久しぶりの投稿です。(今年に入ってから殆んど投稿しておらず😅)
今回はセラピストとしてではなく、一人の母親として…
備忘録として書きます。
なが~いので、お時間のある方だけ良かったら…😅
一年前、当時高校三年の三男が大学受験に挑んだが敢えなく全ての大学からご縁を頂ける事がなく、彼は浪人する道を選んだ。
次男に次いでまさかの浪人…
浪人の一年間は精神的に辛いことを、次男を通して知っているからこそ、私も覚悟を持って挑む決意をした
…が、なんと予想外な事に、コロナ禍での環境が逆に幸いし(?)、今まで野球三昧でどちらかといえば疲れや辛さからくるストレスの捌け口にされていたのが、そのストレスが無くなったのと、お互い家にいた時間が多かった為、たくさん二人で話す時間が出来た
口数の少ない兄たちとしたことがなかった息子との語らい
そのお陰で、浪人、コロナ禍という状況の中、私は母として幸せな日々を送れていたのだった
そしていよいよ受験本番
父親からは、浪人すからには高みを目指せと激を飛ばされ、
「絶対に見返してやる」
と燃えて挑んだ三男。
(なんせ、「黄色い戦士(音1)」なものですから😅)
しかし、滑り止めの大学以外は結果が芳しくなく、でも周りは、
「父親とと同じ大学から合格貰っているんだし、勉強したい学部なんだから良いじゃない❗」
と思っていたが、本人はどうしても納得出来ずに、ある日突然、
「後期試験で関西の大学を受験したい❗」
と言い出した
「はぁ~⁉️関西の大学?何言ってるの⁉️」
と言ったが、黄色い戦士君は引かない。
父親は、「どおせ記念受験でしょう!それに、そんなレベルの大学に受かる訳無いから、気が済むのなら受ければ❗」と、呑気な対応…
父親はもう、三男は自分の出身大学に行くんだと決めつけているが、私はドキドキ…
ナゼかと言うと、三男が夢でその関西の大学にだけ受かった夢を見たと聞いていたから。
しかも、私も合格発表数日前に関西の大学に受かった❗という夢を見る始末
本当に受かったら、絶対に関西に行くと言われ、お金の面の心配もだか、もし彼が家を出ていってしまったら…って思ったら寂しい
そんな複雑な気持ちを抱えながら、ようやく3月半ばの合格発表の日…
「合格した」(三男)
「えっ、マジ」(私)
「じゃあ、出掛けてくるぅ~」(三男)
と言って、意気揚々と高校の同級生と湯島天神に御礼参りに出掛けて行ってしまった。
私は一人残され、嬉しさよりもこれで三男が関西に行ってしまうのかと思ったら、息子とのこの一年間過ごしてきた幸せな日々があったからこそ余計に寂しくなり、とたんに涙が止まらなくなってしまった
直後にZOOMでフラのレッスンがあったのに、踊りながら涙が止まらない
幸い、画面が小さいし音声はミュートにしてあるので先生や他の方に気付かれることは無かったが、寂しくて、悲しくて…
レッスンが終わってからも涙が止まらず、思わず、大学から家を出てそのまま地方で就職してしまった一人息子を持つ姉に、泣きながら電話をしてしまった…
その後も、ほぼ一日泣いていた
こんなに三男にいれこんでいたのかと、自分でもビックリする程だった(笑)
しかし、彼が夜、祖母に報告のTELをした後に泣いていたので、「どうした?なんで泣いてるの?」と聞いたら、「この一年と受験は本当に辛くて…やっと終わったと思ったら…でも、これで胸を張って大学生になれる❗」との一言を聞いて、私の腹は据わった。
「とにかく、泣くのは後にして住む場所や引っ越しの準備をしなきゃ」
そう思った矢先、思いもよらないことに、今度は父親がごね始めた
三日ほど経っても、重箱の隅をつつくような事ばかり言う旦那さんに業を煮やして、週末、家族三人で話し合いをした。
息子もなぜその大学に行きたいのか、などの気持ちを彼なりに必死に話しているのに、それでもまだグチグチ言うので、
