真行寺君枝

 

 

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おはようございます

 

本日もよろしくお願いします

 

 

 

 

九月九日菊の節句

 重陽(ちょうよう)の節句ですね。
 

 

 

菊

 


 

 

「重陽」の意味は

 

 

 

陰陽思想



奇数陽の数



陽数のとなる

 

重なる日なので、

 



このように呼ばれるのですね乙女のトキメキ





 旧暦 九月九日
(新暦 十月二十三日)は



が咲く頃ですね。

 

 

 

 

菊




菊の別名は

キク科キク属の草の総称となる

齢草(よわいぐさ)と言い、



歳を重ねて延べる

と言う意味なので、



 長寿を願って菊を飾り、

その花びらを浮かべた酒で祝いました。

 

 

 


菊酒
 

 

 

 

中国の重陽の節句は

二日から三日にわたる祝いで、

十日は小重陽と言いました。 



8世紀の唐の詩人李白(りはく)は



詩聖と称えられた杜甫(とほ)に対し



変幻自在な作風で

 

詩仙と讃えられましたスター

 

 



唐文化の爛熟期に生まれ、

小さなことにこだわらず

ひょうひょうと生き、



その詩は

無邪気で自然、その上 美しい神品と

高く評価されてきました。
 


李白真筆

李白の唯一現存する真筆

 

 


一説によれば



酔って水中の月を捕らえようとして

溺死したともいわれています。

 

 


その李白の重陽の節句を詠んだ詩歌が

残されているので、

 

 

あなたと一緒に眺めたいのですが

 

 

お付き合い、いただけますか日本酒

 

 

 

 

 

李白

南宋の画家梁楷の墨筆画

李白吟行図 東京国立博物館蔵

 

 

 

 

九日龍山飲

 

  
九日 龍山に飲む

 黄花 逐臣を笑う

酔いては看る 風の帽を落とす

 舞いては愛す 月の人を留むるを

      

     

解釈


九月九日 龍山に登り酒を飲めば

菊酒までが

放逐された臣(李白)を笑っている



酔って眺めるのは、

風が頭巾を吹き落すさまで



舞って愉快なのは

月がいつまでも酒宴を続けるようにと

仕向けているように思えることだよ





 讒言により放逐された李白 

 

 

龍山に登り、友と共に

 

酒を酌み交わし、

 

 

 

その心傷をいっときの酒に

 

酔って紛らわしたのでしょうか・・・

 

 

 

帽子が風に吹き飛ばされるように

 

酔った李白の心は解き放たれて

 

 

 

月光のもとで自然と一体化し

 

空を舞ったのでしょうか・・・

 

 

 



風に帽を落とすというのは、



4世紀の孟嘉(もうか)の故事

 

龍山帽落に由来します。




 同じ龍山で催された重陽節の野宴で、


孟嘉の冠が

 

風に飛ばされてしまいました。

 

 

 

当時は、人前で帽子をとって

直接頭を見せることは

非礼とされていたのです。



酔って気づかなかった孟嘉は

皆に笑われますが、



平然と見事な詩によって返答し、

 

同席者を感嘆させたのでした。





その詩の内容がどのようなものだったか

 

調べても分からなかったのですが・・・

 

 

孟嘉の優雅な態度、

 

即興での理路整然とした対応に

 

 

その場にいた皆が彼の頭の回転の速さと

 

並外れた気質に驚き、

 

寛大で、シックでエレガントな人物と

 

みなされたのです。

 

 



池大雅「龍山勝会図屏風」
池大雅「龍山勝会図屏風」

 

 

 

 

池大雅「龍山勝会図屏風」

龍山での孟嘉伝を描いています

 

 

 


李白は、

 

自分も同じようなものだけれども

舞踊れば、月はまだ自分を引きとめる。


虚勢に過ぎぬと言われようが意に介さず

あるがままの己の姿を

 

詩に託して詠んだのですね。


 

 

 

草の戸や 日暮れてくれし菊の酒

 

松尾芭蕉

 

 

 


 平安の昔より、重陽の節句には

 

長寿を祝うものとして

 

菊花酒という

 

酒を飲む風習があったのですね。

 

 

 

 

世間で祝われている菊の節句の酒

 

 

けれど

 

芭蕉は

 

 

草の戸(義仲寺境内の無名庵)の

 

隠遁の身には無縁と

 

あきらめていました。

 

 

 

ところが

 

 

芭蕉晩年の上方滞在時に親交が深く、

 

経済面で芭蕉の生活を支えた

 

河合乙州(かわいおとくに)が、

 

 

思いもかけない一樽を

 

日暮れになって届けてくれたのでした。

 

 


 
この句にも

 

思い出される故事があるのです。

 

 

 

重陽の節句に

 

 

4世紀の陶淵明(とう えんめい)が

 

淋しく菊の花を野原で摘んでいると

 

 

そこへ太守から一樽が届けられたという

 

 

 

この話を芭蕉は取り入れたのです。

 

 

 

 

陶淵明は

 

役人生活の束縛を嫌い、故郷に帰って

 

酒と菊を愛し、自適の生活を送り

 

古来日本でも愛好された詩人です。

 

 

 

 

芭蕉がインスパイアされた

 

陶淵明は、

 

 

李白がインスパイアされた

 

帽落の故事の孟嘉の孫です。

 

 

 

 

時代も場所もまたいで

 

文人たちが繋がり合っているのが

 

感慨深く思えます。

 

 

 

文人だけでなく

 

 

人と人も同じこと

 

 

 

そして

 

もっとおしのべるなら

 

 

身分の上下も国境も人種も

 

そうしたものは

 

 

本来

 

一切ないのですね。

 

 

人間は人間

 

愛すべきは人間

 

 

森羅万象

 

 

 

 

菊の日本画

 

 

 

わたしは残念ながらお酒が嗜めませんが

 

 

それでも今宵は

 

盃に菊の花びらを浮かべてみたい

 

 

そんな気分、いたします。

 


 

 

もう秋ですね

 

 

 

最後までお付き合いを賜りまして

ありがとうございました。

 

 

 

KIMIÉ