義母(4年前他界)と義父はここに住んで長いので、当然二人共通の知人もいる。



その中の一人(義母をちゃん付けで呼ぶ高齢女性)、恐らく義母とは何でも話していたであろう方と、義父が話しているのを聞いていた。


時々こちらにも話を振ってきたりして、その内容から、義母がプライベートなことを本当に何でも話していたことを感じて、不快にも思った。


悪い人とは思わないけれど、

私には心を許せる人でも無いと感じた



だから話の中で、

義父やその場にいない夫や亡くなった義母が、

「嫁(私)が良くやってくれていると言っていたよ」と言うけれど、


何となく、『やっていた』という事実を言っているというより、『この先もちゃんとやれ』という『圧』を感じてしまった


こういう『圧』って時々感じる



それは、

まともに受け取っていたらかなりキツいと感じる類いのこと。



私がなんとかそれをかわせるのは、

過去の学びで、


『やってあげる』

ではなくて、『やらせて頂く』と思ってやっているから。



『やってあげる』は『あげる』だから、自分に返ってこない


『やらせて頂く』は『頂く』だから、自分に頂ける、返ってくる



介護の経験こそ、一度や一人で済めば良いけれど、繰り返しがあることが多いから、その経験を頂くと思えば、次に活かせたりする。





そう思って楽になっているけれど、


いろんな無責任な外野の声って、 

単純に嫌だなと思う