真行寺君枝

 

 

 

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おはようございます

 

本日もよろしくお願いします

 

 

お月見のしつらえ

 

 

 

旧暦8月15日の夜(十五夜)の月

中秋の名月


2023年は9月29日がその日でした。

 



あなたはご覧になりましたか



月とうさぎ

 

 

名月をめでる習慣は

 

平安時代に

 

中国から伝ったようですね。


 

 

日本では縄文時代から

月を愛でる習慣はあったものの

 



同音の「憑き(ツキ)」に

 

重なることから忌み嫌い



祝う習慣とは、ならなかったようです。

 

 

 



観月の宴は

9世紀の文徳天皇の頃にはじまり



供物を捧げ、

漢詩を詠み、管弦を楽しんだそうです。



 

船遊びも催され、

 

池の水や杯に映る月を眺めるのが

 

習わしでした。




うっとりするお話ですね。

なんと言う優雅なこと




島田忠臣『田氏家集』に見られる
 
「八月十五夜宴月」

 

 

これが月の宴の初見のようです。

 

忠臣は

平安時代前期(9世紀)を代表する漢詩詩人


菅原道真の師としても知られています。

 



娘の宣来子(のぶきこ)は


道真の正室でした。 
 

 

 


能装束
 

 

 

時代は下り

江戸時代には世俗でも月見は行われ、


 

 

十四日を宵待と言い

翌日の天候が判らないので、

先ずはこの夜に月を仰いだそうです。


 

十五夜には団子を拵らへ

尾花(すすきの花穂)などを供へて

月を迎えます。




隅田川に

舟を浮かべることもありました。



風流ですね。

 

 

 

 

 

中秋の名月は

 

中国から伝えられたと言いましたが、

 

 

それは、中秋節で、
 

中秋に定着したのは唐代以後のこと。



 
中秋の月が一年中で最も美しい月とされ、

 

 

 

初めは高楼等に登って月を眺めながら

 

酒食を楽しむものでした。
 


中秋節は

 


元・明の時代に、祀りへと変化し

 

 

 

清代では、元旦・端午と共に三大節として

 

重視されるようになりました。

 

 

庭先に祭壇を設え、


月神 嫦娥(じょうが  太陰星君)を置き、

 

 

月餅や果物、瓜、鶏頭花を供えた様子が


清代の北京の年中行事を記した

『燕京歳時記』(えんけいさいじき)に

 

みられます。


 

中国では丸い月を

 

団欒の象徴と考えましたが、


 
豊かな収穫を前にしたこの日、

 

家族で幸せで円満な生活を祈るのは

日本も同じです。 

 

  

中秋節神話の 

『嫦娥奔月(じょうがほうげつ)』を

 


ご存知ですか
 


「嫦娥さんが月へとはしった」という物語

 

 

いろいろバリエーションがあるので


代表的なものを記してみたいと思います乙女のトキメキ

 


 

 

伝説上の聖王・尭(ぎょう)の時代のこと

 

 

10個もの太陽が昇り、

 

大地は荒れ果て、海は干上がり

 

 

 

 

困り果てた尭は、

 

東方の天帝(万物の創造神)・帝俊に

 

乞いました。

 

 

 

 

帝俊は

 

弓の名手・羿(げい)に

 

紅色の弓と白羽の矢を下賜しました。

 

 

 

そして羿は、

 

9つの太陽を、宝の弓と神の矢で射落として

人々の暮らしに平穏を戻しました。


 

 

羿は美しく聡明な嫦娥(じょうが)を娶り

 

 

二人は仲睦まじく暮らしていました。

 

 

 

羿は、西王母から授かった妙薬

 

それは天に上り仙人になれる薬でしたが

 

 

それを嫦娥に預け、

 

つづらにしまわせていました。

 


羿の勇名を慕い多くの人が集っている中に

 

蓬蒙(ほうもう)という邪な者がおり、

 

 

ある夕暮れのこと

 

蓬蒙は、嫦娥の部屋に忍び込み、

 

不老不死の薬を渡すように迫ったのです。

 

嫦娥は無我夢中で

 

薬を飲み干してしまいました。

 

 

 

すると

 

嫦娥の体は突然軽くなり、

 

窓を抜け出し空高く舞い上がり

 

 

 

嫦娥の羿を思う気持ちは強かったので

 

地上から一番近い月に降り立ちました。

 



狩りから戻った羿は、

 

ことの始終を侍女から聞いて

 

月を見上げて悲嘆にくれました。

 

 

 

そして

 

