リビングの時計が、静かな家の中でひときわ大きく音を立てていた。
秒針のひとつひとつが胸の奥まで響くたび、落ち着かない気持ちが増していく。

テーブルの上には、二人分のマグカップ。
湯気はもうとうに消え、冷たい表面にうっすらと水滴がにじんでいた。

実弥はそのひとつを両手で包み込むように持ち上げ、唇に運ぶ。
苦味が舌を刺し、心の奥に沈んだざらつきと重なった。

「……遅ぇな」

思わずこぼれた声は、空気に吸い込まれていく。
怒っているわけじゃない。ただ、胸の奥がきゅうっと痛むだけ。

いつもなら「ごめん、会議が長引いて」と笑って帰ってくる時間だ。
今日は違う。連絡もない。

スマホの画面を何度も見つめても、通知は来ない。
ため息をひとつ吐いて、ソファに沈み込む。

玄関の方を何度も見やる。
靴箱の上には、朝あなたが置いたメモと鍵がそのまま。
何ひとつ変わらない家の風景が、かえって胸を締めつける。

「仕事……だよな」

自分に言い聞かせるように呟く。
そうだ、忙しいだけだ。疲れているだけだ。
理由もない疑いなんてしたくない。
問い詰めて、傷つけたくもない。

指先がカップの縁をなぞる。
ふと頭の中に浮かんだのは、二人で笑いながら食卓に座った朝の光景。
味噌汁の香り、コーヒーを渡した時のあなたの笑顔。
そのひとつひとつが胸の奥に温もりとして残っている。

「……もう、俺が守らなくてもいいのかもしれねぇな。潮時か……」

誰にも届かないほど小さな声が、静かな部屋に溶けていった。