チューリップマニア
あなたはチューリップ好きですか?
わたしは大好き
子供の頃、クレヨンで最初に描いた花は
チューリップではありませんでしたか?
冬になると
チューリップと出会えるのを
幸せに感じて暮らしてます。
花市場には様々なチューリップが
登場しますが、
それでもこの数年、
だいぶ減ってきてます。
価格も3割以上、高騰しています。
家に持ち帰ったチューリップは、
じっとしていません。
暖かい部屋だと、
大きな花弁を大きく開いて
あなた
チューリップだったんじゃなかったの
というくらい、
形状が変化するのです。
茎のラインを曲げて
上下へ向けてみたり
左右に伸ばしたりと
さわぐのです。
切り花では
1週間から10日ほどのもちですが
鉢植えや、庭植えは
長く楽しむことができますね。
早春を象徴する花です。
チューリップといえば
オランダが有名ですが、
東洋と西洋の違いが感じられます。
西洋では、
一輪でその存在感を発揮する花を
好みますが
東洋では、
桜や梅に代表されるように
たくさんの小花が集合して咲き誇る
姿を愛でます。
いずれにしても
花は
わたしたちの生活を
どれほど彩ってくれることでしょう。
花のない暮らしなど考えただけでも
ゾッとします。
祝いの場に、花が見られないことほど
寂しいものはありません。
お別れの場にあっては、
花はわたしたちの悲しみに寄り添い、
なだめてくれます。
今日は
大事な知人の船旅からの帰国に、
春を告げる
4種のチューリップと
白いカーネーションを
花束にして
お持ちします。
水をしたキッチンペーパーを
オイルペーパーで包み
パラフィンで包み
セロテープは使わず
ホチキスで止めます
リボンの裾を長くし蝶々結びにしました
あなたはチューリップというと
なにを思い出しますか?
チューリップの花から生まれた親指姫
もありましたね。
19世紀 デンマークのアンデルセンの
代表作のひとつですね。
チューリップは子どもと
とても仲良しなんです。
ですが
それとは対照的に、
17世紀のオランダで
チューリップが投機の対象となって
大規模なバブル経済を産んだ
チューリップバブルも思い出します。
それほど
チューリップというユリ科の花には、
独特でめずらしいエキゾチックな魅力
排他的で、装飾的な洗練が加味されて
備わっていたということでしょうか?
本日は
チューリップに惑わされ、
人を狂わせたお話を
お聞きください。
15世紀に
オスマン帝国
(トルコ系イスラム国家)は、
ペルシャから
チューリップの栽培を引き継ぎました。
最も高貴な花として、
スルタンの庭園に大量に植えられ、
その首都コンスタンチノープル
(現在のイスタンブール)を経由して
ウィーンに到着したのです。
チューリップの導入は、
園芸文化における「東洋の時代」の
先駆けとなり、
ヒヤシンス、水仙、カーネーション
ユリなどが西ヨーロッパの庭園に進出し
高い評価を得ました。
植物への感謝によって結ばれた愛好家の
サークルは、
貴族、学者、教育を受けた裕福な市民が
農業ではなく趣味として愛でたのです。
1637年のカタログに掲載された
アドミラル・フォン・デル・アイク。
価格は年収の3倍。
ヒェ〜 アンビリーバブル〜
チューリップの球根が
ウイルスに感染すると、
突然変異が起こって
美しい模様の入った花を咲かすことが
あるのですが、
当時の科学では解明されておらず、
高値で取引されるようになったのです。
そうなんだ〜
模様のある花の球根を買っても、
次に模様がついた花が咲くとは
限らないにも関わらず・・・。
えっえェ〜
稀有で新鮮な珍種は、
富裕層のステータスとしても
彼らを熱狂させたのですが、
そこに
巨万の富をつかむ可能性を求めた
転売がもくろまれ、
市民全般に欲望の火を注いだのです。
取引場所は
証券取引所ではなく、
いわゆる大学に商人が集ったようです。
特定のホステルやパブにも。
最も高価なチューリップの
センペル・アウグストゥス
チューリップ マニア(バブル)は、
黄金時代のオランダで
1634年に始まり
3年後、突然終了しました。
価格が沸騰し、最高値のときには、
当時の一般的な年収の
10倍以上で販売されたのです。
ヒェ〜考えられますか〜
ありえない〜
家一軒とほぼ同じ価値がありました。
ヒェ〜
球根1個に対し、50㎢の土地との交換の
申し出もあったとも言われています。
ヒェ〜
転売益を目当てに買う人々で、
値がどんどん上昇していったのです。
けれどもこれは
球根を高値で買い求める人物が
現れ続けない限り、
持続不可能なお話・・・
オランダ東インド会社の
貿易の中心となって
莫大な利益を上げていた
アムステルダムの投資家。
その多くが、
チューリップの下落で破産します。
原因は、ペストの大流行とも。
これは
世界初のバブル崩壊を
引き起こしたのです。
成り金を急増させたバブル時には
黄金の餌が
目の前にぶら下がっていたのです。
それはまるで
蜂蜜のつぼにハエが群がるように
人々は引きも切らず
チューリップ市場へ押し寄せました。
チューリップ熱は
永遠に続くかのように見えました。
世界中の金持ちがオランダに注文を出し
こちらの言い値で買ってくれるだろう。
ヨーロッパの金持ちも集まってくるし、
好景気に沸くオランダは
貧乏人などいなくなるに違いない。
誰もがそんな想像を巡らせました。
貴族、市民、農民、商人、漁師、従者、
使用人、煙突掃除人や洗濯婦までも
チューリップに手を出したのです。
さて
言い得て妙な一枚の絵をご覧ください。
この一枚の絵画は
チューリップバブルを
見事に言い表しています。
ヤン・ブリューゲル
『チューリップマニアの風刺』1640年
フランス・ハルス美術館
(オランダのハールレム)
投資家を、
現代的な上流階級の服装を身に着けた
頭脳のない猿に描いています。
経済的な愚かさに関する解説によれば、
ある猿は
以前は貴重であった植物の上に放尿し
別の猿は
破産裁判所に出頭し
また別の猿は
墓に運ばれています。
ところで
今までお聞きいただいた
チューリップバブル、
現今と重なって浮き上がり
みえてくるものはないでしょうか?
一儲けを目的に転売の参加者が
市場にあふれている現在
来年は
新札に切り替わることから
銀行封鎖もあり得ると耳にしたり
次期日銀総裁も決まった様子
デジタル通貨導入もプログラムに
入ってくることでしょう・・
新自由主義ってなんだ
価値の倫理を
どこに定めるのか
これは大きな問いですね。
それが人の幸せを決めます。
自分に言い聞かせてるのだわ
本日は
チューリップバブルから
学ぶことがあるように思い、
お付き合いを賜りました。
拙い文を
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。
KIMIÉ
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