祭壇を庭に設え


嫦娥の好物を供えて偲びました。

 

 

それは旧暦八月十五日


 毎年、月明かりの下に供えました。

 

 

月宮の嫦娥は羿と故郷を想い

 

どんなご馳走にも、優美な舞にも

 

心を和ませることはできませんでしたが、

 

 

 

中秋に


嫦娥は

 

宮城の門の外に出て

 

遥か地上の故郷を眺めました。

 

 

 

この嫦娥の美しい顔が
 

月を一層丸く輝やかせて見せたのです。

 

 日本画


 

 

 

『淮南子』(えなんじ)外八編には

 

 

 

月宮は、余りにも閑散としていたため

 

 

嫦娥は

 

 

月に住む呉剛に桂を伐採させると
 

玉兎に薬をつかせて飛昇の薬を得て、
 



人間界へ戻ったとあります。





嫦娥(じょうが)は古くは

姮娥(こうが)と呼ばれていました。


 

 

『淮南子』覧冥訓が、
 
この月の天女の最初の言及のようです。

 

淮南子は

 

紀元前2世紀  前漢最盛期の
 
武帝の頃に、

 

 

劉安(りゅうあん)が

学者を集めて編纂させた論文集で


道家思想の集大成です。


 



独自性は乏しいのですが

「道(タオ)」の概念を水にたとえ、

 

 

以前より具体的になっていますし、



宇宙生成論も一層洗練されて具体的です。



この第六巻の

覧冥訓(見えざるものについて)の

 

終わりに、

 

 

 

姮娥の名が見られます。

 

根を抜き、本(もと)を棄てて、

 

その源を極めないのは、

 

大事な用をなさず

 

 

無駄なことの引き合いに

 

出されているところを見ると

 


すでによく知られた物語だったようです。


 

 

 

「嫦娥神話」が次に確認できるのは後漢で



張衡(ちょうこう)という大天才の

 

天文書『霊憲』に、



 

姮娥は不死の薬を持ち逃げし

 

月でヒキガエルになった月神とあり、

 

 

 


王充(おうじゅう)思想書『論衡』にも

 

見られ

 

 

 

太陽には三本足のカラスがいて、

 

月には兎と蟾蜍(せんじょ =姮娥)がいる



とあります。

 




羿は

 

太陽神か、三本足のカラス


あるいは


太陽光=金のカラス=金鵄(きんし)と

結び付けられていたようです。

 



それが

日本の記紀神説では、

 

 

 

神武天皇が

三本足の八咫烏に誘導される話や

その弓に止まった金鵄に

 

 

変化して、用いられています。




不老不死の妙薬を

 

 

秦の第一世皇帝・始皇帝の許可を得て

 

 

 

日本に探しに渡来し、日本に計り知れない

 

多大な影響を与えた徐福(じょふく)と

 

 

 

この辺りのことになってくると

 

 

まだ解き明かされていない日本史に

 

つながってくるようですが、

 

 

それはまたの機会ということにして

 


 

 

最後に 



9世紀の李商隠(りしょういん)『嫦娥』を

 



舞台は妓館で、

 

 

裏切られた愛の恨みを


古い神話に託した詩を読みながら

 

 

中秋の名月の名残りにしたいと思います。

 

 

 

 
不老不死となってしまったがゆえに、

永遠に孤独に光り続ける寂しさを誘います


 

 


雲母を張り詰めた屏風に


蝋燭の影が怪しく映り、


一人寝の寂しい夜を過ごす

 

ゆらめく焔の影を眺めているうちに

 

夜はいつしか白み、


天の川も次第に傾いて

 

薄明の中、


暁の明星も沈んで消えてゆく

 

裏切られた心の痛みに、


夜が明けるまで星や月を眺めている

 

あなたは今、何処にいるのだろう

 

月の精・嫦娥は不老不死の霊薬を娯しみ、

 

空に舞いあがったという

 
人の世を去った嫦娥は

 盗んだことを悔やんでいるだろう

 

青緑の海原は、青い空のようだ

 
それを夜ごと眺めつつ、

 心も傷ついているに違いない

 

わたしを裏切った懐かしい恋人よ

 
あなたは新しい快楽をなめ

 身分の高い人の元に身を寄せたことを悔い

 
寒寒とした夜を過しているのだろう

 

 

 

 

 

山と月の蒔絵

 

 

なんだか寂しい締めくくりになりましたが

 

 

 

あなたには

 

幸運が降り注がれますように

 

 

 

最後までお付き合い賜りまして

 

ありがとうございました。

 

 

 

KIMIÉ拝