今日は、父親の四十九日の法要だった。


なんだか、父親が亡くなって
とても時間が過ぎるのが早く感じる。


父親が亡くなって、
時間が経つのが、早いなぁと、
感じる一方で、不意に悲しみが沸き上がり、
わたしは涙が溢れて止まらなくなる
ことがたまにある。



そんな時、
わたしは、止めどなく溢れてくる
どうしようもない悲しみをそのまま
感じさせて。
思う存分、わたしは、わたしを
泣かせてあげる。

そんなとき、昨日泣いたから、
今日は、泣かないだろうとかは、
ない。


例え、昨日思う存分泣いたとしても、
今日また、涙が溢れてきたら
泣かせてあげる。



何かが解決することもなく、
解決させようとすることもなく。


わたしが、ただ、出来ることは、
わたしが泣きたい、悲しいと感じたら、
それをさせてあげることだけ。


昔は、それが出来なかった。
いつまでも、クヨクヨしちゃダメだ。
とかで、わたしは、わたしを苛めてたなぁ。


だから、昔は今悲しくてとか、
ちょっと気分が沈んでて。
とかを、わたしは、言えなかった。
気をしっかり持たないと。
って、自分で自分に鞭を打ってたなぁ。



けど、今は、わたしは、
家族や職場の人に言葉で
少しずつ伝えることが、 
出来るようになってきたなぁ。


と、そして伝えることに対して、
罪悪感を感じることが、
少しずつ薄くなってきたなぁ。
と、わたしは、思えるようになってきた。

そして、わたしは、自分にそれでいいよ。
って、言ってあげれるのが、嬉しい。

と、感じた、お父さんの四十九日の
法要だった。

色んな気持ちを感じさせてくれて、
ありがと。




法要後、お寺からみた空。
今日も、空は美しかった。

おやすみなさい。
今宵もよき夢を~。

おしまい。