「ごねる意味が分からないんだけど本人は関西の大学に行くと行ってるのに、子供のその気持ちを折るような事ばかり…なんで」
と言ったら、そのまま黙り混んでしまった…
待つこと数分…ようやく口を開いたと思ったら声を震わせながら、
「今まで、ずっと野球三昧でそれ以外の思い出もなく…兄たちはもう就職して家を出てるから、これからお前と野球観戦したり、旅行行ったり、酒を飲んだりすることが出来るって思ってたから…」と、息子の前で初めて男泣きをした父…
ビックリしたけど、私なんかより遥かに寂しかったんだな~…とその時ようやく気がついた
20年前、女の子がどうしても欲しいからと私が頼んで…でも、もう子供は二人で十分❗と言っていたのに、最終的に私の気持ちを汲んでくれて…でも生まれたのは男の子で(笑)
でも、なぜかその息子の名前に自分の亡き母親の一文字を付けたいと言われ…(なぜ父親じゃないのとは敢えてつっこまなかったが…(笑))
その息子が、自分の夢だった高校野球を…甲子園を目指し、親子鷹のごとくに付きっきりでサポートしてきた父。
私なんかより遥かに思い入れが強くて、だからこそ私より何倍も悲しかったようだった
でも、本心を吐き出してスッキリしたのか?はたまた観念したのか?(笑)
それ以降、三男と共に色々な手続きや(滑り止めの大学の辞退手続き、関西の大学への入学金・授業料支払いの手続き等…)、部屋探しを始めた❗
ようやく重たい腰が上がり、週明けに二人で住まいを探しに大阪に向かった。
(私も付いていきたかったが、ここは父と息子でじっくり語らって貰おうと思って…)
三男から、大阪のキャンパスや直ぐに気に入ったシェアハウスが見付かったとの連絡を貰い、私もホッとしたのも束の間…
翌日の昼間、私がスーパーで買い物をしていた時に三男からのLINEのメッセージに思わず暫くその場にリーズしてしまった
「なぜか、東京の大学の繰り上げ合格の連絡が来た…」
「えっ言ってる意味が分かりませんが」
どうやら、見逃していたのか…?
東京の大学の繰り上げ合格を貰えたらしい。
…だって、滑り止めの大学を辞退して、大阪の大学に入学金と授業料振り込みましたが
でも……
暫く気持ちが纏まらなかった
もちろん、大学四年間のランニングコストを考えたら、入学金を捨てても東京の大学の方が経済的なのは明らかだし、しかも彼の第二希望の大学だし、何よりも遠く離れてしまうことも無い
なのにもろ手を上げて喜べないのは何故
三男は、もう大阪で大学生になるモードにすっかりなっていたので、いくら第二希望の大学とはいえ素直に喜べず、私も覚悟を決めて大阪に行かせると腹を括ったので、複雑…
そんな母と息子を尻目に一人ウキウキな父
不思議な感情が我が家に立ち込めた
どちらでも行きたい大学に行きなさい❗と伝え、散々悩んだ挙げ句、やはり学びたい事がある大学に行くことが良いと本人が選択し、最終的に東京の大学を選び、二度目の辞退手続きと、新たに入学金・授業料の手続きを取る父。
息子三人もいると色々な事があったが、我が家の伝説が…この先、一番の伝説として塗り替えられた
東京の大学を選んだものの、大阪での大学生活を一度夢見てしまったので、なかなか切り替えられない三男…
その様子を見て複雑な母…
ウキウキな父…(笑)
3月25日に最終決意をし、それから一週間後の4月2日にようやく入学式を迎えた。
こんな、前代未聞の出来事を経ての大学入学
全ては人生の学び。そして糧としてこれから心行くまで大学生活を楽しみ尽くして欲しい
どんなことにも間違った選択はないのだと信じて、成人を迎えて欲しい。
そして、私は流した涙の分、親として成長させて貰ったのだと三男に感謝し、これからは本気でセラピスト活動に打ち込もうと思う。
ほんと~~~~~~に長い長い一ヶ月だった。