真行寺君枝

 

 


 

オールインワンジェルクリーム

ディオティマ

 

 

ディオティマ・オールインワンジェルクリーム

 

 

桜となでしこが秘める

 

類まれな植物のパワー

 

 

えもいわれぬダマスクローズの香りが

 

あなたの肌を神秘のベールで包みます

 

オールシーズン用

 

 

株式会社うつくしく

 

 

 

 

 

 

 

おはようございます

 

本日もよろしくお願いします。

 

 

 

真行寺君枝

 

朝から派手なお手製の服を

 

シックなシャネルのコサージュと

 

エルメスのジャケットの黒で

 

緩和させ、

 

手ぶらで、ポケットには

 

財布・鍵・チーフ・メガネ・ペン・携帯

 

 

 

 

「今夜はナゾトレ」の完全パッケージの

 

録音でスタジオに行ってきました。

 

 

 

真行寺君枝

 

 

津田寛治さんが先に録音中

 

 

わたしは最新原稿読み合わせ、

 

エスプレッソを戴きながら音符

 

 

 

津田さん終わって

 

ちょっと時間が押していたせいもあり

 

ものの5分もお話しできず、

 

 

でもそのわずかな間に

 

今回の担当ディレクター足立さんと

 

フジテレビの方と

 

四人で大盛り上がりで音符

 

 

 

ミキサーの山岸さんに

 

録音再開しま〜す

 

と促され、

 

寛治さんとタッチ交代

 

 

ブースに

 

 

真行寺君枝

本日もお願いしまっすキラキラ

 

 

と始まって

 

とどこおりなく終了しました。

 

 

_______

 

 

 

午後は雨がぱらつき

 

 

 

 

昨日、11月10日が命日の

 

アルチュール・ランボーに

 

想いを馳せたのでした。

 

 

ランボー

17歳

 

 

 

あなたはランボー、好きですか?

この写真は本当に印象的

本当に美しいですね。

 


10代ですでに第一級の詩人だったランボー

 

 

そんな彼が18歳のときの

詩集「地獄の季節」は

 

文学への決別の書ともされていますが、

 

 

 

その中の

ランボーが16歳の時に作った

 

オフェリア」を

 

 

わたしはその昔

 

ライブで朗読していました。

 

 

 

 

 

 



オフェリアの死は、

 

文学の中で最も詩的に書かれた死の場面の

 

一つとして讃えられています。

 

 

 

 

オフェリアの死というと

 

この一枚の絵が思い出されます。

 

 

ミレー「オフェリア」

ジョン・エヴァレット・ミレー

「オフェリア」1851–1852

テートブリテン美術館蔵

 

 

 

シェイクスピアの戯曲『ハムレット

 

その登場人物・オフェリアが

 

川で溺れる前の歌う姿を描いています。

 

 

 

この戯曲はもともとは北欧民話が

 

12世紀頃に物語化し、17世紀初頭に

 

シェイクスピアが戯曲に仕立てました。

 

 

 

 

その第 4 幕・第7場で

 

王妃が泣きながら語るのでした。

 

 

小川のふちに柳の木が、

 

白い葉裏を流れに写して、

 

斜めにひっそり立っている。

 

 

オフェリアはその細枝に、きんぽうげ、

 

いらくさ、ひな菊などを巻きつけ、

 

それに、口さがない羊飼いたちが

 

いやらしい名で呼んでいる紫蘭を、

 

無垢な娘たちの間では死人の指と

 

呼びならわしているあの紫蘭をそえて。

 

 

 

そうして、

 

オフェリアはきれいな花環をつくり、

 

その花の冠を、しだれた枝に

 

かけようとしてよじ登った折も折、

 

意地わるく枝はぼきりと折れ、

 

花環もろとも流れのうえに。

 

 

 

すそがひろがり、

 

まるで人魚のように川面をただよいながら

 

祈りの歌を口ずさんでいたという、

 

死の迫るのも知らぬげに、

 

水を生(お)い水になずんだ生物さながら。

 

 

 

ああ、それも束の間、

 

ふくらんだすそはたちまち水を吸い、

 

美しい歌声をもぎとるように、

 

 

あの憐れないけにえを、

 

川底の泥のなかにひきずりこんでしまって

 

それきり、あとには何も。

 

 

___

 

 

 

 

1854年に生まれたランボーは、

 

ミレーの絵画も

 

 

『ハムレット』も

 

読んだに違いありません。

 

 

 

 

多分、古代ギリシア語の恵愛を意味する

 

