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毎週日曜日の新聞には書評欄が4ページもあって楽しみにしている記事です。本の概要を説明したり、感想を述べたりして何とか読者に本を買わせようとする記事ですが、その買わせようするのをどの程度そそるのかがが楽しみで読んでいます。本日も朝日新聞の読書ページを一応は読んでみたのですが、この「日本人にとって美しさとは何か」という表題の本は私の感じている世界とは大きくかけ離れた狭小な世界のものではないかと思い書いてみました。
この本の著者は美術評論家というので名前の通った人だと言うのは知ってはいるという程度です。その表題がまずは気になりましたね「日本人にとって」というのはどういう事なのでしょうか。「日本人」とおっしゃいますが、実に多様です、価値観も広いですし、知識や経験の幅もさまざまなので、「日本人」と決めつけいるのに先ず反感を持つた次第です。こういう書き方は、情報過多な現代とはかけ離れた明治大正時代の情報に乏しい時代には何となく共感を持って書かれた表現ではないかと思うと、随分と古いなと感じざるを得ません。

上げ足ばかり取るようで申し訳ないのですが「日本は自然に、西洋は反自然に従うという、二つの感性の比較から語られる」というのを見ると、私はそもそもの論点がおかしいと思いました。
話としては比較した方が分かりやすいという事でのべているつもりかもしれませんが、芸術と言う分野から見るとそういう比較は出来ないだろうという風に思っています、比較すること自身が意味が無いとも言えると思います。無意味な比較を延々と述べているらしいのは余程自身の観念に埋没しているとしか感じられません。日本程生活や観光優先で自然を破壊しているのは、西洋の観光地を見て回れば自然に感じられます。西洋の都市は旧市街地でも普通に生活していますが、日本で築100年の家屋が並んで生活しているのは本のわずかしかありません。そういう西洋の景色が素晴らしいから日本人は感激するのではないでしょうか。私が書くなら「日本は反自然に、西洋は自然に従う」と書きますね。

その外にも言いたいことは沢山ありますが「ぼくは東西の自然観の相違にも興味を抱いた。西洋の見えるものへの物質的信仰に対して、日本の物質の背後に見えざる精霊アミニズムを認め、人間と自然を同一に考える日本人の宇宙観に日本人の独自性が宿っていることを本書から示唆されたような気がする」という下りに非常に抵抗を覚えました。
これは日本の野山を信仰の対象とする事をいっていると思いますが、今どきそんな事を信仰している日本人がどれほどいるのでしょうか甚だ疑問です。「西洋は見えるものへの物質的信仰」と書いていますが、それは見当違いも甚だしいと思います。キリスト教の教会に行くと分かりますが、キリスト像やマリア像・伝道師像なんかがおいてありますが、信仰者はそういう像に向かっては祈っていません。椅子に座って下を向いて長い時間祈っています。そういう姿と日本のお寺での参拝者の態度は大いに違い、日本では偶像に向かってお祈りしています、それも現生利益ばかりを祈って。
著者は当然ながらヨーロッパにも美術館や教会にも行っていると思いますが、信仰の仕方の違いには気づかずに教会の大きさだけを見て「見えるもの」と言っているとすると甚だ表面的にしか見えなかったとしか思えす、こういう間違った本を書いたのかなというのが私の感想です。
表題は「東西で異なる自然観、美意識」というのが現実からかけ離れた表現で、私ならば「洋の東西を問わず、人間の育った環境で異なる自然観・美意識を持つ」という風に書きます。それほどに現在はグローバル化しているという状況を知らない人もいるという証の本かも知れません。