親に対する感謝とか愛とか、気持ちがあって介護を始めたものの、

その終わりの見えなさ、

長期だからの疲れ、

自分の生活への浸食に葛藤して苦しむ介護者もいる。



その反対に、

遠方や仕事を理由に施設に多くをお願いしている家族の話も聞く。

でも、そこに、 

親への感謝や愛が無いわけでは決してないと思う。



そして、そこにあるのは、

介護のスキルがしっかりある介護施設とその介護施設の理解、被介護者もしくは介護者のお金だったりはする。


それがあれば、

介護者が自分の生活を守って、親の介護もしっかり出来るということが叶う。




それとはだいぶ違うけれど、

かなりの部分を任せられる第三者のサービスもあるという。



そこまで出来ない狭間で悩む多くの介護者。



それと反対に、兄弟に任せっきりで逃げ切る介護者。


任せっきりにされた方も、『自分が思うように』手伝って欲しいけれど、口は出されたくない。

手伝うなら口も出したいけど、兄弟の意見が噛み合わない。


長年の家族の問題も含むごちゃごちゃの状態があるから、

こんなもんでいいだろうと適当に済ましている介護サービスの仕組みがずっと続いている。


(もちろん現場は頑張っている。ただその介護サービスの適当の中から産まれた人手も確かにいらっしゃる)


義父の入居した有料はかなり上手くやっていると感じた。

例えば傷んだ服などの買い換えとかもやってくれるという。

実費の他にもちろん別途料金もかかっても、人によってはとても助かると思う。

「ご家族さんで用意してもらった方が絶対安いです」・・・でも、こちらで用意するなら手間などの料金は頂きます。

ということ。


それでいいのだと思う。

当然だし、むしろ安心出来る。




親に対して感謝があっても愛があっても、

介護の負担をゼロに近づけられるのはお金の力は確かに大きい。


全ての介護を担うとならないために、手段が無いわけではないということ。



全てではないその中間で、自分自身の生活を守る方法もあるし、

親に対して感謝や愛があっても、自分自身の生活を守っちゃいけない訳じゃない。



自分が自分の子供に『子供に迷惑をかけたくない』と思うなら、

『自分が親に迷惑をかけられない』やり方を考えることは悪いことではないのではと思う。



 

介護サービスの責任のがれの言葉に惑わされているところもあるのだから。