いきなり、重い題名でびびった人もいるかも知れません。
なーんのことはない、僕の話です。
最近珍しくもなんともないと思うのですが、よく聞かれるので書いておこうと思います。
僕は、学会員です。なんて書くと美容外科学会かっ?て当たり前やろっていわれそうですが、創価学会という宗教団体です。
えええーーーっまじで。麻生先生 創価学会やのんって言われそうですが敢えて書きます。
学会というと宗教とは少し違うニュアンスなんですが、入っている人にしかわからないでしょうなぁー。
僕は生まれながらの学会員でした。そうです、つまり両親が創価学会員といういわゆる2世です。
こういうのを学会では学会2世と呼ぶ。
なんの、疑いも迷いも思考もなく学会に入会していたことにもなります。
素直でいい子ちゃんだった僕は、言われたら迷わず仏壇の前に座るとってもいい子でした。
小学校は、関西創価小学校。中学、高校も関西創価です。つまり高校卒業まで、創価学会員しかほとんど友人はいませんでした。
完全な一貫教育。←これは一般の人からみたら怖いかもね。
もちろん、僕は自然科学である医学を勉強しましたので、超常現象なんて信じませんし、祈ったら病気が治るなどとのたまう人間の言うことなんて信じません。人の弱みに金をまきあげる宗教とかうさんくさすぎだと思います。
以前、癌封じ寺なんていう看板を見たことがあります。そんなもん封じられるわけありません。
よく、創価の友人達におまえは、ご本尊の凄さがまだわかっていない。祈りとして叶わざるなしの凄い信仰を俺らは持ってるんやぞっなどと言われたものでした。
素直な僕は、中学時代にある実験をしました。祈ってなんでもかなうのなら、勉強せんでもいい成績が取れるはずと、勉強一切せずに、仏壇に祈るだけで数学のテストを受けたことがあります。
あほですね。←完全に、中学生にもなってですよ。当然結果は最悪ですわ。
祈るだけでは、いい成績は当然とれません。
いずれにせよ、平和な幼少時代ですね。
僕は、この場合、祈りというのは強い思いであると考えています。
人間というものは強く思うことを叶えることができる力があるということを信じています。
また、自身の体験として、強い思いを叶える力が人間にはそなわっていると確信できています。
そのことを創価教育から学ぶことができたと思っています。
ただ、長い人生で、本当につらく、自分の力ではどうしようもできないような出来事にぶち当たるときがありますよね。
不治の病、交通事故、大切な人の死など様々です。
その時、どう動く?具体的に?
そんな時がありますよね。そういう時、宗教や哲学が必要なのかもしれません。
自分の思いを信じることができなくなる時もあります。
そんな時、学会の同志(学会員どうしは同志と呼び合う。)がいつも励ましてくれました。
本当に嘘偽りなく、他人の幸福を願える人達から暖かい激励を頂きました。←本当にこういう人間がいる。
自分を支えてくれた多くの人たちがたまたま学会員だったってことかなー。
でも、それを、仏法では縁だと表現します。
人の世の幸、不幸は出会うことから始まるといいますが、いままで出会った誰が欠けても今の自分はいませんよね。
僕は、この学会のくれたいい縁を大切にしたいと思っています。
創価学会の名誉会長の池田先生についてですが、先生の著書を読んだことのある人は、よくわかると思いますが、学園生時代に創価学園の創立者である池田先生からはたくさんの言葉や激励をいただき、自分の人生の師匠であると思っています。
池田先生の期待に応えていける人材を目指して頑張るというのが、創価学園生達の根底にはあると思います。
そういう頑張りが人生に光を与えてくれた友人も多かったのではないかと思います。
もちろん、創価学会に入っているから、良い人間とは限りません。
創価学会も大所帯でいろんな人間がいますよ。
ただより良く生きるための方法を学ぶことができると思っています。