瞳みのる&エディ藩 2大グループの内部から見たGS

 

 麻雀からバンドの真似事へ

 

近田 お2人がいらしたタイガースとゴールデン・カップスは、GSというムーヴメントにおいて、両極を成していた印象があります。京都から上京したアイドルの象徴としてのタイガースと、横浜の不良を体現したカップス。その強いコントラストが、GSの多様性を表現していました。

 ところが、タイガースとカップスは、不思議と仲がよかったんだよね。

 そうそう、よく一緒に麻雀したりしてさ。

 特に、岸部おさみとデイヴ平尾は強かった。ここじゃ名前を出せないような芸能界のVIPたちからも、調子よくカモってたもんだよ(笑)。

近田 そうだったんですか。まあ、相手の想像は大体つきますが(笑)。

 タイガースが生まれたそもそもの理由は、麻雀仲間を集めることかにあったんです。

近田 なかなか意外な話ですね。

 僕、岸部おさみ、森本太郎の3人は、京都の小学校や中学校での同級生だったんだけど、卓を囲むには3人じゃ面子が足りない。そこで、僕が通っていた定時制高校に入ってきた加橋かつみを引き入れて、麻雀を教え込んだのが、後のタイガースの原型となった。

近田 最初から音楽をやろうと思ったわけじゃなかったんですね。

 麻雀だけじゃ飽き足らなくなった4人は、家でレコードを聴いたり、京都市内のダンスホールに繰り出したりして遊ぶようになったわけ。そのうち、バンドの真似事も始めたんですよ。

近田 それが、サリーとプレイボーイズですよね。どんな音楽を演奏してましたか。

 ベンチャーズとかアストロノウツといったエレキインストですね。それから、寺内タケシとブルージーンズの「よさこい節」(S40年12月)もやりました。

近田 最初は、ヴォーカルがいなかったんですね。

 そう。ある日、四条河原町にあった「田園」という店に行ったら、そのステージで、サンダースという専属バンドが演奏してたんですが、その真ん中で歌っているのが、声も顔も飛び抜けてカッコいい男で。

近田 それが沢田研二さんだったと。

瞳 ええ。すぐに口説き落として、僕らのバンドに5人目のメンバーとして迎え入れました。しかし、沢田もよく来てくれたもんだと思いますよ。だって、こっちはまだ単なるアマチュアのバンドで、別に何か仕事が決まっていたわけじゃない。サンダースという確固たる居場所があったのに、僕らと一緒にいたいという一心で、グループに加わってくれた。

近田 その決断がなければ、タイガースはこの世に存在しなかった。

 でも、麻雀の面子はすでに足りていたから、もう面倒くさくなって、沢田には誰もわざわざ麻雀のルールを教えなかった。だから、沢田はいまだに麻雀できないんじゃないかな(笑)。あいつは僕らが麻雀をやってるあいだは、もっぱらお茶汲みばっかりやってましたよ。

 

 我先にと沢田の股間を・・・・

 

近田 沢田さんの参加をきっかけに、ファニーズと改名するわけですね。

 その後、3、4ヵ月ほど、僕一人が大阪に行って、古谷充とザ・フレッシュメンというジャズ・グループのバンドボーイとして働きました。あくまでも、音楽業界とはどんなところなのかを視察することが主目的だったんですけどね。そろそろ京都に帰ろうと思って、辞めたいと申し出たら、「お前、そんなことより、ここにいて歌手やらないか」と慰留されたんです。ちょっと後ろ髪を引かれましたね。

近田 ドラマからシンガーに転向する可能性があったわけですね。

瞳 でも、京都では仲間が「帰ってこい、帰ってこい」と言って待ってるから、帰りましたよ。だけど、仕事なんかありゃしない。しかも、僕は勘当されてたから、住む家もない。その時、岸部の兄さんが京大の学食で調理をやってたことかが救いになりました。その紹介で、半ば住み込みみたいな形で岸部も僕もしばらく皿を洗い続けましたよ。

近田 そして、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」にレギュラーとして出演することになります。どんな伝手で、その話が決まったんですか。

瞳 仕事を取ってくる営業的な役割は、僕が担ってました。その一環ですね。あの頃は、キャバレーやクラブを回って、とにかく何とか仕事を取ってきたものです。

藩 じゃあ、結構変わった場所にも行ってたんじゃない ?

 そう。カルーセル麻紀が勤める店でも演奏したことがあるよ。その楽屋に引っ込んだら、沢田が何か微妙な表情を浮かべている。理由を聞いてみると、舞台に近づいてきたその店のホステスたちが、我先にと沢田の股間を触ってきたらしい。

近田 ホステスといっても、男性か元男性ですよね。

 そう。ステージの後方でドラムを叩いていた僕は、そんなことにはまったく気づかなかったんだけどね(笑)。

 当時の大阪じゃ、少し上にはザ・リンド&リンダースなんかがいたよね。

 そうそう。彼らとは仲がよかったんですよ、先輩ですが。それから、後のオックスの母体となるザ・キングスっていうのもいた。彼らは、大津が地元でしたね。