雨が止み、見事な曇り空。靄(もや)が立ちこめる森を見ながら一服。

これは今の私の平和かも、、コンニチハ、樹木キミドリです。

 

、、というか、年末、大晦日である。クリスマスからの時間が飛んて行った。と言うより、毎年言っているのだが「今年は早かった!」と言う言葉に尽きる。ええとあれはアレは、、と思い出すのもままら無いほどだ。記憶の渦を解(ほぐ)そう。ええと昨夜は何を食べたっけ、、?黒酢ニンニク醤油を効かせたチキン南蛮だったっけな。たっぷりのタルタルソースかけて野菜盛りっと添えて食べたっけな、、最近鶏肉ばかりだな、、まぁそんな感じ。

年内の仕事を全て終えての今日は、朝から這いつくばって床掃除。払って拭いて磨いて、隅に溜まった猫の毛を拾って。部屋が何だか少し清くなった様な気がするのは気のせいか?慌てずに目の前の事を一つ一つをやってく。今私にできる事。

 

同時に、年末に起こったある出来事で気付く事。それは大きな流れを変えていく決断を先延ばしにしてきたと言うこと。流れに沿ってゆくのもいいが、気ままになり過ぎて流され過ぎた。違和感を抱えたまま其れに慣れてしまって長期に渡り、無意識となっていた。立ち止まって再度感じることから始めよう。あの人も言ってたな、考えるな感じろって。

感覚を閉ざすと言うことは自分を圧すると言うこと。おなざりにするという事。でも何から?と思ったのだ。自分のこと、自分しかわからないことだらけじゃない。みんなの求める自由って何?私のとは違うかもしれない。自由自由と叫んでいる不自由さを自覚する。もともと何も持っていないのだから不自由を感じる。だが本当はすでに持っている(と問いかける)、事にもし気付けたなら、それは多分幸せにつながる。もっともっと、、人は欲の塊だから。

 

なぁんんてこと年末の晦日の日に考えている頭もどうかしら?ベッドサイドのステレオからは柔らかい歌声。以前よく聴いていたCDを久しぶりに取り出して少し大きめの音量で。猫たちは静かにベッドに潜る。

今年はコロナ禍明けという背景もあってか、本当に久しぶりの人たちに様々な状況で再会したのだった。ニッキー、海里、カンちゃん、マコト、あゆみちゃん、Kana、アツコさん、月川さん、TOMO、マウ、マイキ、アイラナ、ミミさん、ジョージサン、ナーガ、ラーダ、荒牧さん、井上くん、ショウコさん、Mikiさん、梓さん、みのりー、アビル君、ヤスオ、シマちゃん、順子さん、、糸が引き合って再会したのだからそれだけでミラクルね。ああ、ぐるぐる回る人生。ぴょんぴょん飛び跳ねた年だったかも。来年はドラゴンだから、揺蕩いながら揺れながら、少しずつ上に登ってゆくイメージで。水平で動いていたものが、3Dで立体的に立ち上がってゆく年なるのかも。個人的には大きな巡りの中で動きがあるかもしれないという予感。

 

さてと今年も気が付くままに記録した記憶たち、ありがとう。どうか皆さま良き年末年始を。そして最後にピョーン。