正面から受け止めきれず書けなかったけれど、事実を記録しようという気にやっとなった年末の私

これを書き記すのは、乗り越えるためと決めたから

 

腫瘍マーカーSLXが徐々に倍々で上がって来ていた

9月 → 10月 → 11月 → 12月

43  → 74   →   128  → 563

 

CEAは毎月0.1ずつ上がっているなと思ったら12月に+0.6

10月 → 11月 → 12月

1.2   →   1.3  → 1.9

 

11月の診察で、医師がタグリッソはもうそろそろ終わりかもしれない、急に止めるような事はしないけれども、と話が出ていた。

 

そして1年に1回12月に、頭部MRI.骨シンチ・CTをワンセットでやる検査では

骨シンチで右骨盤に骨転移の疑いが出た。

重いものを持たないようにと医師から指示があった。

来年1月MRIで再検査してから、もし骨転移だったら放射線治療をする流れ

11月ごろから、足を組んで座っていた後、右の股関節に違和感や痛みを感じる事、歩きだす時に右股関節がグキッとした小さな痛みや違和感を感じていた事伝えると、場所が一致していると言われる

 

頭部に転移はなし、左肺の転移タグリッソが効いてほぼ消失

 

CRP

10月 → 11月 → 12月

0.44 → 1.55 → 1.29

白血球WBCは基準値内なので、抗生物質飲まずに様子見

最近は、高熱は出なくなったが、37℃~37.3℃の微熱が出る。

 

12月の血液検査項目にDダイマーが追加されていて10.99と高くなっている。(上限値:1.00)

癌患者は血栓が出来やすいから、高値が出ているので心配との事

 

身体の変化が色々起こり始めている。

モグラたたきみたいに次から次へと出てくる不安から目をそらして、神経痛の身体も痛いので子どが学校行っている間、昼間も布団で寝て過ごしてきたけれど

嘆くばかりのこんな気持ちは、もう 嫌だ

と、思って、明るい方へ明るい方へ眼をむけて、白川太郎先生のオンライン講座に参加して希望の持てる治療法を知ったり、治ったさんの話を聞いたり、杉浦孝之さんのオンライン講演に参加したり、白川太郎先生の書籍を読んだりしてだいぶ気持ちも切り替わってきました。

 

Dダイマーが高値なのは、ずっと寝て過ごす事が多かったせいもあるのでは?

エコノミー症候群みたいな感じ?だとしたら、そこは自分で改善できるよね

水分補給も足りなかったのかもしれないし、水分を多めに摂ってみよう

そして、寝ている時間が多いほど起きた時の肋間神経痛が痛く感じる事に気づきました。

人間は、動物、生き物、昼間は、なるべく起きて、無理はしなくとも少しずつ動こうと思えています。

 

11月に身体に良いと思って、純黒糖とドイツ産のハチミツを大量に購入し、つい食べ過ぎてしまったのかも

まだ、私の身体には糖のとり過ぎは良くないとわかっていなかったかも

発熱、微熱が続いたので湯舟で身体を温めれなかった。いつもより、身体が冷えていたのかも

 

発熱するのも骨転移も、治るスイッチ押せてないよ!のお知らせタイマーとして前向きに受け取る事にしました。

 

 

嘆いて泣くばかりは嫌だ 笑っちゃお!

 

私は、アニメ「ちいかわ」が大好きで、特にハチワレのこのセリフが気に入ってます。

「何とか なれ~!」

 

そしてアニメ「ちいかわ」三ツ星レストランの回も大好き

私は、手枷、足枷されていて、もう逃げられないと思い込んで嘆いたり怒ったりしているだけかもしれない。

「何とか なれ~!」って、そーっと押してみたら、スポン!って 抜けて 自由になるかもしれない。

 

私らしい明るい気持ちを側において、生きていく

そこが一番大事にしたいところだったんだと気づく事ができました。