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本日の日経に掲載された「半導体興亡史・巨艦日立激流に沈む」という記事の感想である。
要旨は日立製作所の歴史ある重電事業と新しい半導体事業を年度予算制度という同じ物差しで管理したために、半導体業界の足の速い業界動向についていけずに事業を辞めたという内容でした。
 
まず第一に感じたのは、事業を失敗した責を追うのは、事業管掌している専務ではなく社長が負うのが常識であるのにも関わらず、社長は知らぬ存ぜぬを通した非常識でした。責任は現場の長にあるという形にしたのは如何にも老舗らしい日立流と思いました。これは何も日立に限らず大きな会社や役所には普通にあることなので驚きはありませんが、こういう責任回避が会社を萎縮させ毎年業績も思うほど改善できていない遠因だろうと感じました。
 
第二は予算制度という管理手法である。日本では多くのサラリーマンが日常この予算という数字で管理されているのでなじみある制度ですが、新聞記事では予算制度は重電事業のように数年先まで主要顧客の電力会社の設備投資計画が明らかになっている事業には有効でも、半導体事業のように業界の動きが激しいものには難しい管理方法であると解説してあります。
動きのある情報システム産業でも、この予算制度で会社の業績は管理されている会社が多く、四半期ごとの業績を追求されています。年度の予算を決め、数字達成のために色々な施策を打って目標をクリアしていくという毎日です。予算制度は、ある意味では年中行事になっています。
 
会社の業績管理が難しいが故に、昔からのとか、他社にならってといような安易な旧来の予算制度任せにして、同時にサラリーマン役員は自分の在職期間を安寧すればよしとするが故に、日立は半導体事業を捨てると言う事態に直面したのではないかとも推測されます。
それでは、流れが激しい業界の企業管理のありかたはどうすればよいのか、と問われても答えはありません。そその答え探すのが社長・役員の仕事だと思います。そう考えると、そもそも社長・役員の求める才能も無いのに人脈・派閥人事で役員にさせていたのが事業断念の根本原因と思います。又、企業は人なりを忘れた企業は衰退のみあり、という事例だとも感じました。
日立をけなしている私自身は日立とは何の縁もゆかりのない者ですが、冒頭述べたようにこれは日本の会社では特異な事象ではないと思います。その意味でも、政府が口先ばかりの経済の構造改革を言っていますが、同様に企業の役員が建前で改革とかチャレンジとかもの申す姿は空々しく感じるばかりです。