ザ・タイガースのみ抜粋

 

派手な振付けの先駆者となったGSの王者

 遊び仲間の岸部おさみ、森本太郎、瞳みのる、加橋かつみは、昭和39年からバンドの練習に励み、京都のバンドにいた沢田研二を引き抜く。昭和41年1月に5人編成のグループとなる。彼らの演奏を気に入った内田裕也が東京に連れて行き、すぎやまこういちがザ・タイガースと命名する。昭和42年「僕のマリー」でデビュー。日本テレ「シャボン玉ホリデー」やフジ「若さで歌おう ヤアヤアヤング ! 」で人気に火がつく。同年暮れにはブルコメ、スパイダースを抜いて人気筆頭に。昭和46年1月の日本武道館公演をもって解散。

 

デビュー曲「僕のマリー」に抱いた失望

━━GSの人気を爆発させた真打は、何といってもザ・タイガースですね。

近田 俺が最初にタイガースを目にしたのは、昭和41年11月にフジテレビで放送された「ザ・ヒットパレード」でのことだね。

━━すぎやまこういちさんがディレクターを務めていた人気の音楽番組ですね。すぎやまさんは彼らの名付け親でもあります。

近田 この翌年にレコードデビューを控えた彼らにとって、これが初のテレビ出演だった。そこで披露したのが、ポール・リヴィア&ザ・レイダースの「キックス」です。

━━1960年代半ばから70年初期にかけて活躍したアメリカのバンドの楽曲です。

近田 同世代の他のGSはといえば、アニマルズ、ザ・サーチャーズ、そしてディヴ・クラーク・ファイヴとか、もっぱらイギリスのリヴァプールサウンズなどをカバーしていた。そんな中、アメリカのポール・リヴィア&ザ・レイダースに目を付けるとは、なかなかマニアック。幼心にも、「このバンド、分かってるじゃん」と感心したことを覚えている。

━━その3ヵ月後の昭和42年2月、タイガースは「僕のマリー」でデビューします。

近田 あれを聴いて、心底ガックリきちゃったんだよね。エッジの立った「キックス」を演奏していたあのグループが、とんでもなく甘ったるい歌謡曲を歌っていたわけだから。反動とか逆コースとかいった、古めかしい政治用語を思わず出したくなるぐらいだった。

━━作詞は橋本淳、作曲はすぎやまこういち。GSを代表する鉄壁のコンビです。

近田 ただ、反発を覚えながらも、気がつけば俺は、歩きながら「僕のマリー」を口ずさんだりしているわけ。嫌だ嫌だと思っているのに、なぜか癖になっている(笑)。

━━あまりにも強烈な違和感ゆえに、そのパワーに引き寄せられてしまう(笑)。

近田 その3ヵ月後に出た2枚目のシングルが、「シーサイド・バウンド」(S42年5月)。甘口の「僕のマリー」から一転して、ビートの強いカッコいいナンバーだった。ライブでは沢田研二さんが歌いながら叩くティンバレスが、不思議なアクセントを与えている。

━━こちらもまた、橋本淳・はしもとじすぎやまこういち組の作品です。

近田 「シーサイド・バウンド」は、すぎやまさん曰く、沖縄の音階を使っている、すごく実験的な曲なのよ。「僕のマリー」と「シーサイド・バウンド」、正反対の楽曲を続けて書けてしまう作家の力量、そして、それらをきっちり自分たちのレパートリーとして消化するタイガースのキャパシティに感心したね。「シーサイド・バウンド」を聴いて得心したんだけど、自分が「僕のマリー」に落胆した理由は、過剰なほどストリングスが入っているそのアレンジにあった。あれは、俺が好きなエレキのコンボの音じゃなかったわけ。

 

人気一番の地位を確立

━━ロツクコンボとしてのタイガースの魅力は、どこにありましたか。

近田 スパイダースの要が田辺さんの独特なドラマのフレーズにあったように、タイガースにおけるそれは、岸部おさみ(一徳)さんのベースのプレイにあった。独特な手癖をいろいろと持っているのよ。それは、キャロルのサウンドの中心にあったのが矢沢永吉のベースだったということにも似ている。

━━そもそも、タイガースの母体となつたバンド名は「サリーとプレイボーイズ」。サリーこと岸部おさみさんが中心のグループなんですよね。

近田 「シーサイド・バウンド」が革命的だったのは、振付を伴っていたこと。1、2、3、4とステップを踏むのよ。GSに派手なアクションが付き物となったルーツは、ここにあったと思う。そのことで、英米のバンドとは違う進化をとげることになるわけ。

━━その最初のピークが、「君だけに愛を」(S43年1月)。

近田 ジュリーがリスナーに向かって指を差すポーズは、ファンを熱狂させたよね。

━━ここで、ブルコメやスパイダースの人気をしのぎ、GSで一番のバンドとしての地位を確立しました。次のシングルが、「銀河のロマンス」(S43年3月)。当初は、ジュリーの歌う表題曲をA面としてリリースされたものの、ほどなく、もともとはB面だった「花の首飾り」が人気を得たことから、AB面を引っくりかえした形で再発売されます。

近田 「花の首飾り」では、ギタリストであるトッポこと加橋かつみさんが初めてリードヴォーカルを取っている。加橋さんって、教会の聖歌隊で賛美歌を歌っていたから、クラシック的な意味において、発音が正式なのよ。沢田さんの、甘いんだけどロックぽい荒い唱法とは異なる、もう一人のヴォーカリストが登場したことで、タイガースのサウンドの幅がさらに広がっていく。

━━それまでは、ギターに専念している印象がありましたよね。

近田 そう。すぎやまさんの曲って実は難しいから、プレイする側も大変なのよ。だからなのか、加橋さんはテレビでの演奏中、笑顔を見せることも少なかった。そんなメンバーが全面に出てきた意外性によって、トッポ人気が急上昇する。それまでは、ルックスの面から、沢田さんと瞳みのるさんがトップ2を張っていたんだけどね。

━━次の「シー・シー・シー」(S43年7月)はジュリーがヴォーカル。作詞に安井かずみさん、作曲にワイルド・ワンズの加瀬邦彦さんという新顔を迎えています。

近田 恐らくは、「シーサイド・バウンド」の柳の下のどじょうを狙ったんだと思うよ。実際、当時の無敵の勢いから、オリコン1位も獲得した。たださ、加瀬さんの楽曲は明朗なあまり、ほとんど陰影がない。そこが、タイガースには合わなかったと思うんだ。

━━加橋さんの歌う「廃墟の鳩」(S43年9月)以降は、それまでのすぎやまこういちさんに替わり、村井邦彦さんがメインのソングライターになります。

近田 すぎやまこういちさんが書いていた頃は、「シーサイド・バウンド」における沖縄音階の導入しかり、一曲一曲にますコンセプトがあった。そこに肉付けをしていくという意味では音楽的に非常に高度なんだけど、その高尚さが、それほど表面に出てこない。

━━つまり、普通に聴いている分には、大衆音楽として無邪気に楽しむことができるということですね。

近田 ところが、村井さんのタイガース曲に関しては、誰が聴いても「あ、これは何だかすごく高級な感じかするな」と思ってしまう。だから、一般のミーちゃんハーちゃんなファンからすると、ちょっと小難しくて、とっつきにくくなってしまったのかもしれない。それもあってか、タイガースはここからだんだん地味になっていく。