いつも記事を読んでくださる優しい皆様、本当にありがとうございます花


今日は、禰󠄀豆子ちゃんの太陽克服記ニコニコ(笑) 

第一弾として

禰󠄀豆子はなぜ人間性を完全に失わずにいられたのか


についての考えを共有させていただきたいと思いますスター

竈門禰󠄀豆子うさぎ


竈門家の長女で、長男の炭治郎くんと一緒に、弟妹達の世話をしていた禰󠄀豆子さんニコニコ



お父さんが病で亡くなった後も、家族皆で支え合いながら、山の中で幸せに暮らしていましたにっこり 炭治郎くんも、生活は楽じゃないけど、「幸せだな」と言っていました。

愛する家族と一緒に笑い合い、日々過ごすことで十分でしたね。

それがある日突然、無惨に壊されてしまいます泣くうさぎ

鬼は、自分の欲を満たすためなら、他人の幸せを壊すことを躊躇わない存在ですよね。


そのため、1000年もの前、恐らく日輪刀の存在すら知られていなかった時代から今まで、人の幸せを奪う「悪鬼」を「滅殺する」という思いは、絶えず受け継がれてきました。


笑 無惨めー
鬼の悪行も、1000年もの間、絶えず続いてきたことにもなりますが、そういう鬼こそ「人」がいなければ、生きていく力を失ってしまい、体の再生すらうまくできなくなりますよね真顔

「喰って自分のものにする」という発想が非常に鬼らしいところではありますが凝視

本質的には、満たされない空っぽの心を「人」で埋め尽くそうとする、極めて寂しい存在でもあると思いました。結果、再び孤独に陥ってしまうという愚かなパターン永遠に繰り返しているのは真顔虚しいですね。


このように、鬼が人間に惹かれるのは、基本的には利用価値のあるものへの興味にすぎないと思いますが驚き

無限列車編で猗窩座が煉獄さんに示したものや


那田蜘蛛山の累や遊郭編の妓夫太郎が炭治郎に見せた興味、


刀鍛冶の里編で哀絶が示した哀しみは


人間の思考や行動に興味を持ち、「憐れみ」という感情を抱いているようにも見えましたね。


しかし、それもまた「自分より下等な生物」としての人間、あくまでも可哀想な存在への同情にすぎないものであって真顔

よくよく見ると、哀絶に至っては、その「哀しみ」すら自分に向かっているもので、半天狗ほど「自分を哀れむ」鬼はいないしーって勝手に騙された気分になりました。悲しいの無気力


このように「全ての存在が、同じ尊厳をもつ尊い存在である」ことが理解できない限り、「下等生物」むかつきである人間と同じ道を歩む鬼はいないと思いますよね。

そこが、人間性を保ちながら人と共に歩く鬼と、そうでない鬼の別れ目ではないかと思いました。


「人と出会い、思いに触れ、相手がありのままで大切な存在であることを認識できること」が、人間性を保っている鬼の前提になる。

だからこそ、「共に生きて共に戦い、命を守る」という選択ができるんですよねうさぎ


しかし「命を守る」ことはそう簡単なことではなく立志編で炭治郎と遭遇した水柱の義勇さんも


と心の中で呟いていました。

現実の世界でも、人を助けられるちょうどいい時間・場所に居合わせる奇跡はそうそう起こらないし、鬼滅の世界においても、柱でさえ容易にできることではないですよね泣くうさぎ

もしそれができたとしても、相手によっては、己の命さえ危ない状況になることだってあります。現に、炭治郎の家族を襲っていた鬼は無惨だったので、今までの戦いから推察する限り、義勇一人で倒すことは難しかったと思われますねショボーン


大事なのは、それでも自分にできることをすること、助けを求める人がいる限り、今自分にできる最前を尽くして、その声に答えることじゃないかと思います。

無限列車編で伊之助はも言っていましたね。





珠世さんも長年医者として人々を助け、死の淵にある多くの人も救おうとしてきました。愈史郎さんだけが生き残ってくれたんですが。

恐らく、珠世さんは愈史郎さんに対し、

頑張って。鬼になることは簡単なことではないし、鬼になったとしてもたくさん辛いことがあるかもしれない。それでも、どうか死なないでほしい。辛くても苦しくても、一緒に頑張って生きていきましょう。

と、愈史郎さんの「人生」を全力で応援していたのではないかと思います。

その思い触れ、愈史郎さんも自我を保っていられたんですね。血鬼術や薬の助けもあったかもしれませんがにっこり


同じように、雪の山の中の禰󠄀豆子にも、炭治郎の声が届いていたのではないかと思います。




炭治郎は自分が攻撃されている中でも、禰󠄀豆子が人間性を失わないように、必死に呼びかけていましたね。


しかし、そもそも禰󠄀豆子ちゃんが他の人を攻撃することなく、真っ先に炭治郎くんに発見されたのは、奇跡に近いことでもあると思います無気力


皮肉なことに無惨が他の家族を惨殺してしまったこと、また、山の中に家があったことで周りに攻撃の対象となる人がいなかったのと、

その日は曇っていて雪が降っていたため、朝になっても太陽にあたることなくその場に居続けられたんですよね。


浅草で無惨に鬼にされた男性が、すぐ奥さんに噛みついたことを考えると、禰󠄀豆子が炭治郎に見つかるまで鬼化せず、その場で眠っていたのは、最悪な状況で起きた一つの奇跡だったと思いました。


