今回は昔のように二泊三日の忙し旅。
でも、もうこういうのは最後にしよう。
疲れすぎる💦

久々に成田空港から出発。
朝ご飯(ブランチ)を改札出たとたんのファミマで買ったけど、チェックインカウンターそばにミニストップがあった。次回はこちらがあることを忘れずに。
ミニストップでシャインマスカットのソフトクリーム、これは絶対食べちゃうでしょう。

成田からの搭乗は昭和の映画のロケットっぽかった。こんなふうだったっけ?なんか面白い。

那覇の空港に着くと機内からバスで移動だったので時間がかかるなと覚悟していたら、荷物引取の所で降ろして貰えたので割と早くて良かった💕

今回は那覇の歴史深掘りの会に参加したくて特にいそいでいたんだけど、日にちが繰り上がったので1時間しか出られない。ギリギリまで迷い、行ってみた。
参加者の半分がねーねー、にーにー。1/3が元公務員、現公務員。
主催者のMidori さんは那覇出身だけど那覇のことを何も知らないからこういうユンタク会を始めたという。今回のテーマは國場組。

たまたまMidori さんが少し前に耳の聞こえない年配の方と会い、話したのがキッカケだそう。
昭和初期から戦後すぐぐらいは風疹で耳が聞こえなくなった人が多くてその方の周りにも沢山いた。学校で筆談をしようとすると怒られて読唇を強要されて辛かったけど今は感謝している。
國場組に耳の聞こえない人が働いていてその人が間に入って耳の聞こえない人の仕事の世話や取りまとめをしていて採用してもらい、皆助かっていた。
ところが、復帰と共に公共事業が減り、弱者から解雇されてしまった。
そんな話を聞いて國場組に興味を持ったという。

國場組の初代は山原出身で建設業で修業をしていた。宮古島でしばらく建物の設計や建築に携わっていた後、沖縄本島に戻り会社を興す。
戦争時代には滑走路の建設などを一手に任され、その時には國場組の設計や管理者等は兵役も免除されていた。また、戦争がいよいよ佳境に入った時に民間人が乗れない飛行機に家族全員乗せてもらい、九州に逃げのびたそう。
その搭乗の許可を出したのは軍の幹部であった五島慶太(東急創業者)。仲が良かったらしい…
などなど、どこまでが本当かはわからないが興味深い話が聞くことができた。


ゆんたく会が開かれた場所。

お店の中の様子。

可愛いい。

でも、残念なことに今はイベントの時にしかオープンしていないんだって。
もう終わった時にはお腹ペコペコでブラジル料理を食べる気満々だったのに😓