今日は、初七日。

父親が亡くなって、1週間経った。

先週の今時分は、
明日(月曜日)は通院日ということで、
お風呂の介助したり、夕飯を食べさせたり。


そんなことしてたなぁ~。


父親は父親で、
前日転倒したにも関わらず、
部屋を片付けんと。って。


前日転倒して、目が腫れて視界が
儘ならない中、部屋の掃除をしだして。


お風呂も何時もは、
中々入りたがらなかった人なのに。
(入院中も入浴しないとのことで看護師さんを
困らせてた(笑))

この日は、自らお風呂入れてくれと。

いきなり片付けしたり、お風呂入れてくれと言ったり、なんかお父さん、どうしたと?
って感じだった。


そして、ご飯を食べさせてたら、
『お前は介護の人みたいやな~』と。

『えー、介護の人とか嫌だー。
良くなって自分で食べれるようになってよね。』

とか、そんな軽口を叩き、笑いながら
食事を済ませ。

翌日の通院の父親の服や帽子とかを準備
し終えた。

わたしがお風呂入るとき、
父親に『わたしは、今からお風呂入るけど、
何かベッドから離れてやりたいことある?
トイレとか大丈夫?』と、確認した。

父親は、特に無い。と言ったので、
お風呂から上がるまで、ベッドにいてね。
と、父親に伝えお風呂に入った。

お風呂に入って暫くしたら、
大きな音が聴こえたので、リビングに行ったら、父親がベッドから離れて倒れていた。

まさかの二日続けての転倒。

父親に声をかけたら、
『トイレに行きたい』と。

何処か出血してないか確認したところ、
顎をちょっと切ってた。
顎を冷やしながら、止血し。
ある程度止血したのを確認して、
父親をトイレへ。


父親がトイレに行っている間に、
わたしは、身体を流しに再度お風呂へ。
急いで、身体を流しお風呂から上がり、
落ち着いた頃、トイレから父親に呼ばれ、
父親をベッド迄介助。


父親がベッドで横になって、
おでこが腫れてたのでおでこ冷やしたり、
体温を計ったり。
なんかかんか、父親と話ながら、
一通りケアをし終えて、何かあったら
隣のリビングにいるから呼んでね。と。

父親の部屋の隣のリビングで、
一息ついてたら、何となく父親が気になり、
部屋に行ったら。

汗びっしょりかいて、手足をバタバタ。
『帰りたい。帰りたい。帰る』と、
うわ言を。

わたしは、気が動転し『お父さん、ここ家よ』
と、言いながら。
救急車呼ばないと、と。
あまりの急変振りに、慌てて。
救急車の番号を忘れてしまい。。。


救急車のセンターの人の質問に応えるのも、
ままならず。
そうこうしているうちに、救急車が到着。
そして、何時もの病院に救急搬送。

救急車の中で、父親の容態が変わり、
右半身に麻痺症状が。
病院の指示を救急隊員の方が受けてた。

この日は、台風の影響なのか、
救急搬送が多く、待ち合い室もまぁまぁ
人がいた。
 

待っている間に、県外の兄に連絡。
泣きながら話したので、
何を伝えたのかあまり覚えてない。
ただ、晩酌したので、車の運転が出来ないとのことで、明日の朝一で病院に行く。と。

兄に連絡後、医師から呼ばれたので、
診察室へ。

父親は、転倒時に頭を打ったみたいで、
脳内出血していると。
本来であれば、開頭手術になるけど、
血小板が0. 1以外しかないので、手術は
厳しい。と。

点滴するために針を刺すだけで、
出血が止まらない状況。
輸血しても、輸血した側から血液が壊れている状況です。とのこと。

このままだと、あと一日もつかもたないか。
とのことだった。

わたしは、この時、ただ先生の話を
泣きながら頷くしか出来なかった。

そして、先生から延命について、
質問を受けた。
延命については、生前、主治医の先生からも
ご家族で話し合ってください。
と、言われてたので、延命をどうするかに
ついては、答えは決まっていた。

ただ、救急の外科の先生から質問されたとき、
わたしは即答出来なかった。

救急の先生とのお話後、再度、兄に連絡し。
呆然としながらも、わたしが覚えている範囲で、救急の先生からの説明内容を伝え。
延命について、再度兄と話した。

兄と話したあと、父親と一緒に、
HCUに移動した。

既に深夜1時過ぎてた。
看護師さんから、休みませんか?と、
言われ。
看護師さんが、病棟にある畳の部屋で、
お布団を準備してくれた。

畳の部屋で休んでたけど、全く眠れず。
畳の上でゴロゴロ寝返りしてたら、
いつの間にか寝てた。
気がついたら、深夜3時になってた。

お布団の上に座ってたら、
看護師が来て病室に来て下さい。と。

歩きながら、延命のこと伝えなきゃ。
と、思ってたら、先生と看護師が来てくださり、延命はしないでください。と、伝えた。

先生から、お兄さんは?と、聴かれ。
兄は飲酒してるので、朝一で来ます。
と、伝えた。

父親の病室では、
何故かソファーに座る気がせず。
ずっと、ずっと、父親を眺めた。


そして、
徐々に父親の呼吸や心拍が不安定になり、
早朝に父親は、旅立った。

長いようで、あっという間の時間だった。

お父さん、おつかれさまでした。
最後の最後まで、お父さんは、
自分の中の小さな『たい』を大事にしたね。

わたしは、ベッドにいてね。
って、伝えたのに(笑)

お父さん、
お父さんが亡くなってから1週間経つけど、
なんかね、お父さんはネタの宝庫過ぎて、
悲しいながらも、何故か笑っちゃうよ。

面白いね。


お父さんがいた、
最後の病室に飾られてた絵。