撮影終了
おはようございます
昨日は山梨で撮影、最終日でした。
朝、5時半に出発しました。
昨日もいい天気で、
すっかり夏の山々が眩しかったです。
車に揺られて高速を走り抜け
富士山は白化粧を落とし、
あれ、あれに見えるは富士山
といったような、
雪帽子がない姿は、一見
見間違えてしまうのでした。
寝る時間なく、出発したので
うつらうつらしながら
窓の外の景色に見入りつつ
現場に入り、
そして
無事この作品を撮り終えました。
わずかな間に
この間まで見知らぬ人だった人と
出会って話を交わし、
また
演技の範疇になかった役に取り組み、
両方から
自分にまったくない生活を垣間見て
偏狭な自分に少し幅を得たのか
どうだったか、
そんな思いがしてきて
多少の感慨が呼び覚まされるのでした。
そうして
また
来た道を帰りつつ、
夏の山を見ていました。
そうすると
心ん中で
つぶやいているわたしを見つけました。
何をつぶやいてるかというと
それは山頭火の歌で
分け入っても分け入っても青い山
あなたは山頭火、好きですか。
伝統的な音節規則の五-七-五
必須の季節性
その両方を欠く俳句を作りました。
うららかな鐘を撞(つ)かうよ
明治に生まれ
自由律俳句に自己の人生を重ねた俳人
大地主の種田家の長男に生を受けながら
10歳の時、
父の芸者遊びなどを苦にした母が
自宅の井戸で投身自殺し、
このことが放浪者としての
山頭火を決定づける基因となりました。
俳句を本格的に始めたのは15歳のころ
周陽学舎在学中で、
この周陽学舎は首席で卒業。
20歳、
早稲田大学大学部文学科に入学。
その2年後、
神経衰弱のため早稲田大学を退学。
父は酒造所買収しますが倒産し、
家屋敷を全て売却。
翌年、
山頭火は結婚し、子にも恵まれますが
破産。
古本屋を開業、だめで額縁屋に変更、
それも軌道にのらず、その間に
弟が自殺したことが山頭火をより一層
酒に向かわせる要因となりました。
大正14年、42歳、
曹洞宗で得度し、四国八十八ヶ所を巡り
大きな竹笠をかぶり、托鉢をして修行。
けれども酒を断つことはできず、
50歳、体調不良からくる精神不安定から
自殺未遂を起こします。
57歳、脳溢血で生涯を閉じますが
各地を放浪しながら
1万2000余りの句を詠んだ生涯でした。
うしろすがたのしぐれてゆくか
どうしようもない私が歩いている
濁れる水の流れつつ澄む
このみちや
いくたりゆきし
われはけふゆく
そうした山頭火のことを、
輝く夏の山並みを見ながら
走る車中に
思い出しました。
夏の山が深いです。。。
東京に近づいて、ドライブインで
お土産に漬物買いました。
びっくりする値で驚きました。
あなたにとって
ステキな火曜日になりますように
KIMIÉ
____________
本気で美人になることを望むなら
手探りを繰り返すより
その道に精通した人に習うのが
一番の近道です。
健康美でエレガンス
キミエ・メソッド
あなたの美のパートナー
KIMIÉ