真行寺君枝

 

 


 

オールインワンジェルクリーム

ディオティマ

 

 

ディオティマ・オールインワンジェルクリーム

 

 

桜となでしこが秘める

 

類まれなる植物のパワー

 

 

えもいわれぬダマスクローズの香りが

 

あなたの肌を神秘のベールで包みます

 

オールシーズン用

 

 

株式会社うつくしく

 

 

 

 

 

 

ご訪問、ありがとうございます

 

本日もよろしくお願いします

 

 

 

観葉植物

昨日、おまけしてもらって買いました。

今流行りの観葉植物のある暮らしに

憧れてます。

 

 

 

昨日は

 

 

駐車場の屋根付け工事で

 

業者のお兄さんが

 

水道パイプを破損し、てんやわんや

 

 

それに他の野暮な事情でも

 

訳あって深夜まで、てんやわんや

 

 

といった慌てふためく前夜が一転して明け

 

 

 

 

今日は成人の日です乙女のトキメキ

 

昨年から

 

18歳からが成人と

 

年齢が引き下げられたのですね。

 

 

各地域で

 

成人式が執り行われるのでしょうね。

 

 

あなたはご自身の成人式には

 

参加されましたか?

 

 

わたしはしませんでした・・・

 

 

 

 

すでに仕事もしていて

 

一番忙しく働いていた時期でした。

 

 

 

わたしが初めてした仕事は、

 

中学一年生の時のことです。

 

 

ポーラ化粧品のコマーシャルフィルムで

 

森の妖精に扮して踊ったのでした。

 

 

 

このCFの衣装担当だったワダエミさんが

 

ダンサーを探していて、

 

わたしの通うバレエ教室を訪れたのです。

 

 

先生と知り合いだったので。

 

 

それでわたしが選ばれてしまったのです。

 

 

 

成城学園の東宝撮影所に通いました。

 

その頃の撮影はしっかり時間をかけて

 

数日に及んで撮影をする余裕のある

 

時代だったのですね。

 

 

スタジオに森が作られていて

 

初めて見るセットというものに

 

不可思議さを覚えました。

 

 

 

ワダさんはその後、黒澤明監督「乱」で

 

アカデミー衣装賞を受賞されましたが、

 

 

 

そのワダさんの衣装が肌色のシフォンで

 

わたしは

 

胸が透けると言って嫌がったそうで、

 

 

 

着せるのに苦労したのよ、と

 

友子先生は当時を振り返って仰いました。

 

 

わたしの記憶には残ってませんでしたが。

 

 

 

 

この撮影は

 

自分の意思ではなく抜擢され

 

仕方なくさせられてるという思いが強く

 

 

 

慣れない初めての経験であった上に

 

何日にも及ぶ撮影で、

 

とうとう自分が保てなくなって

 

最後にはもう行きたくなくて、

 

 

気持ちが悪くなってしまいました。

 

 

 

途中で車の送迎にも耐えきれず、

 

先生方はなんとか負担をかけずにと

 

考えてくださってのことだったのに

 

 

 

成城駅で先生と待ち合わせをしたある日、

 

 

歩けない、気持ちが悪いとわたしは

 

ベンチで項垂れてしまいました。

 

 

先生はしばらく黙っていましたが、

 

 

これでは埒が開かないと思ったのでしょう

 

 

わたしを背中におぶって

 

スタジオまで歩き始めたのです。

 

 

 

このときわたしは

 

友子先生のその背中に

 

仕事における責任というものを

 

学びました。

 

 

 

 

わたしが美しいと思う唯一の人

 

それは今も昔の変わることなく、

 

バレエの教師、藤井友子先生です。

 

 

 

わたしの美の原点は友子先生なのです。

 

 

わたしの半分以上、ほとんどは

 

友子先生で形成されているのです。

 

 

 

わたしは物心ついて

 

一番最初に美を見出したのは

 

印象派の絵画でした。

 

 

 

それから

 

キリコのシュールレアリスムに魅せされ、

 

 

それ以来、

 

超現実主義の世界観の住人となって

 

今に至っているのですが、

 

 

 

前衛というものを

 

身をもって体感させてくれたのも

 

友子先生でした。

 

 

 

小学校の5年だったか6年生の時だったか

 

発表会で

 

私服で、裸足で、自由に踊るという課題を

 

渡されました。

 

 

 

先生の意図が汲み取れずに

 

生徒たちは困惑したのでしたが、

 

 

 

後になってのことです、

 

 

 特定の流派に限らず表現・手法・芸術観の

 

急激な変革を求める芸術精神で、

 

 革新的な芸術活動

 

すなわち

 

アバンギャルドキラキラ

 

 

それを友子先生は生徒たちに授けようと

 

苦心されたのだと気づいたのでした。

 

 

 

 

先生は1年間、教室を休み、

 

あるとき世界一周の旅に出ました。

 

 

そうしてエジプトやインドで

 

思想的な精神を身に纏って戻られました。

 

 

 

「あだしの」と題した

 

モダンダンスというのか

 

実験的な舞踏を発表され、

 

 

それは評判となって

 

NHKでも放送されました。

 

 

 

また先生は

 

 

アメリカでマーサ・グレアム

 

