エロースとは
おはようございます
5月4日、緑の日で祝日ですね
本日もよろしくお願いします
昨日は
エロースがどんな性質をもっているかを
あなたとご一緒に
調べて終わりました。
古代ギリシアのプラクシテレス作と
考えられるエロスのコピー
ナポリ考古学博物館
そして
美しいことを求めて止まないのは、
美しさを欠いている存在だからと
判明したのでした。
美・アプロディーテの随伴者とも
子ともいわれるエロース神が
事もあろうに、美しさを欠いている
というのは、一体どういったこと
なのでしょうか
それでは醜い存在なのでしょうか
今日は
恋心と性愛を司るエロースの正体に
迫ります。
赤像式テラコッタ BC340~320
ウォルターズ美術館
ソクラテスはその昔
愛というものの奥義を
理想郷と謳われたアルカディア地方の
マンティネイアの巫女ディオティマに
授かったといいます。
プラトンの書に登場する人物は
ほとんどが当時、実在した人たちです。
けれどもディオティマに関しては、
この『饗宴』以外の当時の文筆家の書に
まったくその名が見られません。
なので
架空の人物として作られたのか、
どうなのか、
はっきりしたことは分かっていません。
ソクラテスは驚いて
ディオティマに聞きました。
それではエロースは、
醜いもので、つまらぬものなのですか?
するとディオティマは、
美しくなければ
必然的に醜いと思うのですか
さらに賢くない場合も、
それは無知だと思うのですか
知と無知との中間のものが
何かあることに気付かないのですか
何ですか、それは
正しいことを思いなしながら
説明することができないというのは、
知識を持っていることにはならない
かと言ってまた、それは無知でもない
それは
叡智と無知の中間にあると思うのです。
それゆえ
エロースは
神でもなければ人間でもなく
その中間の神霊(ダイモーン)
だと
ディオティマは言いました。
この神霊的なものはすべて
神と死すべきもの(人間)との中間、
偉大な神霊(ダイモーン)なのだと
明かし
人間からのモノを神へ、
神からのモノを人間へ伝播し送り届け、
世界の万有が一つの結合体で
あるかのようにしている者だと
明かしたのです。
ソクラテスは
その父と母は誰なのですか
と尋ね、
エロースの出自が明かされていきます。
アプロディテとエロース BC5~4世紀
ルーヴル美術館
愛の女神アプロディテが生まれたとき
神々は祝宴を催しましたが、
知恵の女神メティスの子術索のポロスも
加わりました。
祝宴を終えたころ、
大ごちそうのあるときの常として
困窮のぺニアが物乞いにやって来て、
戸口のそばにいました。
ポロスは神酒ネクタルに酔って
ゼウスの園に入り、
酔いつぶれて眠ってしましました。
そこでペニアは困窮から逃れるために
ポロスの子種を得ようと、彼の側に臥し
エロースを身籠ったのです。
アプロディテ誕生の祝賀のときに
生を受けたことから、
エロースは
女神の従者となったのです。
アンジェリカ・カウフマン 18世紀
メトロポリタン美術館
エロースは
術索のポロスと困窮のペニアの間の子
なので
大抵の人が考えるように華奢で美しい、
というような者ではありません。
薄汚く、宿無しで大地にごろ寝するのは
母の生を受けているからです。
けれども
父親同様に
美しいものとよきものとを狙い、
勇気があり、努力する者、思慮分別をし
生涯にわたり知を愛しつづける魔術師
なのです
神霊(ダイモーン)の本質
神は初めから全知全能な存在なので、
知者になろうと熱望することはなく
また無知蒙昧な者もまた知者になろうと
熱望することもないのです。
このことが無知の始末の悪いゆえんで、
自分は立派な人間でも
思慮ある者でもないのに
自分の目には
申し分のない人間にうつる点が。。。
ともかく、
自分は欠けたところのある人間だと
思わない者は、
欠けているとも思わないものを
自分から欲求することは
決してありません。
知を愛するのは
この両者の中間にある者です。
知は美しいものの一つであり、
しかもエロースは、
美しいものに対する
恋(エロース)なのです。
神霊の本質というものは以上の如きもの
と
ディオティマは解き明かしました
魂的・肉体的な出産
美しいものとはよきものです。
恋する人は、美しいもの・よきものを
自分のものにして、幸せになりたい
そしてそれが
永遠に自分のものであることを目指し
恋が常にそうしたものであるなら、
それをいかなる仕方、行為においても
追求します。
その熱意と努力とは、
恋と呼ばれうるのでしょうか
すべての人は肉体的にも精神的にも
妊娠、つまり生むものをもっています。
肉体のみならず精神、心といっても
差し支えないと思いますが、
