改めてではありますが・・・
僕が美容外科医としてスタートしたのは、医師免許をとって3年目の春でした。
大阪の大学病院で形成外科の初期研修と麻酔科研修を終えた僕は、上司の勧めもあり、新くできる岡山の大学病院の形成外科の立ち上げに参加することになった。
ここでの仕事は、本当に楽しいものでした。マイクロサージェリーという方法があるのですが、当時、岡山の病院では、形成外科というより再建外科がメインでした。
再建外科では、一度、体から離れた組織をマイクロスコープを使って動脈 静脈をつないで自己移植するのですが、一度離れた組織に命が吹き込まれるような感覚がありとても興味をそそられました。
切断された、指をつないだり、遊離空腸を食道に移植したり、さらに性転換手術なんていうのもありました。
やっと、形成外科医として本格的な仕事ができる時だったのですが、実家の家業が傾き、急に両親の生活が僕にのしかかってきました。
はじめは当直のアルバイトを繰り返したり、なんとかやりくりしていたのですが、国立大学の大学病院で責任ある立場をまかされながら、パートを続けるには限界がありました。
ついに留学準備で貯めていたお金も切り崩すことになり、美容外科でのアルバイトを考えました。
そうして、岡山から神戸の美容クリニックでアルバイトを始めることとなりました。
新幹線で着の身着のままで面接に行ったことを今でも鮮明に覚えています。
形成外科医師として仕事に専念できないことで父親を恨んでしまったこともありました。
医師としてやりたい仕事があったからです。
なんて、しょうもない親をもったんだろうと悩んだこともありました。
でも、同時に、本当に苦しい中、医学部の学費を捻出してくれたのは他でもない両親でしたし、苦労もかけたことも事実でした。
そういった悩みを神戸の美容クリニックの院長先生に正直に、話したところ大変便宜をはかって頂き、週末は美容外科医師として働かせていただけることになりました。
この神戸の先生には、本当にいまでも感謝しています。美容外科医としての基本をこの先生から教えて頂きました。
脳外科出身の神戸の先生は、本当に手先が器用で手術が上手でした。
また、破天荒な性格で、人間的にも大変魅力のある先生で、リーダーのあり方を学ぶことができました。
ここから、僕は美容外科医師としてスタートすることになったのですが、人の出会いが人生には本当に転機になると思います。
この先生との出会いが僕にとっては大きな大きな転機になりました。
今となっては、両親には大変感謝しています。
確かに形成外科医を続けることはできなくなったけれども、美容外科医として早いスタートをきることができましたし、いい師匠にもめぐり合うことができました。
人生には何が幸いするかわかりません。
そのとき最悪な出来事と思ったことが、それを乗り越えることで最良の結果に結びつくことがあります。
どんな時も腐らずにもくもくと前を向いて歩くことが大切です。
頑張っていると。いろんな人が僕を支えてくれました。
これからも苦しいことがたくさんあると思いますが、前だけを向いて頑張って行きたいと思います。
いまから、ここから…
当時の葛藤についてはKEYMANSをご覧ください。
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医学博士 麻生泰(Toru Asou)
医療法人社団東美会 理事長
東京美容外科 統括院長
公益財団法人 国際音楽芸術振興財団 代表理事
慶應義塾大学 医学部大学院にて医学博士号取得
慶應義塾大学医学部 非常勤講師