台所に、味噌汁の匂いが立ちのぼっていた。
あなたが鍋をかき回しながら、ふと振り返る。
実弥が洗面所から出てきて、まだ少し腫れぼったい目をしている。
「……大丈夫?」
その声は、責めるでも詮索するでもなく、ただ柔らかかった。
実弥は一瞬だけ目を逸らし、「……ああ」と短く答え、テーブルにつく。
湯気の向こうで、あなたが静かに笑っている。
その笑顔に胸の奥が少しだけ疼き、同時にじんわりと温かさが広がった。
ポケットの中の新しいスマホは、沈黙を保っている。
通知がひとつもない画面を、実弥は無意識に何度も見てしまう。
「最近顔つき違うな、不死川」
同僚に言われ、苦笑でごまかす。
その一瞬、胸の奥で「終わらせた」という重みと、
「終わらせた」あとの空虚さが同時に響いていた。
***
夕方、あなたからメッセージが届く。
――『今日は早く帰れそう?』
実弥は迷わず、指先で打ち込む。
――『……ああ、帰る』
画面に映る文字が、少しだけ軽く見えた。
***
夜、久しぶりに二人で台所に立った。
包丁の音と、炒め物の香ばしい匂い。
あなたが振り向き、笑顔を見せる。
「実弥、いつも隣にいてくれて本当にありがとね」
その言葉に、実弥は包丁を持つ手を止める。
頬の奥が熱くなり、照れくさそうに視線を逸らした。
「……俺の方こそだ」
短くそう返すと、あなたが嬉しそうに笑う。
その笑顔が、胸の奥にしみこんでいく。
食卓に二人で並んで「いただきます」を言う。
あなたが箸を取りながら、からかうように笑った。
「なんか今日、優しいね」
実弥はしばらく黙ってから、ぽつりと呟く。
「……お前がいるって、当たり前じゃねぇんだな」
あなたは首をかしげながらも、その言葉に頬を緩めた。
***
食後、ソファでテレビの音が流れる。
あなたが自然に肩を預けてくる。
実弥は驚きつつも、そのまま受け止め、そっと頭を寄せた。
しばらく無言のまま、手がそっと重なる。
「……実弥」
あなたが小さく名前を呼ぶ。
実弥はその手を離さず、ゆっくりと顔を近づけた。
久しぶりに唇が触れ、長い時間がほどけていく。
部屋の明かりが柔らかく、二人の影を床に溶かしていく。
肌の温度、重なる呼吸、指先の震え。
求め合う感覚が、胸の奥にしみわたり、過去のざわめきが静かに遠ざかっていった。
「……ありがとな」
あなたの耳元で、実弥がかすれた声を漏らした。
その声は、罪悪感ではなく、やっと選び取った安堵の響きだった。