魂も受胎・妊娠・出産をするのであり、
その原動力が
エロースに貫かれた真理認識で、
ソクラテスは、そこでの自分の役割を、
精神の子をみとる産婆の役に
なぞらえていたのでした。
アントニオ・カノーヴァ作 18世紀
ルーブル美術館
ある年齢に達すると、
自然にわれわれの本性は
産むことを熱望します。
それは死すべきものである生物のうちに
不死なるものとして内在しているのです
この妊娠と出産とは。
つまり恋は、
美しいものの中での出産と分娩を目指し
それは
死すべきものとして
この世にある者にとって、
出産は永生不死のものだからです。
このように
恋は必然的に
不死を目指すものでもあったのです
恋と欲望の原因
出産の欲望に駆られるとき、
どんなにすさまじい状態になるでしょう
まず交合することに、
次いで生まれた者の教育にと、
その心は病み恋をしている状態になり
そして子供のためには世にも無力な身を
最強のものと戦うことをも厭わず、
死ぬこともまた厭いません。
子らを育て上げるために、
すすんでわれとわが身を飢えさえなみ、
どんなことでもします。
その原因はなんなのでしょうか
永遠に存在し
不死であることができるのは、
この出生という方法によってのみ
可能だからです。
なぜなら、それは古いものに代わって
新しいものを常に残していくからです。
ウィリアム・ブグロー作 19世紀
人は幼児から老人になるまで
同一人と呼ばれます。
髪でも血でも骨でも常に若返っていて
また失うものもあります。
肉体だけではなく魂に関しても
性向、人柄、意見、欲望、快楽、苦痛
いずれも同一不変ではなく
あるものは生じ、あるものは滅びます。
けれどもそれよりもはるかに奇異なのは
じつに知識というものです。
知識に関しても同一不変の者ではなく、
たえざる変化の状態にあります。
復習するという行為が知識に関わるのは
知識が逃げ出すものと考えられてのこと
忘却は知識が逃げ出すことで、
復習は、去っていく記憶の代わりに
新たな記憶を植え付けることで、
再びその知識を保全し、
その結果それが同一の知識と
思えるようにすることです。
この方法によって
死すべきものはすべて保全されます。
古くなり去り行くものが、
かつての自分と同じような
別の新しいものを
後に残していくという仕方です。
この工夫によって死すべきものは、
肉体でもそのほか何でも、
不死にあずかるのです。
熱意と恋とが
すべてのものに随伴しているのは、
じつに不死のためだからです。
人間の名誉心も同じことです。
不滅の名声を永遠に打ち建てることへの
恋心にために、どんなに異常なほどの
心理状態になるでしょうか。
アキレウスがパトロクロスの後を追って
死んだように。。。
不滅の徳、輝かしい評判のために
人はどんなことでもするのです。
しかも立派な人間であればあるほど。
人は不死なるものを恋い求めるからです
魂の上で身籠っている人は、
いったい何がその相応しいものでしょう
それは
知恵とそのほか、もろもろの徳です。
これらの生みの親は
すべての詩人と、技工家の中でも
発明家と呼ばれる人々。
その知恵の中でも際立って最美なものは
国と家とを治め斉えることに関する
知恵です。
それには
節制と正義という名がついています。
こういう人は
現し身の子供による繋がりよりも
はるかに偉大なつながりと
しっかりした愛情とをもつことになり、
それは
より美しく より不死なる子供を
共有しいているからです。
ホメロスやヘシオドスや、そのほかの
すぐれた詩人たちを望み見て、
羨むでしょう。
つまりその子供というのはそれ自身、
不死なる名声と想い出とに値するので
これらのものを
かの詩人たちに付与しているのです。
さらに
ソロンもまた法律を生み出したために
尊敬の的になっています。
いろいろな人が多くの偉業を現し、
あらゆる徳を生み出しました。
それらの人々には
そのような子供のゆえに
今までに
神殿がたくさん建てられたのです。
人間としての子供のゆえにそうなった者
そうした人は、未だ一人もいないのです
さあ、今日も長くなってしまいました。
窮まる最奥の秘儀、これまでの窮極目的
それは明日、
お届けさせていただきたいと思います。
どうぞ明日を
お楽しみになさってくださいね
本日も最後までお付き合いくださり
本当にありがとうございました。
あなたにとって
善いゴールデンウィークと
なりますように
KIMIÉ
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本気で美人になることを望むなら
手探りを繰り返すより
その道に精通した人に習うのが
一番の近道です。
健康美でエレガンス
キミエ・メソッド
あなたの美のパートナー
KIMIÉ