私はCEOという肩書き以外にも、もう一つの肩書きを持っています。それは、システムエンジニアです。

CEOとしての仕事よりも、システムエンジニアの仕事の方が好きなのです。しかし、今ではその両方が一体となり、区別がつかないほどになっています。

では、どうして私が英語教育の会社を運営することになったのか、その理由をご紹介しましょう。

それは、私の二人の息子たちがきっかけです。

長男は千葉のベイタウンにある公立小学校に通っていましたが、3年生の1学期までの間、外国人に対して親切ではない先生に出会い、学校に行きたくないほど憂鬱な日々を過ごしていました。このままでは大変なことになると思い、夫と私は長男を近くのインターナショナルスクールに通わせることにしました。もちろん、英語を全く話せない状態でしたが、外国人という理由でなんとか合格しました。

その当時、私はインターナショナルスクールに通えば自然に英語が身につくと思い込んでいたのです。しかし、長男が4年生の2学期になっても英語で話せず、学校を訪れても長男が英語を使っている姿を一度も見ることができませんでした。

その時初めて、インターナショナルスクールに通っても英語が上達するわけではないと気づきました。

それから、なぜ英語が上達しないのかを必死に調べました。インターネットで検索し、韓国に戻って書店を巡り、英語で成功した事例を探しました。そして数ヶ月後、英語で話せるようになるためには多読多聴が必要だということに気づきました。当時、英語力が日本よりも高いアジアの国々が子供たちの英語力を向上させるために多読多聴を取り入れていることも初めて知りました。

副詞や形容詞といった英語表現を豊かにする要素は、多くのケースに触れることで自然に身につくことも初めて分かりました。多読を通じていない英語は片手落ちだと悟った瞬間、私はシステムエンジニアとして稼いだお金を子供たちの英語の本に投資することに決めました。

その結果、2年間で購入した英語の本は、音声が含まれるものを中心に5,000冊に達しました。長男の学校にも大きくて立派な英語図書館がありましたが、学校では多読をサポートしていなかったため、長男はいつも自分のレベルに合わない本を借りてきました。

長男は4年生の終わりから本格的に多読を始めました。多読を通じて話せるようになり、文章を書くようになりました。学校ではその年に最も英語力が向上した子供に贈られる賞も受賞しました。

その後、周囲の母親たちが私の家を訪れるようになり、自分の子供たちにも多読を始めさせたいと頼まれるようになりました。こうして始まったのが英語図書館です。ただ他の子供たちにも英語を話せるようにしてあげたいという気持ちだけで、勢いで英語図書館を作ってしまいました。

その後、長男は東京の名門校である広尾学園に入学し、1年生の終わりにスタンフォード大学を含むアメリカの大学を家族で訪問したことをきっかけに、中学2年生からホームスクーリングを始めることに決めました。ホームスクーリングについての話は、今後の投稿で詳しくお伝えします。

とにかく、長男の英語教育に対する悩みが英語図書館を作るきっかけとなり、その英語図書館は現在の1:1オンライン英語プログラム「イングリプengLib」に繋がりました。

 

 

イングリプは日本国内だけでなく、英語を第二言語として学ぶ他の国々に住む多くの日本人の子供たちにも利用されています。今年は韓国にも設立される予定です。

私は自分の事よりも、他の人を助けることが好きです。子供たちの英語の悩み、一人で抱え込まずにイングリプに手を差し伸べてくださいね!

 

イングリブの無料体験


 

 
 

ブログランキング参加しています。 ポチっとお願いできたらうれしいです。

ブログランキング・にほんブログ村へ