(※フィクションです。妄想日記シリーズの一編として楽しんでね)
休日明けの朝、アラームが鳴っても、実弥は布団の中であなたを離そうとしなかった。
「……やだ、まだ行くな。あと五分……いや、あと一時間……」
ぐずるように低く甘える声に、思わず笑いがこぼれる。
「実弥、仕事でしょ?」
眉をしかめ、しぶしぶ腕をほどく彼の姿に、後ろ髪を引かれるような切なさが胸に差す。
「……クソ、わかってる。でも離したくねぇ」
スーツに袖を通すその背中が、どこか頼もしく見えた。
――数時間後。取引先の会議室。
あなたと無一郎は落ち着いた声で資料を説明していた。
無駄のない進行に室内の空気が自然と引き締まる。
端からその様子を見ていた実弥は、何気ない顔を装いながらも、胸の奥に小さな熱を覚えていた。
(……なんだよ。やっぱり俺の嫁だな)
思わず口元が緩くなるが、すぐに真顔に戻して視線を外す。
誰にも気づかれないように、ただ胸の内を押し込めるようにして。
だが、その日の午後――女子トイレで、思いがけない声が耳に入った。
「実弥さん、あの日私とキスしたんですよ?奥さんだけが特別なんて思わないほうがいい」
嫉妬にも似た尖った言い回し。
あなたは返す言葉を探すより先に、背後から低い声が響くのを聞いた。
「……ふーん。まだそんなこと言ってるんですか」
無一郎が、何事もないようにトイレに入ってきた。
「と、時透さん!? ここ女子トイレですよ!」
「関係ないです」
淡々とした声で、彼はあなたの前にすっと立ちふさがる。
無一郎の瞳は冷たく光り、その言葉は刃のように鋭い。
「不死川さんの奥さんは、誰よりも誠実に仕事して、誰よりも愛されてます。あなたが勝てる要素、どこにありますか?」
言葉は柔らかいが、重い。
女の子は顔を真っ赤にし、言葉を失った。無一郎はさらに追い打ちをかける。
「それに、あなたがキスを“しただけ”で、不死川さんから“返されてない”。
そんなの、勝ち誇ることでもなんでもないですよ」
完璧に論破された瞬間、空気がきしむ。
あなたは無言でその場に立ち尽くす。
胸の中の違和感が、少しずつ薄れていくのを感じた。
無一郎の言葉は、余計な説明を超えて事実だけを静かに示した。
トイレの扉を出ると、廊下には実弥が待っていた。
彼の顔には疲れが滲んでいる。
近づくと、真っ直ぐにあなたの手を取り――心配そうに言葉をかける。
「……遅かったな。大丈夫か?」
横で、無一郎が涼しい顔で言う。
「もう解決しましたよ」
実弥は深く息を吐き、無一郎を睨みつけながらも、ふっと力の抜けたように呟いた。
「……ったく、またお前かよ……でも助かった」
あなたはその一言に、胸の底からほっとした。
拗ねや不安は完全に消えないけれど、誰かが静かに立ってくれていることが、何よりも心の支えになると知っている。
人の流れに飲まれそうな廊下で、三人の間に一瞬だけ穏やかな空気が戻った。
実弥の手はぬくもりを伝え、無一郎の存在は冷静さを保たせる。
あなたは小さく笑って、二人に挟まれながら歩き出した。
外の世界は相変わらず騒がしいけれど——今は、十分だった。