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女優&モデルのテクニックを使った

ビューティーメソッド

 

ベストクオリティーな

美人に変身する美容術

 

アカデミー・デ・ラ・ボーテ

主宰   

真行寺君枝

 

オープン間近

 

女性の美しさは

その人の魂の真の美しさ

愛情のこもったケア、情熱によって

時とともに増していくもの

ー オードリー・ヘップバーン ー


 

 

 

 

 

 

■【感動】90歳まさに美魔女

 

モデルのカルメン

 

 

90歳の現在も現役モデルの

カルメン デロリフィチェ(1931~)さんを

知ったのは、

 

 

5年前の、

パーソル(労働者派遣会社)のCMでした。

 

 

日本人は

おとなしい美人

ナチュラルメイクが好きな傾向にあるので

カルメンさんのような着飾り方には

少し抵抗があるかもしれません。

 

でもですね

 

90歳でこれだけ美を保ち、

女性性を捨てずに

背筋をピンと伸ばして

前を見つめて生きている姿勢は

 

見習うべきものがあると

わたしは思います。

 

全身に気合がみなぎってます。

 

 

美意識

オシャレ感覚

 

絶対に見習った方がよいと

わたしは思います。

 

 

 

 

 

 

さて

パーソルという会社をまったく

知らなかったので調べてみると、

 

 

創業者は

篠原欣子(よしこ 1934年~)さん。

 

アメリカ・フォーチュン誌

「世界最強の女性経営者50人」に

2000年から12年連続で選出されました。

 

すごいですね。

 

 

お二人とも

ドメスティックではありません。

世界を舞台に活躍し続けている

その

原動力を学びたいと思います。

 

 

そして

 

お二人に共通の

 

屈することない底力

 

与えているもの、

 

その正体も見えてきました。

 

 

それは後述することにして、

 

 

 

まずは

90歳 驚異の美魔女カルメンの

モデルという

波乱万丈の人生を

たどってみたいと思います。

 

 

1931年、

大恐慌のニューヨークで生まれました。

父親はイタリア人のミュージシャンで、

ハンガリー人のバレエリーナだった

母親より20歳も年上でした。

 

母親はカルメンさんを20歳で出産。

カルメンさんは福祉施設で過ごしたり、

親戚と住んでいたこともありましたが

 

11歳のとき、

母と娘は一緒にニューヨークに

引っ越しました。

13もの学校を転々としたそうです。

 

 

そしてカルメンさんは

長年の貧困から

 

心臓弁のウイルス性感染症のリウマチ熱で

結果的には、

諦めなければならなかったバレエですが、

 

それは彼女が

人生で初めて情熱を傾けたものでした。

 

 

けれども転機は

レッスンの帰り道で起こりました。

 

13歳の彼女は

バス停でスカウトされたのです。

 

モデルのカルメン

 

そしてその2年後には、

 

ヴォーグと契約する幸運が

おとずれたのでした。

 

 

モデルのカルメン『ヴォーグ』

 

20世紀の最も偉大なカメラマンたち、

 

ホルスト、

 

モデルのカルメン

 

 

セシル・ビートン、

 

アヴィング・ペン、

 

 

モデルのカルメン

 

アヴェドンらは

 

こぞって彼女を撮りました。

 

サルバドール・ダリ

ミューズでもありました。

 

 

こうして

 

一流の芸術家と仕事を続けることができた

カルメンさんは、

 

私生活では3回の結婚を経験しました。

 

 

モデルのカルメン

 

ポンジ・スキーム(マドフ事件)の詐欺で

全財産を失ったこともありました。

 

それでも 

そのときには、

 

「ベッドルーム一つのアパートがある」と

自分自身を鼓舞したそうです。

 

 

ちょうど

ロレックスのキャンペーンを

終えたところでもありました。

 

モデルのカルメン

 

 

こんなところで 

わたくしごとを挟むのは恐縮ですが、

 

