真行寺君枝

 

 


 

オールインワンジェルクリーム

ディオティマ

 

 

ディオティマ・オールインワンジェルクリーム

 

 

桜となでしこが秘める

 

類まれなる植物のパワー

 

 

えもいわれぬダマスクローズの香りが

 

あなたの肌を神秘のベールで包みます

 

オールシーズン用

 

 

株式会社うつくしく

 

 

 

 

 

 

おはようございます

 

本日もよろしくお願いします。

 

 

 

今日はクリスマスですが

 

与謝野蕪村の

 

蕪村忌なのですね

 

 

 

それでタンスの奥の

 

「俳聖かるた」を取り出しました。

 

 

 

俳聖かるた

 

 

 

月天心

 

貧しき町を

 

通りけり

 

 

 

 

しみじみとした風景がしのばれますねオーナメント

 

 

 

そうですよね、蕪村は

 

俳句と絵画を織り交ぜた俳画の創始者でも

 

あったのですものね。

 

 

 

蕪村筆『柳陰漁夫図』

蕪村筆『柳陰漁夫図』

 

ほのぼのブルー音符

 

 

蕪村は、

 

松尾芭蕉・小林一茶と並び、

 

江戸時代の

 

俳諧の三大巨匠として有名です。

 

 

 

けれど百年も経ってから正岡子規や

 

萩原朔太郎が著書で紹介して

 

世に知られるようになったのだそうです。

 

 

 

 

蕪村の俳句は、

 

写実的な手法と豊かな色彩感覚で表現され

 

情景が浮かび上がるような絵のような句と

 

評されているそうです。

 

 

 

作品の多くが

 

重要文化財、国宝に指定されています。

 


 

蕭何が韓信を追う(蕭何追韓信)蕪村筆

蕭何が韓信を追う(蕭何追韓信)

 

 

蕭何(しょうか)と韓信(かんしん)は

 

紀元前三世紀の前漢の三傑のうちの二人

 

 

 

絵の内容ですが、

 

 

 

 漢王劉邦(りゅうほう)に仕える蕭何が

 

功を認められず、

 

 

去ろうとした同僚の韓信を追って

 

これを思いとどまらせ、

 

劉邦を説いて韓信を大将軍にとりたてた

 

 

故事に基づいています。

 

 

 

この後、劉邦は韓信らの活躍で

 

中国を平定して皇帝(高祖)となり

 

漢王朝を開いたのです。

 

 

 

蕭何が韓信を追う(蕭何追韓信)蕪村筆

部分

 

 

 

 

独学で古画から学び

 

絵を描きはじめたそうですが

 

 

すばらしいですね。

 

 

 

蕪村

与謝蕪村(1716-1783) 江戸中期

 

 

 

 

あなたは

 

忘れているかもですが、

 

 

蕪村の俳句、いくつも知っていますよ乙女のトキメキ

 

 

 

もうすぐお正月ですけれど

 

 

春の海 ひねもすのたり のたりかな

 

 

 

 

それに

 

 

菜の花や 月は東に 日は西に

 

 

 

 

これも

 

 

さみだれや 大河を前に 家二軒

 

 

 

 

そして

 

蕪村の絵が

 

また心を奪います

 

 

 

鳶鴉図(重要文化財)

鳶鴉図(重要文化財)

 

この作品は山水画のような筆使い

 

 

 

 

蕪村は

 

10代で両親を亡くしているのですね。

 

 

そして20歳で江戸に出て、

 

松尾芭蕉の孫弟子に俳諧を学びました。

 

 

 

27歳の頃、師が亡くなったので江戸を去り

 

僧の姿をして東北地方をめぐり

 

 

28歳の頃、俳号蕪村を名乗り始めます。

 

 

 


憧れの芭蕉の『奥の細道』の軌跡を辿り、

 

 

絵で宿代を払いながら同門の俳人を訪ね

 

修行の旅となりました。

 

 

 

 

蕪村筆。象潟地震で隆起する以前の、象潟の様子が描かれた屏風
象潟地震で隆起する以前の

象潟の様子が描かれた屏風

 

 

 

芭蕉は

 

象潟や 雨に西施が ねぶの花

 

と詠みました

 

 

 

象潟地震で隆起する以前の、象潟の様子が描かれた屏風。部分

屏風の中央部分

 

 

 


42歳、10年に近い放浪生活を終え

 

京都へ定住します。

 

 

この頃から、与謝(よさ)を名乗り

 

与謝蕪村となりました。

 

 

 

 

文人画家としての蕪村

 

 

それにしても絵の作風が

 

どれも全然違うのに、驚きませんか?

 

 

5種類の画風を使い分けたそうです。
 

 

 

 

蕪村筆 俳画 自画賛(岩くらの狂女恋せよほととぎす)

蕪村筆 俳画 自画賛

岩くらの 狂女恋せよ ほととぎす

 

 

 

 

最後に国宝二点をみてみましょう乙女のトキメキ

 

 

 

『十宜図』のうち『宜暁図』(国宝)

『十宜図』のうち『宜暁図』(国宝)

 

 

この画帖の製作は、

 

素封家の池大雅の弟子が師に依頼し、

 

それを受けた大雅が

 

蕪村に協力を仰いだらしいのです。

 

 

 

池大雅が「十便帖」を

 

与謝蕪村が「十宜帖」を描いて

 

合作し、

 

 

「十便十宜帖」(じゅうべんじゅうぎ)

 

 

となったのですが、

 

 

 

これは、

 

清の劇作家・李漁(李笠翁)が

 

 

別荘伊園での生活をうたった

 

『十便十二宜詩』のうちの

 

十便十宜(2つの宜の詩は不明)をもとに

 

 

描かれた作品です。

 

 

『十便十二宜詩』は、草蘆を山麓にむすび

 

門をとじて閑居したところ

 

 

客が訪ねてきて

 

 

静かでしょうが、

 

不便なことが多いでしょう

 

 

と言ったのに対し

 

 

 

便(便利なこと)と

 

宜(よいこと)の詩をつくって

 

こたえたというもので、

 

これに基づき、

 

大雅と蕪村が

 

今からおよそ250年前に描きました。

 

 

 

 

 

『夜色楼台図』(国宝)

『夜色楼台図』(国宝)

 

 

山並みを背景に

 

山村に雪が降る夜の光景

 


夜空は黒から濃淡をつけられ

 

雲を表現するように部分的に滲んでます。

 

 


しんしんと雪が降る中

 

あたたかな家の灯りがともっています。

 

 

 

懐かしさとぬくもりを感じさせ

 

日本人の原風景を見るようです。

 

 

 

『夜色楼台図』(国宝)

 

 

そんなこの絵のような

 

1783年の12月25日

 


蕪村は

 

人生に幕を閉じました。

 

 

68歳の生涯に

 

多くの芸術を残して旅立ったのですが

 

 

 

 

最後にもう一度

 

句をかみしめてお別れしましょう

 

 

 

 

春の海

 

ひねもすのたり

 

のたりかな

 

 

 

おだやかな浜辺の情景が浮かび上がり

 

 

波の打ち寄せる音が

 

聞こえてきます

 

 

 

 

 

あなたに

 

幸せが

 

たくさん降りそそぎますように

 

 

KIMIÉ