チェ・ゲバラ
おはようございます
本日もよろしくお願いします
今日は
チェ・ゲバラ(1928 - 1967)の誕生日
医師、作家、ゲリラ指導者、外交官で
キューバ革命の主要人物でした。
彼の様式化された風貌は、
反逆文化の普遍的な象徴となり、
大衆文化の
世界的なシンボリックともなりました。
上:エルネスト・ゲバラ 1歳
下:バロに乗る3歳のエルネスト
チェというのは愛称で、
「やぁ」「おい」「ダチ」といった、
くだけた呼び掛けの言葉でした。
両親は共に上流階級の出身で、
大変に裕福で
経済的に非常に恵まれた家庭でしたが
ゲバラは未熟児として生まれ肺炎を患い
2歳のとき重度の喘息と診断され、
生涯にわたる持病になりました。
1952年6月にアマゾン川で
友人アルベルト・グラナドと
いかだは
治療したハンセン病患者からの贈り物
若い医学生だったゲバラは
南米中を旅し
貧困、飢餓、病気を
目の当たりにしました。
後の1960年8月19日、キューバ民兵への
革命医学演説で、彼は述べています。
最初は学生として、その後は医師として
旅行した状況により、私は
貧困、飢餓、病気と密接に遭遇しました
お金がないために子供を治療できない
抑圧された階級でよく起こるように、
絶え間ない飢えによって引き起こされる
茫然とした状態で、
父親が息子の死を
重要ではない事故として
受け入れることができるほどになる
その時、私にとって、
医学に多大な貢献をすることと同じ
重要なことがあると気づき始めました
私は
それらの人々を助けたいと思ったのです
ラテンアメリカへの
米国による
資本主義的搾取と見なされたものを
覆す手伝いをしたいという
高まる願望
彼は政治的イデオロギーを固め、
その後
メキシコシティでカストロ兄弟に会い
そして
米国の支援を受けた独裁者
フルヘンシオ・バティスタの
打倒を目的に
ヨット「グランマ」に乗って
キューバに向かいました。
ゲバラはすぐに反乱軍の間で名声を博し
副司令官に昇進し、
バティスタ政権を打倒する2年間の
ゲリラ作戦で
中心的な役割を果たしました。
1955年の新婚旅行。
メキシコ南東部のユカタン半島、
その北部チチェン・イッツァで
最初の妻ヒルダ・ガデアと。
チチェン・イッツァは
10~13世紀に繁栄したマヤ帝国の
首都の遺跡
ヒルダはペルーの経済学者、
共産主義者指導者、作家で
ゲバラの最初の妻でした。
彼女はゲバラをキューバの
反政府勢力数名に紹介しました。
上:サンタクララの戦い後 1月1日
中:ガザ地区を訪問
下:ユーゴスラビア訪問中にチトーと
サンタクララの戦いは
ゲバラ指揮下の革命家によるキューバの
サンタクララの占領につながりました。
兵力で10対1で劣勢だったにも関わらず
この戦いで、
フルヘンシオ・バティスタ政権を打倒
反乱軍の決定的な勝利となりました。
都市占領から12時間以内に
バティスタは3億ドル以上の蓄えを携え
ハバナからドミニカ共和国へ逃亡。
フィデル・カストロ軍は
全体的な勝利を収めたのです。
2年間の革命闘争による死者数は
2,000人でした。
1959年に結婚 継娘、子供たち
キューバ革命後、ゲバラは新政府で
重要な役割を果たしました。
これには、革命法廷で戦争犯罪人として
有罪判決を受けた人々の上訴と
銃殺隊の審査を行ったこと
産業大臣として農地改革を制定したこと
全国的な識字キャンペーンを
先頭に立ち支援したこと
国立銀行頭取と教育部長を務めたこと
などが含まれます。
キューバ社会主義の代表として
外交官として世界中を旅しました。
アメリカの爆撃で沈没した貨物船
「ラ・クーブル」
爆発事故の犠牲者追悼行進
コロン墓地へ行進する
左から
フィデル・カストロ
オスバルド・ドルティコス・トラド
チェ・ゲバラ
アウグスト・マルティネス・サンチェス
アントニオ・ヌニェス・ヒメネス
ウィリアム・アレクサンダー・モーガン
エロイ・グティエレス・メノヨ
サルトルとボーヴォワールと
後にサルトルは、
ゲバラを
「現代で最も完全な人間」と
書きました。
ゲバラはスペイン語に加えて
フランス語も流暢でした。
フィデル・カストロと 1961年
1964年
上:カイロでエジプトのナセル大統領
下:モスクワの赤の広場 11月
1965年
ゲバラはアフリカと南米の両方で
大陸革命を扇動するため
キューバを離れました。
しかし最初はコンゴ・キンシャサで失敗
コンゴ危機でゲリラ反乱に参加
偽名で変装したウルグアイのパスポート
上:ボリビアの田舎で 死の直前 1967年
下:訪れた国々を赤で表示した世界地図
武力革命に従事した3か国は緑色で
その後ボリビアで失敗、
そしてCIAの支援を受けた
ボリビア軍に捕らえられ、
即時処刑されました。
ゲバラは1959年、日本を訪れています。
その際、広島平和記念公園内の
原爆死没者慰霊碑に献花し、
原爆資料館と原爆病院を訪れました。
そして
なぜ日本人はアメリカに対して
原爆投下の責任を問わないのか
と問いました。
ゲバラは尊敬されると同時に非難される
歴史的人物であり続けています。
数多くの伝記、回想録、エッセイ、歌、
映画ドキュメンタリーの中で
二極化されています。
彼の認識された殉教、
階級闘争への詩的な呼びかけ、
そして物質的な動機ではなく
道徳的な動機によって動かされる
「新しい人間」の意識を創造したい
という願望の結果、
ゲバラはさまざまな左翼運動の
典型的な象徴へと進化しました。
対照的に
政治的右派の彼を批判する人々は、
彼が権威主義を促進し、
政敵に対する暴力を支持していると
非難しています。
あなたはどう思われますでしょうか
資本主義も共産主義も同じ支配者層が
つくり出したものです。
常に対立軸をつくって争うのです。
人類の歴史は常に戦いと共にあります。
これは今後も変わらないとするなら、
人類とは一体
そしてどこへ向かうのでしょうか
最後までお読みくださり
ありがとうございました
KIMIÉ
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