わたしにも色々な経験がありますが

 

当時結婚していた夫の会社が

バブルの煽りが原因で

言ってみれば詐欺に引っかかったとも

言えるのですが

 

わたしは全財産を

この会社に投資していましたが

 

バブル崩壊で倒産しました。

 

 

ひと月先、

生きているか死んでいるか

わからないような心情でした。

 

でも

まだ子供が小さかったので

自殺しようとは思いませんでした。

 

 

しかしその後の2000年の

ミレニアムのスパイラルデフレで

わたしは力尽き、破産しました。

 

そして住む場所を家を失ったんですね。

今までで、

これが一番きつかったです。

 

いや〜

人生って

人一人の人生、

短いようでいて

色々あるものですね。

 

 

モデル業界とか芸能界とか

華やかに映る世界ですが、

その反面、なんと言ったらよいのか

適当な言葉が浮かびませんが、

うかうかしていると と言うか

 

しっかりとした心構えがないと

足を掬われてしまうのですね。

教訓です。

 

それで

わたしの場合は

哲学に救われ、

ソクラテスを知ったのですけれどもね。

それは

また別の機会に

マイヒーロー・ソクラテスを

語らせていただければと思います。

 

ひとことだけ申し上げますと、

まずはじめ

その死に際に驚愕したのです。

 

不正な裁判で死刑判決を下されながら

 

微塵の恐怖も抱かず

 

いつもと寸分違わぬ態度

 

黄泉の国へと旅立ったことに。

 

 

それが発端で

それから20年間、

 

仕事に専念しなければならない

状況だったにもかかわらず、

知識欲に駆られ

 

人として生きる上で

 

最も大事なものを

 

発見する思いで学び続けました。

 

 

 

さて本題に戻りましょう。

 

カルメンさんは

ロンドン芸術大学から博士号を

授与されました。

 

実は彼女は文盲でした。

 

それだけ、学生時代

厳しい環境に

身を置いていたと言うことですね。

 

また当時は、

 

女優、モデル、売春婦は

同等に見られることが多く、

印象の良くない職業で

 

看護婦か秘書になることはできましたが

女性に期待するものはだったそうです。

 

 

しかし

 

カルメンさんは言います。

 

モデルのカルメン

この世のものとは思えない存在の実在

カルメン・デロフィス

 

 

 

新しいことを学ぶ

 

勇気を持つことが大事だと。

 

学ぶということは一生続くプロセス。

 

わたしたちは特定の言葉に関して、

 

固定観念を持ってしまう。

 

 

人生において新しい選択をし、

 

新しい仕事にチャレンジしたり、

 

何かそれまでとは違うことを

 

学んだりする自由があるのに、

 

怠惰になったり、

 

成功に臆病になったり、

 

拒絶を恐れたりして、

 

自ら制限してしまっている と。

 

 

マンネリ化はいけないわ。

 

ずっと最悪の気分が続いているとしたら

 

自分で変えられるはずなのに、

 

見ようとしていないものが

 

何かあるはずよ。

 

 

モデルのカルメン

90歳の変わらぬカルメン 

昨年末クリスマスと新年を祝う

メッセージ写真

 

 

写真を

力強いものにする 要素は、

 

それを見た人が

 

理解すべき物語を語っていて

 

想像力を刺激するかどうか。

 

 

嬉しい気持ちになったり、

 

心の琴線に触れて

 

美的感覚をくすぐられる。

 

 

力のある写真は

人をいい気分にさせる。

 

 

人がごった返している写真であっても、

清らかさを感じられるようなもの。

 

写真は

カルメンさんにとって、

ある種の清浄なのです。

 

 

 

ここで またまた主観を挟み

重ね重ね恐縮ではございますが

 

 

写真というものは

 

見えないものを

映し出す力

 

持っているんですね。

 

 

それが写真のすごいところですよね。

 

でも今って、

なんだか実用にばかり走っていて

 

芸術ではない方向性に

引っ張られていませんか?

