ビートルズにはないストーンズ快楽

 

近田 ジャズ喫茶に出てた頃は、どんなナンバーを演奏してたのですか。

 ステージで映えるのは、ローリング・ストーンズの曲なんですよ。ビートルズは、意外に盛り上がらない。

近田 そうなんですよね。GSはビートルズに影響を受けたという説が支配的だけど、GSのライブでは、ビートルズのカバーを演奏するのってあんまり観たことがない。

 確かにやらないね。

 ノリがよくないんだよね。「サティスファクション」、「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」「ペイント・イット・ブラック」といのナンバーは、とにかく盛り上がる。やってるこっちも楽しいしね。

 ブルースの循環コードのリフラインが、若者の心に刺さったんだと思うよ。

 「金毘羅船々」と一緒ですよ。同じフレーズをずっと繰り返すうち、みんなで陶酔の極致に達してしまう。ストーンズにはその快楽があるけど、ビートルズにはない。

近田 ビートの反復によって、宗教的なトランス状態に導くわけですね。

 確かに、ビートルズのメロディーやハーモニーは魅力的なんだけど、その効果は持続しない。繰り返しがないから、興奮がブツブツと寸断される印象がある。

藩 それに、ビートルズは、アルバム『リボルバー』ぐらいから、スタジオでの録音が活動の主体になってきたじゃない ? ライブはやらなくなっちゃってさ。

 弦楽八重奏を導入したり、音響的な実験に挑んだりと、生演奏では再現不可能な楽曲を発表するようになったからね。

 ビートルズは、いろんなエフェクターを駆使するのも早かったよね。コンプレッサーとか、ファズとかさ。それを他のバンドが真似していった。

 ファズといったら、「サティスファクション」のイントロだよね。最初、耳にした時は、雑音にしか聴こえなかった。不協和音だし。

 俺の知り合いは、「これ絶対、スピーカーに穴を開けてるに違いない」と勝手に推理して、本当にそれを試しちゃったんだよ。

近田 すごいな(笑)。

 確かに、最初は迫力のある音がパーッと出る。でも、そのうち、プスッ、プスッと息も絶え絶えになって、結局は何にも鳴らなくなっちゃった(笑)。

近田 タイガースは、最初にテレビ出演した時、ポール・リヴィア&レイダースの「キックス」を演奏していましたね。

 ええ。あれはフジテレビの「ザ・ヒットパレード」でした。

近田 それを観て、渋いバンドだなと思ったんです。こんな選曲するなんて、並大抵じゃないセンスを持っているなと。洋楽の情報はどこから得ていたんですか。

 岸部おさみの弟のシローが詳しかったんですよ。ラジオで聴いた最新の楽曲について、僕らに教えてくれた。

 

 タイガースのマネージャーの功績

 

近田 カップスが最初にテレビに出たのはいつ ?

 まだグループ・アンド・アイ名義だった頃に、TBSの「ヤング720」に出たんだよ。当時の横浜には、ナポレオン党という不良グループがいたじゃない ?

近田 外車を乗り回したり、ダンスパーティーをやったりして派手に遊んでたんだよね。ちなみに、その女性版が、浅野忠信の母親やキャッシー中島がいたクレオパトラ党。

 ナポレオン党の取材のため、「ゴールデン・カップス」に来た番組スタッフが、僕らのことを気に入っちゃって、プロでもないのに出させてもらった。

近田 そこで演奏した曲は ?

 確か、ジェームス・ブラウンの「アイ・フィール・グッド」だった。それで、ディブ平尾がパーッとアップになったら、テレビ局にクレームが来たんだよ。それを観た視聴者のおばあちゃんが、ショックで心臓が止まって死んじゃったって。

近田 本当なの ?  フレッド・ブラッシーのプロレスの試合みたいな話だね。

 「ヤング720」、タイガースもよく出ましたよ。

 あの番組でのタイガースは、自分たちの持ち歌じゃなく、ストーンズとか、ザ・モンキーズとか、ディヴ・クラーク・ファイヴとかの曲を演奏してたよね。

近田 その後、注目度が高まったグループ・アンド・アイは、 " ゴールデン・カップス " と改名して昭和42年6月にデビューする。

 プロになったら収入が増えるのかと思ったら、とんでもない。給料制だったから、実入りは、本牧で演奏していた頃の半分以下になっちゃったよ(笑)。

近田 上京後のタイガースは、共同で合宿生活を送っていましたよね。

 そう。最初は千歳烏山、次に四谷の左門町、そして上目黒へと引っ越した。デビューから3年ぐらいはずっと一緒に住んでたんですよ。ただ、佐門町に移る時、加橋かつみだけが、麻布の狸穴で一人暮らしを始めたんだけど。

近田 当時のマネージャーが、有名な中井國二さんです。

 新人社員だった中井さんは、やる気に満ちていましたね。多摩美大を出ているだけあって、クリエイティブなんです。これやろうあれやろうって、次々にアイデアが湧き出てくる。そして、採算のことなんか考えず、それを実行に移してくれました。

近田 かなり存在感が大きかったんですね。

 まあ、最初の「僕のマリー」には失望しましたけどね(笑)。中井さんがタイガースはを担当したのは、最初の2年間ぐらい。サラリーマンだから、やっぱり異動がある。彼の後から担当に就いたマネージャーは、音楽のことなんてまるで分っちゃいない。タイガースにとっての中井國二は、ビートルズにとってのブライアン・エプスタインだった。

近田 エプスタインは、ビートルズのキャリア前半を支えたマネージャーですね。32歳の若さで亡くなってしまいましたが、その死は、ビートルズ解散の遠因になったとも言われています。

 もしも中井さんがずーっとマネジメントを続けてくれていたら、僕らは解散しないで済んだと思っています。

藩 事務所の違う俺も、中井さんは好きだったな、何か優しかったからさ。カップスがデビューした頃、中井さんに助言されたんだよ。「エディ、テレビ出る時はさ、ブスッとしないでちょっと笑ってみなよ。それだけでレコードの売上も全然違うぞ」って。半信半疑で笑顔を浮かべてみたら、「長い髪の少女」がいきなりヒットしちゃってさ(笑)。

 へえ、そんなこと言ったんだ。

 さすが、タイガースのマネージャーは違うなと思ったよ(笑)。

 中井さんは、ナベプロを辞めてから、ガロやキャロルにも関わることになる。

 大きな事務所には珍しいトッポい人だったよね。