妹と話していて鏡のようだった…自分ではそうではないと思っていたけど、考え方は似ていたからこそ、行動が同じかもしれないと実感。
2月に上京した時に、仕事の話をしていて、パートで時短勤務をしていたのですが、1年と半年やってみたけどやっぱり自分にはこの仕事は向いてないと実感したのだと言っていた。
ストレスでイライラするし、家族にも余裕が無くて当たってしまう…。
私は、そこまでなら辞めたら?と言ったのだけど、続けていて今は町内のこと、PTAのことでも忙しくなって脳疲労を起こしているような状態らしい。
あー、ちょっと前の自分と同じだ
いろいろ役をやり過ぎて、休みも休みじゃなくなって、疲労困憊で時間が過ぎていく感じ![]()
学びをしながら、私には空白や余裕が無くてそれらを増やすように言われていた。
今は、ボーッとする事がテーマになっているくらいだ。
なぜ無理して役をやってきたのか、人のためにやれば情けは人の為ならずになるのではないかと、徳積の意識でやっていた。
しかし、それは我慢を強いる結果となり、イヤイヤやることにるので全く感謝には結びつかないくらいの、不平不満に変わってしまっていた![]()
そこで、ホントに自分がしたい、させていただきます!!の気持ちで出来るものだけにした。
じゃないと、何でも受けたらそこにドンドン押し付けて来る人も少なからず居るのだ。
Noという事も大事だと思った。
だからと言ってやりたいことだけやる訳ではないのだが、そういうスタンスでやっていたら空白や余裕が出て、気持ちが少しずつ変わって来ていた実感がある。
誰かの為にすること、誰かにお願いすること。どちらもバランスよくしていることが、メンタル不調でしんどくならないことなのかもしれない。
あとは、この世は自分の思うようには動かないことに、イライラしないこと。それが当たり前だから。相手は思うように動いてくれないのだから。そのギャップにイライラするのも、それで自分の身体が老化する…なんだか損です。
もっとこうでなければならない!!が減ると気楽になれるもんで、それは自分の執着であり、自分の常識は誰かの非常識になったりもする。
いろいろ学んで、価値観が変わると、なぜそこまで固執していたんだろうか?と思うところまで来た。
職場でもあまりいろんな役はしない主義に変わった。変えられる様な雰囲気があれば、変わっていただろう。しかし、提案したところでそこまで進まない企画に全力をかけたところで、無駄になるのであれば私ではない誰かがした方が良いのでは?と思ったから。
それより、私が出来るところで全力を出す方が良いのだから。全力を出すベクトルを変えただけ。
まぁまぁそこそこでやるという、力の抜き方も大事だし、一所懸命やるという力の入れ方も大事だ![]()
我慢が美徳としていた自分だったけど、五十になったとたんに身体を壊してからは、無理はしない。と心に決めた。