 

イメージの時代ではないんですね。

 

想像力を働かせないで

いい時代なんですかね。

 

「ズバリ」ばかりでは、

現実的すぎ

 

わたしのようなものには

ちょっと息苦しさがあります。

 

 

 

パーソル社の広告に起用された

カルメンさんは

それに伴うインタビューで語りました。

 

 

幸せは

与えられることを待っていないで、

内側から作り出さなければならない

 

情熱を持てないでいる人に

カルメンさんはアドバイスしています。

 

あなたが、自分の船の船長」なのだと。

 

 

 

■【リスペクト】篠原欣子さん

 

大恐慌という

 

20世紀の中で

最も長く、

最も深く、

最も広範な不況の直中に

 

この世に生を受けたお二人。

 

 

パーソルの創業者 篠原欣子さんと

 

カルメンさんは3歳違い。

 

同じ世代を生き抜いてきました。

 


 

ニューヨーク株式市場の

株価大暴落を端に発し、

 

アメリカを皮切りに

 

世界的に起こった深刻な

経済恐慌は、

 

日本の農村では

 

娘を売る身売りや

欠食児童が急増したのでした。

 

また

1935年には

 

公共土木事業が打ち切られ、

生活できなくなって

 

大陸へ渡る人々も増えたのです。

 

 

 

 

そうした只中にあって

 

カルメンさんの母親

篠原さんの母親

 

女手一つで、

立派に

子供を育て上げました。

 

カルメンさんは、

苦労して自分を育ててくれた

母の期待に応えたい

その一心で生きてきたのです。

 

それが、それだけが

何が起ころうと

唯一の心の支えだったのです。

 

 

 

一方の篠原さんは、

 

苦労を背負った

 

母の背中を見て育ちました。

 

 

 

そうして

 

女性が働きやすい環境づくりを目指し、

 

資本金100万円、

 

六本木のワンルームで

 

38歳のときに設立を果たしました。

 

 

しのh

 

 

社会のお役に立つために、

 

自分は何ができるのか?

 

 

社会貢献として、

 

いったい何ができるのかを、ずっと

 

考え続きてきた結果なのだそうです。

 

 

1934年、神奈川県に生まれ、

 

8歳のときに父親が病死して

 

お母様は助産婦をしながら

 

5人の子供を育て上げました。

 

 

そうして

 

将来は母のように働く女性になりたい

 

強く思うようになったのだそうです。

 

 

愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛

 

 

 


最後までお読みくださいまして

ありがとうございました。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

あなたのお母様は

 

どのような人になってほしいと願って

 

あなたをお育てになられたのでしょうか?

 

 

歳を重ね、60を過ぎた今、

 

年毎に、

 

母の心を継ぐと言いますか、

 

自分とが重なっていくように感じられます。

 

 

そうですよね。

 

 

もしもこの世に自分の生きた証を

 

遺せるとしたら、

 

それは子供ですものね。

 

 

 

いつかは死ぬことが

 

運命づけられている人間にとって

 

出産という命の循環こそ、

 

永生不死に通じるもの、

 

 

不死を目指すものだから。

 

 

というのは、

 

プラトン『饗宴』に記されています。

 

 

 

今日も

 

あなたにとって

みのりある日でありますように ハート

 

 

■アカデミー・デ・ラ・ボーテ

 

 

カルメンは言います。

 

一流の芸術家たちと仕事をしてきて、

 

その影響を受けてきたの。

 

たとえば縫製や

 

パターンメイキングを始めたのも、

 

わたしの中に表現すべき

 

デザインのセンスがあるからだわ。

 

時にはそれは家の中や、

 

作る料理、

 

生活にも多く表れる。

 

わたしは自分自身をデザインするの。

 

 

 

 

 アカデミー・デ・ラ・ボーテ は、

 

それを

 

あなたのものにするための

 

身につけるための

 

レッスンです。

 

 

 

 

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