朝の光が差し込む台所で、湯気を立てるコーヒーをぼんやりと見つめていた。
立ちのぼる香りに、胸の奥がひやりと揺れる。
義勇と肩を並べてカップを傾けた朝が、鮮やかに浮かんでしまったのだ。

「……冷めるぞ」
背後から低い声がして、我に返る。
実弥が無造作に椅子へ腰を下ろし、新聞を広げていた。
その当たり前の光景に、ようやく今が“現実”だと気づく。

――昼休み。
机に山積みの資料を片づけていると、無一郎が静かに声をかけてきた。

「不死川さん、一緒に、昼ご飯行きません?」

驚いて顔を上げると、彼は柔らかな目をしていた。
きっと、私の元気のなさを感じ取っているのだろう。
ありがたさと同時に、胸が痛む。
彼の丁寧な言葉や落ち着いた佇まいが、義勇の面影と重なってしまったからだ。

「……最近、少し疲れてません?」
「ううん、大丈夫」

笑顔で返すと、無一郎はそれ以上は踏み込まず、ただ静かに頷いた。

――夕方。
呼び出された会議室で、悲鳴嶼さんが静かに私を見つめていた。

「富岡が抜けたあとだいぶ忙しいと思うが、無理をしていないか」
「……大丈夫です」

「君の心はどうだ」

その問いかけに、思わず言葉が詰まる。
胸の奥に、まだ義勇の残響が生きている。
本当のことは言えず、ただ「平気です」と答えるしかなかった。

悲鳴嶼さんは長い沈黙のあと、重々しく頷いた。

「……信じている」

それだけを残して部屋を出ていった。

――夜。
夕飯を並べていると、実弥が当たり前のように席についた。
味噌汁をよそいながら、私は「今日ね、悲鳴嶼さんに呼ばれたの」と口にする。

実弥は箸を止めて、じっとこちらを見た。

「……お前、最近無理してねぇか?」
「してないよ。ちょっと忙しいだけ」
「そうかよ」

一拍おいて、実弥はぽつりと付け足した。

「宇随がさ、『お前も誘って飯行こう』って言ってたぞ。今度一緒にどうだって」

思わず顔を上げる。
不器用な夫の口から、そんな言葉が出るのが少し可笑しくて、そして胸が温かくなる。

「……そうなんだ」
「宇随の奢りだから、一緒に行こうぜ」
「うん、行こう」

実弥はそっけない顔をしていたが、ほんの少しだけ安心したように見えた。

布団に潜り込むと、すぐに実弥の腕が伸びてきた。
何も言わず、当然のように抱き寄せてくれる。
その体温があまりに優しくて、目頭が熱くなる。

――ごめん。

声には出さなかった。
彼の胸に顔を埋めながら、心の奥でそう呟く。
まだ肌を合わせる気持ちになれない自分が、情けなくて申し訳なかった。

けれど、実弥は何も求めず、ただ静かに背を撫でてくれる。
その優しさが余計に胸を締めつける。

義勇の影はまだ消えていない。
でも隣にいる人の温もりが、確かに今を支えてくれていた。