モダンダンスを学んだ方を講師に迎え、

 

 

 

わたしたち生徒は隔日の練習に加え、

 

さらにレッスンが増えて

 

ヒイヒイ言っていたのを

 

懐かしく思い出しました。

 

 

 

 

コントラクション・アンド・リリース

 

 

これはグレアムのメソッドで、

 

 

呼吸をする際、

 

 

息を吸うときに

 

身体はリリース(弛緩)し

 

 

 

息を吐くとき

 

コントラクション(収縮)する

 

 

というもので

 

 

 

グレアムは、

 

この表現を意識的に行うことを

 

核としました。



1998年、TIME誌は、

 

彼女を、世紀のダンサーとして、

 

また

 

20世紀における最も重要な人物の1人に

 

挙げました。

 

 

 

 

マーサー・グレアム

1948年

 

 

 

ベティ・フォード大統領夫人、ヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領(フランス)、振付師マーサ・グラハム、俳優クリント・イーストウッド、ファッションデザイナー、アデル・シンプソン、ジャズピアニスト、アール・ハインズ(ステート・ダイニング・ルームに着席)

左奥からマーサ・グレアム

 

ジスカール・デスタン大統領(フランス)

 

ベティ・フォード大統領夫人

 

俳優のクリント・イーストウッド

 

ファッションデザイナーの

アデル・シンプソン

 

ジャズピアニストのアール・ハインズ

 

ホワイトハウス

ステート・ダイニング・ルームで

 

 


 

わたしは

 

亡くなる前年の1990年の来日公演を

 

拝見することができました。

 

 

 

 

話を友子先生に戻しますが、

 

 

稽古の中で、

 

先生は目線への指示を与えました。

 

 

どこか1箇所を凝視せず、

 

 

地球を一周して

 

頭の後ろに目があると想定し、

 

 

その目で見るようにと

 

 

その視線を生徒たちに求めて

 

 

わたしたちは訳のわからないその意味を

 

夢中で模索したのでした。

 

 

 

 

この話を昨年亡くなられた資生堂名誉会長

 

福原義春さんに生前したところ、

 

 

それが

 

ゆれる、まなざしになったのだね

 

 

とおっしゃいました。

 

 

 

真行寺君枝

わたしの代表作品

 

これはサブポスターをモノクロ写真に

収めたもので、福原さんに戴きました。

 

 

 

 

 

わたしの話ばかりしてしまいましたが

 

 

どこにきっかけ、契機となる事象があるか

 

わからないということを

 

 

成人の日の今日は

 

お話させて戴きたかったのです。

 

 

 

それというのも

 

13歳の時の初めての撮影時に

 

ヘアメイクを担当したのは

 

渡邊サブロオさんだったのですが

 

 

その3年後、

 

サブロオさんは

 

独立することになったのですが、

 

 

ちょっと原宿まで来てくれない と言う、

 

 

サブロオさんからの電話で出向くと、

 

 

そこは

 

著名な写真家の稲越功一さんの事務所で

 

 

サブロオさんがお化粧し、

 

鏡に映った自分は別人となっていました。

 

 

 

自分の中で天変地異が起こったような

 

衝撃を受けましたが、

 

 

伊藤左智子さんの衣装を着せられ

 

わたしはモデルとなって

 

 

撮影に六本木とか赤坂とかに

 

出かけたのでした。

 

 

それは西武デパートの

 

電車の中吊り広告になったのでした。

 

 

 

その後もこんな感じで

 

いくつもモデルとなり、

 

気がつくと、

 

サブロオさんの事務所に所属することに

 

なってしまっていたのでした。

 

 

 

そうして一年後、

 

資生堂のキャンペーンモデルに抜擢され

 

 

 

わたしの人生が突如、

 

別のものになっていったのでした。

 

 

 

 

それから現在まで

 

いろいろなことがありましたが、

 

今もまた新しいことにチャレンジしようと

 

準備を進めています。

 

 

 

本当の自分の居場所作りは

 

死の瞬間まで

 

続くのではないかと思っています。

 

 

自分というものが、時を重ねるごとに

 

統合されていき、

 

 

あるべき姿を求める適材適所を巡る冒険は

 

まだまだ続いています。

 

 

 

それはきっと、

 

わたしに限ったことではないのでは

 

ないでしょうか。

 

 

 

自分が自分らしく居られるところ、

 

アイデンティティを保てるあり方、

 

 

ひいてはそれが

 

自分という存在を

 

人様への役立ちに繋げられるのでは

 

ないでしょうか。

 

 

 

それは名声や権威におもねるものではなく

 

坦々と楽に自由に生きられる居場所です。

 

 

 

 

友子先生の場合は

 

それが曹洞宗の僧侶への転身でしたが、

 

 

 

わたしは世俗でわたしの場所を探し続け

 

もうそう遠くはないのかもしれない

 

終の住処に辿り着きたいと思っています。

 

 

 

 

あなたも旅の途上だとしたら

 

ぜひ、それを叶えていただきたいです。

 

応援させてくださいね。

 

 

 

長々とした拙いものを

 

最後までお読みくださって

 

ほんとうにありがとうございました。

 

 

 

あなたのご清福をお祈りしています

 

 

 

KIMIÉ拝