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佐村河内守氏が詐欺的な行為をしていたことがほぼ確定したような状況になって、ウェブ上には色々な書き込みが見られます。佐村河内守氏が作曲したという交響曲第一番<HIROSHIMA.>を絶賛した人たちに対する非難や対応が無い事に対するコメントが結構あります。
 
今回の事件で私が問題にしたいのは、客観的評価が無いまま、金儲けのために盲目的に評価がされたのではないかという事です。
CD発売元は売らんがために様々なプロモーションを行うので、それに巻き込まれた評論家なんかが犠牲になっているとも思います。それでも評論家とか音楽家とかいう、佐村河内守氏を褒めちぎった人たちは、世間に対しての説明責任はあると思います。
発売するCDの批判的な意見は、発売元の非難に通じるので、そういう意見を発する事自体が自らの飯の種を失うかもしれないという人もいるかもしれませんが、一般人ならばそういう事はないだろうと思いながら、出てこなかったことに問題を感じます。
 
当時、もっと厳しい評価や色々な意見がでれば、現在の事件の救いになるかも知れませんが、否定するような論調は見当たらないのが問題だろうと思います。リベラルな雰囲気が日本には無いとも思えます。
昨年末、ある雑誌で疑義が提示されてましたが、私から見れば遅すぎるという感想です。交響曲第一番のCDが販売されたのは2011年で、雑誌で疑義が呈されたのは2013年ですので2年も経過しています。憶測ですが、CDが発売されてから2年間の佐村河内守氏の行動に疑問を感じて、それで調べたというような感じがしないわけでもありません。
 
日本では「出る釘は打たれる」とかいうことわざがありますが、今回の事件は出る釘も見当たらなかったというので、日本人の感性の鈍感さとか、表面ばかりしか見えない、付和雷同傾向とか、・・・日本人の劣化というような事が裏にあるのではないかと感じています。