バンド内部の上下関係

 

近田 その頃、共同生活はまだ続いていたんですか。

 上京して4年目くらいには、上目黒の合宿から沢田が出て行き、続いてタローと岸部おさみも出て行った。結局、僕は最後までそこに住んでたんですけどね。どうせ辞めるんだから、今引っ越してもしょうがないだろうと。

近田 その頃は、他のメンバーもタイガースから気持ちが離れつつあったんですか。

 それなりに、それぞれ外の世界との付き合いも生まれていましたからね。沢田研二は、ソロとしての活動を見据えていただろうし、岸部おさみの中には、すでに役者になろうという気持ちが芽生えていたと思う。

近田 じゃあ、シロー君は、加入した時点で、このグループの未来はそう長くないという気配を感じ取っていてのかもしれませんね。

 タイガースというのは、コーラスグループも十分やっていけるクオリティを保持していたと思うんです。それに関しては、すぎやまこういちさんにも太鼓判を押されたことがある。何しろ、音域が広いんですよ。下の音は岸部おさみ、真ん中に沢田がいて、その上に森本太郎、そして一番の高音部は加橋かつみ。

近田 その一角が崩れるという事実には、かなりの危機感を覚えたことでしょうね。

 でも、そこを岸部シローが見事に補填した。もしも、タイガースがコーラスグループの道を選んだなら、死ぬまで一緒にやれたかもしれない。ザ・フォー・シーズンみたいな方向性もありえたんじゃないかな。まあ、その場合、ドラマー専任でコーラスには参加しなかった僕は、用済みで放り出されちゃったかもしれないけど(笑)。

近田 タイガースって、バンド内部に上下関係がないですよね。

 何にもない。平等でした。GS業界は、結局、先輩後輩の序列に厳しいかったけど。

近田 カップスも、長幼の序なんか全然気にしなかったでしょ。

 自由な感じに振舞ってたからそう見えたかもしれないけど、それなりに秩序はあったんだよ。そもそもその辺をきちっとしないと、あの世界では生き残れない。

近田 無類っぽいエディ藩がそんなこと言うなんて、ちょっと意外だね。

 例えば、シャープ・ホークスの安岡力也って、強面に見えるじゃない。ところが、意外と可愛いところがあるんだよ。

 本当はかなりおとなしい性格なんだよね(笑)。

 でも上下関係にはすごくうるさい。俺、力也に云われたんだ。「お前さ、普段、俺と2人っきりでしゃべってる時はタメ口を利いてもいいけど、そこに少しでも目上の人がいたら、俺に対しても敬語使わなくちゃダメだぞ」って。

近田 力也さんって、コウちゃんより年上だっけ ?

 同い年なんだけど、デビューは向こうの方が1年早いんだよ。そこはけじめを付けなきゃいけないって意味だったんだと思う。伊達に長くやってないなと感心したね。

近田 特勝な態度だね(笑)。

 俺も、カップスのみんなに「やっぱり、周囲に可愛がってもらわなきゃいけない」と、態度を改めるように促したよ。それからはおべんちゃらも出るようになった。

近田 カップスらしくないなあ(笑)。

 

 板倉「キャンティ」と川添象郎

 

近田 あの時代は、GSのバンドのメンバー同士で、結構交流があったものですか。

 俺とピー、それからテンプターズの松崎由治の3人はよくつるんでたよね。平河町のディスコ「パシャ・クラブ」にはよく行ったもんだよ。イギリスから来日してたクリニックというグループがハコバンで出てて、そのハモンドオルガンが聴きたくってさ。

 そうだったっけ ? 僕は全然音楽なんて気にしてなくてさ、あそこにいたフランス人のゴーコーガールに夢中になっちゃった。

 それで、付き合っちゃったんだよな(笑)。

 彼女がフランスに帰り、しばらくするとお互いの気持ちは冷めちゃったんだけど。

近田 それ以外に、よく通った店はありますか。

 GSの連中は、ちょっと人気が出てくると、決まって、生意気にも板倉のイタリアンレストラン「キャンティ」に行くようになるんだよ。

 あそこでは、必ず誰かに会ったよね。ムッシュ(かまやつひろし)とか、(内田)裕也さんとか。

近田 あの店のオーナー夫人だった川添梶子さんは、「キャンティ」一画に、「ベビードール」というブディックを開店していました。

瞳 タイガースの衣装は、ほとんど「ベビードール」で作ってたんですよ。一度だけ「コシノジュンコ」で誂えたけど、正直、センスが合わなかったなあ(笑)。

近田 あの一族の川添象郎さんは、アルファレコードの設立に参画したりと、音楽界にもかなり関わりが深い。

 あの人、もともとフラメンコのギタリストだったんだけど、その腕前がものすごい。加橋かつみのライブで共演させてもらった時、あんまり上手いもんだから、恐れ入って、俺はステージから逃げ出したくなっちゃったよ。

近田 川添さんは、伝説には事欠かない傑物ですよね。「脳梗塞と心筋梗塞をやった人間はいるだろうけど、それに加えて、身柄拘束まで経験したやつはいない。この三つを制覇したのは俺だけだよ」と豪語してた(笑)。

 何回も逮捕されてるからね(笑)。

 日劇ウエスタン・カーニバルの終演後は、毎回3人で羽を伸ばしたもんだよね。

 マネージャーの中井さんも厳しかったし、メンバーの森本太郎も堅物だつたから、普段はなかなか遊べなかったんだよ。

 さすが、天下のタイガースは管理が厳しいね。カップスは、はねっ返りが多いから遊んでばっかりだった。地方のキャバレーなんかに営業に行くと、その当時は反社会的な方面が裏にいることが多かったんで、彼らに監禁されちゃうんだよ。「こいつら、放っとくと全員逃げちゃうぞ」って(笑)。そういう噂が広まっていたんだろうな。

近田 ウエスタン・カーニバルは、毎回、一週間にわたって開催されていました。その期間こそが、彼らの目を盗む貴重な機会だったんですね。

 ピーは、遊びたくってしょうがなくってさ。舞台がはねると、待ってましたって感じで、「行こう行こう」と誘ってくる。

 ただ、日劇を出るまでが大変な難儀だった。

近田 さぞかし、ファンの出待ちがすごかったんでしょうね。

 楽屋の出口に楽器車をピタッと寄せて、その中に隠れて脱出したんだよ。

近田 カルロス・ゴーンの逃亡劇を彷彿とさせますね(笑)。

瞳 わざわざ、有楽町の日劇から中華街のエディ藩の実家「鴻昌」まで行ったりしたよね。少々悪いことを含め、エディ先輩にはいろいろんことを教わりましたよ(笑)。