 ~ 1,100万円)
で
落札される予定です。
ターナーの最も高価な作品は 、
2014年にロンドンのサザビーズで
56億円で落札された
『 アヴェンティン山よりローマ』 (1835)
今回、新たに発見されたこの水彩画は、
モールデン子爵 (後のエセックス伯爵) の
依頼で描かれました。
当時ターナーは 21 歳でしたが、
決して経験が
浅いわけではありませんでした。
今回、発見された水彩画を描いたのと
同年の「海の漁師」
ロイヤル アカデミーで展示した最初の油絵
彼は14歳でロイヤル アカデミーに入学し
その後すぐに作品を発表し始めました。
18歳の時の作品
自画像 24歳
ジョセフ マロード ウィリアム ターナー
表現力豊かな色彩、想像力豊かな風景画、
落ち着いたロッテルダム発の
ドルトパケットボート
1818年 イェール英国美術センター
ヴェネツィア – ドガーナと
サン・ジョルジョ・マッジョーレ 1834年
ナショナル・ギャラリー ワシントンDC
ローマ - カンポ ヴァッチーノ 1839 年
ときに激しく しばしば暴力的な海洋絵画で
知られていますが、
吹雪
アルプスを越えるハンニバルとその軍隊
1812年 テート・ブリテン
ウォータールーの野原
1818年 テート ブリテン
550 点以上の油絵、2,000点以上の水彩画
30,000点以上の紙の作品を残しました。
貴族院と庶民院の焼き討ち
1834年頃 フィラデルフィア美術館
英国を代表する美術評論家
ジョン・ラスキンに
擁護され、
解散するために最後の寝床に引っ張られた
闘うテメレール
1838年 ナショナル ギャラリー
今日では風景画を
歴史画に匹敵する卓越した地位に
押し上げたとみなされているそうです。
ノーハム城 日の出
1845年頃 テート ブリテン
日の本、にっぽんでも
もう夜が明けました
どうぞ善き いち日をお過ごしください
ありがとうございました。
KIMIÉ