日本大震災から12年が
昨日
東日本大震災から12年が経ちました。
午後の2時46分のことでした。
あの瞬間から止まってしまった永久時計
ジャガールクルト アトモス
この場を借り
犠牲となった方々へ
心より哀悼の意を捧げます。
このような記念式があったので
動画同時配信で
祈念をさせていただきました。
東北地方太平洋沖地震は、
2011年3月11日 金 14時46分18.1秒
日本の三陸沖の太平洋を震源とした
超巨大地震でした。
地震の規模はM9.0で、
国内の観測史上最大規模でした。
また
宮城県栗原市で最大震度7が観測され
震度7が記録されたのは、
1995年
兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)
2004年
新潟県中越地震
以来、観測史上3回目でした。
地震とそれに伴う大津波、
その後の余震は
東北から関東にかけ
東日本一帯に
甚大な被害をもたらしました。
死者19,759人
行方不明者2,553人
計約2万2千人
負傷者6,242人
日本における第二次世界大戦後最悪の
災害といわれています。
国際原子力事象評価尺度で
最も深刻なレベル7と評価された
福島第一原子力発電所事故も
併せて発生しました。
津波後の状況は、
注水・除熱の途絶えた1号機が
最も切迫していました。
注水が間に合わず原子炉の水位が低下、
水素が発生、炉心損傷に至りました。
また
発生した水素が原子炉建屋に漏洩し、
津波から約1日後の3月12日午後3:36
水素爆発が発生しました。
1号機の水素爆発により、
2号機では
敷設していた電源ケーブルが損傷、
3号機でも
準備していた電源ケーブルが損傷し、
3号機は高圧注水系の停止後、
減圧に時間がかかり、水位が低下、
水素が発生、炉心損傷に至りました。
また
発生した水素が原子炉建屋に漏洩し、
津波から約67時間後の
3月14日午前11:01
水素爆発が発生しました。
2号機では
3号機の水素爆発から約2時間後に
原子炉隔離時冷却系が停止、
この後の減圧に時間がかかり、
水位が低下、炉心損傷に至りました。
4号機では
3号機の格納容器ベントに伴って
放出された水素が
原子炉建屋内に流れ込み、
水素爆発を引き起こしました。
あなたは3月11日の地震発生時
何をしていたか、
よく覚えていらっしゃることでしょう。
こんなことを
書いてはいけないのかもしれません。
けれども
わたしはいまだに不可解で
なんだったのだろうと
思い出すことがあります。
前日の
3月10日の朝、
わたしは毎朝の習慣で
NHK FMラジオ番組『バロックの森』
6時の放送を試聴しようとしてました。
けれども
一向に番組は開始されず
代わりに
津波情報を伝えていました。
ずっとです。
何時間もずっと
それが不可解でなりませんでした。
今でも
今日のブログをどんな言葉で
締めくくればよいかわかりませんが、
今でもあの災害は
終わったわけではありません。
多くの方が突如 運命に翻弄され
日本中の誰もが影響を受け、
今日まで引き摺っています。
広島、長崎で原子爆弾によって被爆し
福島で新たな受難が課せられました。
日本の未来を
危惧しないわけにはまいりません。
わたしたちには
何ができるのでしょうか。
しかし
最後に
国を動かす力は、人民にあるのです。
そこに
希望の光があるのですね。
恐れずに負けずに
真実を見つけてゆきたい
黙祷と共に
そうした思いに駆られました。
KIMIÉ拝
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手探りを繰り返すより
その道に精通した人に習うのが
一番の近道です。
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KIMIÉ