ホームスクーリングを始めてから1年も経たないうちに、長男が突然「コンピューターでEDM音楽を作ってみたい」と言い出しました。その瞬間、私は一瞬ためらいましたが、彼の未来に対する私の描いていた計画をきれいさっぱり消し去ることに決めました。

「それが何かはよく分からないけど、やってみなさい」と短く答えました。

 

その後、長男のホームスクーリングの時間は朝から晩まで音楽作りで埋め尽くされました。幸いにも海外のアーティストと交流し、コラボレーションする機会が増え、これまで一生懸命勉強してきた英語を存分に活用できました。

 

若いうちに何かに夢中になるとはこういうことなのかと感じるほど、彼は情熱を注いでいました。

 

私は10代の頃、なんでこんなにできなかったんだろう...ただただ羨ましかったです。

 

音楽を作りながらも、日々の勉強は欠かさずやっていました。私が英語図書館の仕事を終えて家に帰ると、その日の課題をすべて見せてくれ、1時間ほど一緒に英語の本を読んだり討論したり、ボードゲームも楽しんでいました。

 

EDM音楽を始めて1年も経たないうちに、長男は海外のレーベルと契約し、ヨーロッパの有名アーティストが主催する大会で入賞するなど、自分の音楽の世界を着実に築いていました。彼は有名なYouTuberに音楽レッスンを提供し、自分が作った音楽を販売してお金を稼ぎ、その収入で弟に良いヘッドセットを買ってあげることもありました。

 

しかしある日、長男が突然EDM作曲を辞めると宣言しました。ヨーロッパのEDMアーティストとコラボレーションした音楽を、そのアーティストが一人で大手レーベルと契約してしまったのです。長男が夢にまで見た契約だっただけに、その失望は大きかったのです。まだ16歳という若さで、世の中の厳しさを痛感するにはあまりに幼かったのです。

 

その後、1年間の自己との戦いを経て、EDM音楽ではなく、大衆音楽のアーティストとして歌い、作詞・作曲をしたいと言い出しました。ボーカルトレーニングを受け、様々なジャンルの音楽を作り、努力の結果、昨年には有名アイドルの音楽制作に作詞・作曲で参加することができました。ニューヨークでもレコーディングに参加し、ある日には渋谷の広告板から彼が作詞した曲が流れました。

 

 

長男は現在、韓国の家族と離れて日本でアーティストとして一生懸命生きています。この曲は、昨年次男が日本に遊びに行った際、二人で一緒に歌って録音したものです。忙しい中でも弟のために録音作業をしてくれました。

 

 

長男が17歳の時、アメリカの高等学校卒業試験GEDをパスし、東京渋谷にある4年制の音楽学校に入学しました。しかし、幼い頃から作曲活動に多くの時間を費やしてきたため、学校で学ぶことがないと感じ、休学することになりました。再び学校に戻るなら、アメリカのバークリーのような実用音楽関連の大学に進学するのはどうかと話しましたが、まだ音楽活動を続けたいとのことでした。

 

長男の音楽の世界は独特で、年配の人には理解しにくいかもしれませんが、まだ21歳という若さでありながら作詞・作曲の面で認められ、多くの歌手のアルバム制作に参加しています。もちろん、自身のアーティスト活動のための曲も絶えず発表しています。

 

時には私の好みのジャンルの曲も作ってくれます。今年の春に発表した「春が来た」という曲は私の好みそのものです。夏が近づいている今でもこの春の歌を毎日聴いています。

 

 

長男が明日、ほぼ1年ぶりに韓国に帰ってきます。一日中、手に付くことがありません。弟も兄が来ると言うので、一日中勉強に集中できないようです。明日来たら、まず韓国のフライドチキンが食べたいと言うでしょう。間違いなく。

 

約10日ほど家族と一緒に過ごした後、日本のアーティストの友人が韓国で公演があるので、それに参加した後、惜しいけれどすぐに日本に戻るとのことです。

.

.

.

明日会おうね、愛する私の息子。