そして、もう一つの奇跡がありましたね。炭治郎が禰󠄀豆子を背負って山を降りてくる時、



恐らく人間の匂い(?)に惹かれ、眠っていた禰󠄀豆子の鬼性(笑)が目覚めてしまったのですが、


炭治郎が「雪」に滑ったことで、命を助けられたんですね。禰󠄀豆子も無防備状態のお兄さんを攻撃することなく済みました。




以前の考察にも書いたように、水は大自然の中を巡り巡って、命の中をも巡り、また自然に戻ってくる不思議な物質ですよね魂が抜ける


その日も「雪(水)」を通して、たくさんの「命の思い」が二人を守ってくれたのではないか、また、その中には炭治郎と禰󠄀豆子を置いて先立った「家族皆の切実な思い」があったのではないかと思いました赤ちゃん泣き




禰󠄀豆子の「禰󠄀」という字は、神偏の「礻」と 二人称の他人を意味する「爾」でできていますが、「示」の代わりに、あえて「礻」編を使っていることを踏まえ、その意味を改めて考えてみましたにっこり


かみ偏()は、「天のかみ、たましい、心」を意味すると同時に「人知でははかりしれない不思議なはたらき。霊的なはたらき。」「きわめてすぐれていること。きわめて尊いこと」も意味するそうです昇天

「爾」という字は、対等な関係にある他人を称する表現でもありますよね。


つまり「禰󠄀」というのは「神が『あなた』と共にいる」「人知れない不思議な働きが『あなた』にある」そして「『あなた』は極めて尊い存在である」という意味を持つ字かなと個人的には思いました飛び出すハート

すると、禰󠄀豆存在自体が、「悪鬼滅殺の思いを受け継いだ多くの人々との不思議な繋がり」を持つことと、「見た目や置かれている状況に関わらず、すべての存在は同等に尊いものである」という強いメッセージを表しているようにも思えてきますうさぎ


珠世さんも、人としてそして家族のように自分達を思ってくれる禰󠄀豆子さんの行動に涙を浮かべていましたね泣くうさぎ




結局、人間性を保つことができる鬼は、不思議な力によって巡り会えた「『人』の思い」に触れ、「その尊さを知り、関係を築く」ことができる存在ではないかと思います。

同時に、奇跡的な「出会い」を果たしたとしても「相手の思いを受け入れる心の備え」がなければできないことにもなりますよね赤ちゃんぴえん

例えば、下弦の伍・累は、優しいご両親がいたにも拘らず、その愛と優しさの表現を自分への応援として受け入れることができなかったので、人間への道から遠く離れてしまったと思われます汗うさぎ


最後に、鬼になった後の禰󠄀豆子ちゃんは

爪を立てて威嚇する姿、丸くうずくまって寝る姿、炭治郎になでなでを求める可愛らしい姿、言葉の代わりに顔や体の動きで感情を表現する姿など、まるで可愛いネコちゃんみたいな感じでしたね。

禰󠄀豆子さんのお名前も、豆を取ると(鬼にまくとする 笑)「ネコ」になるので、「ネズ」コであることも含め(笑)、猫を意識した名前のようにも思えるし、蜜璃ちゃんも猫が大好きだったので、禰󠄀豆子との関係性も理解できる 笑



仮に、禰󠄀豆子ちゃんが可愛い猫ちゃんのような状態だったとすると、「人間である禰󠄀豆子の自我」はどこにあるんですかね。

個人的には、禰󠄀豆子の中で「眠っている」と思いました。禰󠄀豆子ちゃん、眠ることで体力を回復しているのですが、元々寝るのも大好きだったんですよねニコニコ


また、「眠っている状態に、本当の自分」がいるとすれば、善逸さんとも共通する部分があるんですよね。彼はまだ眠って(気絶して笑)いる時に本当の自分を発揮できますからね 笑 

善逸くんには眠っている禰󠄀豆子さんの音が聞こえているのかな真顔 禰󠄀豆子ちゃんに強く惹かれているのには理由があったのかも知れません笑ううさぎ


そして「太陽を克服する」までに話がまだ辿りついていませんが、また頑張らせてくださいー 笑魂が抜ける 

鬼滅が終わって寂しい夜ですが、今週も頑張って生きていきましょー{emoji:615_char4.png.ニコニコ}