オフェリア

 

 

このオフェリアに

 

霊感を受けて生まれた詩「オフェリア」

 

 

 

 

ランボー11歳

11歳

初聖体拝領時

 

 

 

 

ランボーの作品を絶賛したヴェルレーヌは

 

 

彼をパリに呼び寄せ、

 

新婚の妻を置き去りにし

 

 

べルギーやロンドンで

 

2人の同棲は始まりました。

 

 

 

アンリ・ファンタン=ラトゥール作「アン・コイン・ド・テーブル」 、1872年、オルセー美術館

アンリ・ファンタン=ラトゥール作

「アン・コイン・ド・テーブル」

1872年 オルセー美術館蔵

 

左が詩人ヴェルレーヌ、隣がランボー

 

 

 

ヴェルレーヌの素描したランボーー

ヴェルレーヌの素描したランボーー

 

 

 

だけれども意見の相違からヴェルレーヌは

 

ピストルでランボーの左手首を負傷させ

 

2年の服役がかせられました。

 

 

 

 

19歳で詩をかくのをやめたランボー

 

 

放浪の旅をつづけ、

 

最後はアフリカの武器商人に。

 

 

そして

 

 

 1891年、骨肉腫で右足を切断し、

 

マルセイユで亡くなりました。 享年37歳。

 


 

Rimbaud_in_Harar1883

エチオピア ハラールのランボー 1883年

 

 

 

なぜ天才詩人のランボーが

 

文学を捨てたのは分かるにしても

 

 

なぜ

 

武器商人になったのか

 

わたしには理解できませんでしたが、

 

 

 

その答えは

 

家庭人ではいなかった父フレデリックに

 

見つかるのかもしれません。

 

 

 

フレデリックは

 

歩兵第47連隊の大尉でした。

 

彼は出世者で、勤務期間の多くを

 

フランス国外で過ごしました。

 

アルジェリア征服に参加し、

 

レジオン・ドヌール勲章を

 

授与されています。

 

 

 

文学的な野心を持っていて

 

アラビア語学習者向けのガイドを書き、

 

 

コーランを

 

フランス語に翻訳していました。

 

 

 

ランボーは後に父親の資料を

 

自分のアラビア語の研究に使用しました。





38歳のときフレデリックは

 

メジエールに移送されますが、

 

 

日曜の散歩中に

 

当時27歳のヴィタリーに出会い、

 

彼らは結婚しました。

 

 

二人には5人の子供が生まれました。

 

 

けれども

7年の結婚生活で

 

フレデリックが家に住み続けたのは

 

3か月足らずでした。

 

 

 

残りの時間は、

 

クリミア戦争とサルデーニャ方面作戦の

 

任務を含む軍事任務に従事し、

 

両方でメダルを獲得しています。

 

 

休暇中にのみ自宅に戻ったのです。

 

 

それでも

 

末の子が生まれた後は、

 

彼は家に戻ることはありませんでした。

 

 

 

 

ランボーの母ヴィタリー

 

 

母・ヴァレリーは

 

アルデンヌ地方ロシェの豪農の出身で

 

祖父は市長でした。

 

 

 

ランボーはハラルから、母に宛てた手紙で

 

右足の痛みで眠れないと訴え

 

 

 

担架で搬送された病院で

 

足に腫瘍があると診断され、

 

医師が切断を勧めたと書きました。

 

 

 

それから

 

彼は電報で

 

マルセイユから母親に助けを求め、

 

 

駆けつけたはヴィタリーは

 

彼の右足切断の手術に立ち会いました。

 

 

母はロシュに残った娘イザベルが

 

寝たきりであることを息子に告げずに

 

アルデンヌに戻ったために

 

 

それ以後ランボーは、

 

母に心を開くことはありませんでした。

 

 

 

 

芸術家だけではありません。

 

人は皆、生きることそれ自体が

 

芸術なのだと、わたしは思うのです。

 

 

ありのままの赤裸々な生きざま

 

そこには二つとない物語が存在します。

 

 

生活は個人の主張を反映し

 

そこにドラマが展開します。

 

 

喜劇と悲劇を織り交ぜて

 

そのトポスで人は格闘し

 

 

またあるときは

 

偶然か必然か

 

それは定かではありませんが

 

 

癒し慰められる

 

即興劇と

 

言い得るのかもしれません。

 

 

 

 

 

最後までお読みくださり、

 

ありがとうございました。

 

 

あなたの両手いっぱいに

 

幸せがふりそそぎますよう

 

 

KIMIÉ