母の日
おはようございます
昨日は母の日でしたね。
あなたは
何かプレゼントしたり、されたり
ありましたか。
わたしは息子が、本をくれました。
日本では
母親が健在の場合は、
赤いカーネーション
母親が亡くなっている場合は、
白いカーネーションを贈るのが
一般的なのですね。
「母性の賞賛」1869
ウィリアム・アドルフ・ブーグロー
母の日の始まり
それは
アイルランドとイギリスで、17世紀に
マザリング サンデイ
として始まったようで、
奉公人が実家に帰省した習慣でした。
ラッパスイセンを贈ったり、
ケーキを食べたりしました。
アメリカでは
南北戦争終結直後の1870年、
女性参政権運動家・平和主義者の
ジュリア・ウォード・ハウが、
夫や子どもを戦場に送るのを
今後、絶対に拒否しようと立ち上がり
「母の日宣言」を発しました。
ハウの「母の日」は、
「母の仕事の日」と称し
敵味方問わず負傷兵の衛生状態の改善に
地域の女性を結束させた
アン・マリア・リーブス・ジャービスの
活動、
そこにヒントを得たものでしだが、
普及しませんでした。
アン・ジャービス
けれども
ジャービスの死後2年経った1907年
その娘のアンナ・ジャービスは母を偲び
母が日曜学校の教師をしていた教会で
記念会をもちました。
母の日の創始者アンナ・ジャービス
これが日本やアメリカでの
母の日の起源とされています。
アンナは参加者全員に、
母親が好きだった白いカーネーションを
手渡し、このことから、
白いカーネーションが
母の日のシンボルとなったのです。
こうして「母の日」は
1914年、アメリカの記念日になり
5月の第2日曜日と定められました。
このような歴史があったことを知って
わたしも亡き母を思い
息子を出産した日のことも思い出し
しばし感慨に耽ったのでした。
母胎
「モナ・リザ 」
レオナルド・ダ・ヴィンチ
ルーブル美術館
「モナ リザ」は
ラ・ジョコンダの愛称で知られる
フィレンツェの織物商
フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻
モナ・リザの肖像画です。
母、モナリザ
彼女の第二子誕生を祝うために
レオナルド・ダ・ヴィンチに
依頼した作品です。
彼女は妊婦でした
ジョコンダ = 幸福な人
プラトン『饗宴』での
人間におけるみごもり
そのことを
数日前に書かせていただきましたが、
母胎という
男女ともにある年齢に達すると
精神的にみごもると説いた哲学を
レオナルドは
芸術という魂の表現を用いて
それをあらわしました。
それが
モナリザなのです。
あなたにとって
本日もよい日でありますように。
ありがとうございました
KIMIÉ
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