【タイガースの切り抜きはグラビア写真がほとんどで、記事はあまり無いのですがこんな記事を探しました。当時の記事なので内容的には、??? や間違いがありますが訂正はしていません。創作部分が多々あると思って読んでくださいね】

 

 そのときジュリーは ? !

 

目撃者が語る 沢田研二19年間の5大事件特集

 " 現代の奇跡 " "栄光のプリンス " タイガースの沢田研二こそ、その名に価する前代未聞のトップ・スターだ。波乱のドラマにみちたジュリー物語りは数々紹介されているが、なお知らざる秘密とナゾは意外に多い。ジュリーの半生を襲った5つの事件に焦点をしぼり、目撃者100人の証言をもとに内幕を徹底的に取材した " 決定版ジュリーのすべて " を敢て発表する !

 

1 ジュリーにはなぜ暗い影がつきまとうのか ?

 

 「気の強そうな子や、きっと人の上に立つ人間になるで」ジュリーが生まれたとき、祖父はそういって眼を細めた。

 父松雄さん、母智恵子さんの次男坊。2つちがいの長男暢郎さんより歩き出すのが早かったほど。元気な子だった。知能指数も高く、幼稚園の運動会ではいつも1等。まわりの子どもたちと歩調を合わせるのがアホらしくて、途中でやめてしまったくらいだ。

 明るくてヤンチャで、チビッ子たちのリーダーだったジュリー。6歳のとき、妹の三千代ちゃんが生まれた。ジュリーは手を打って喜んだ。けれども三千代ちゃんは先天性脳性小児マヒだったのだ。

 その事実をジュリーに話したときのことを、父の松雄さんはこう回想する。「まだ小学校1年の研二にいうのはつらかった。お父さんもお母さんんも、三千代の世話にかかりきりになるだろうから、自分のことは自分でしっかりやっておくれ。いって聞かせたとき、研二は悲しげにうなずきました。明るかったあの子が無口になったのはそれからですが、親に心配をかけるようなことは何もしなかった。それがかえっていじらしくて・・・・」

 三千代さんの病状は今も変わらない。テレビのジュリーを見て " チーチャン " と指さすのが精一杯。むろん母の智恵子さんが四六時中つきっきりだ。

「私は研二のステージをみたことがりません。三千代から片時も離れることができなくて・・・・。母親として、もっと研二の面倒をみてやりたかったと、あの子のことを思うと胸がいっぱいになるんです・・・」

 小学校時代の親友だったて小鴨芳直君はいう。「いつか沢田君と銀閣寺の方へ行ったとき "どこか遠くへ行きたくなった " " 早く妹のために働きたい " なんて、さびしそうに話してました。それまではよく研ちゃんの家で遊んでたのに、声をかけると自分から表とび出して来るようになった。夕方、三千代さんを乗せた乳母車を押してるのを見たこともある。ふっと涙ぐんだりするようになったのも、それからですね」

 ジュリーの家の付近にあるガソリン・スタンドの主人も、当時のことをおぼえていた。「いつもひとりぼっちでね、ウチのガレージの壁にボールをぶつけては、キャッチボールの練習をしてましたよ。1度お客さんのクルマの窓ガラスを割っちゃって、あわてたことがあるけどね」

 3年から担当になった京都第三錦林小学校の高屋先生は、こんな思い出話をする。

「頭のいい子でしたが、急におとなしくなって、あまり仲間と遊ばず勉強するように変わりました。5、6年のときはクラス委員だったと思います。ひとりで校庭に立ってるところを、よく見かけましたが・・・・」

 卒業直前、学校の廊下で転倒し、右手首を骨折した。その傷あとは今も残っているが、岡崎中学へ進んでからは、野球がジュリーの孤独をなぐさめてくれた。彼は自分で自分に打ちかつ強い意志を、ようやくはぐくんできたのだ。

 2年生の秋には野球部のキャプテンに選ばれ、投手兼一塁手で4番を打った。岡中の野球部長だった西岡康男先生はいう。「ふだんおとなしかったが、根性はすごかった。府大会の優勝戦で、外野からバックホームしたボールが主審のプロテクターに当たって転々し、そのスキに得点されたときは、顔色を変えてカミつきましたよ。ケンカも相当やったらしい。よその中学の生徒とやり合っても、絶対負けなかったそうだがね」

 悲惨な家庭環境が、少年の心に暗い影をきざみつけたことは争えない事実だ。ジュリー自身「今では両親の気持ちもよくわかったし、妹をいじらしいとも思う。でもあの頃は、正直にいって、三千代のことを恥ずかしい、いや、憎たらしいと思ったことさえありました・・・・」

 と、胸をつまらせて告白する。さびしい小学生時代を送ったジュリーが、中学では野球に熱中し、ケンカっ早い "硬派 " に変わったという過程は複雑だ。

 

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              西岡康男先生('76年写真集「僕の中の男たち」より)