星石譚・東方の焔

星石譚・東方の焔

忍法帖風ヒロイックファンタジー、一部ドタコメ風味(予定)

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「さて、皆さん。覚えてるかしら? 星石を集めたものは、一つ願い事が叶うんだけど?」
 ヴァルファの管理者ことジェイが言ったのは、なんとか泣きやんだリサが顔を拭いて、「特別よ」と泣き腫らした目に治癒の魔法をかけてもらったあとだった。
「おじさん、特別ばっかり言ってない?」
「そうよ。だって、特別ってのは大好きな相手に使うものでしょ」
 言われた風太は、いたく納得したようだった。
「冗談でしょう?」
 星石が本当に願いをかなえるなんてと、声を上げたリサに、
「冗談じゃなくてよ。星石を前にしてお願いごとを唱えるワケ。お金持ちになりたいとか、病気を治してくださいとかね。そうすると、運気がそっちの方へ向くワケ」 
 岩石を刻んだようないかつい顔が、にっこりと笑んだ。
「じゃあ、死んだ人を生き返らせたりとかは、駄目なんですの?」
 一瞬思ったのは、あの仏頂面の過保護なお父さん、元聖騎士のスランだった。
 もし、一つだけ願いが叶うなら――
「リサちゃん」
 いさめる口調で言って、翔がかぶりをふる。
「そうね。それだけはできない――しちゃいけないコトなの」
「ああ……そう。そうですわよね」
 それでは、あの元神官の老人や、最後まで名前のわからなかった魔道師と同じことになる。それに、それぞれの生を完結させたものを、無理に現世に呼び戻すのは非礼なことだろう。志半ばに倒れたものについては――呼び戻しては、かえって、すごく厄介なことになりそうな気がした。
「だったら、ありませんわ」
「いいの?」
「いいんです。今は……帰って、お父様とお母様に逢いたいだけ」
「あ。おいら、なんかお願い事しちゃったみたい」 
 風太が言う。
「何て?」
「早く大きくなって、強くなって、月影さんの助けになりたいって」
「風太……」
 三つくらい声が重なって、破顔した翔が風太の髪をくしゃくしゃにかき回した。
「ちょ……ちょっと、やめてよ!」
「期待してるからな。せいぜい修行に励んでくれ」
 微笑ましいわねと、ジェイが顔を緩める。
「愛されてるわねぇ、月影さん」
 喜んでいいものか――と、ちょっと憮然とした顔を見せて、すぐに青年は快活な笑い声を立てる。
「そういうお願いなら、僕もしちゃったような気がします」
 クリスが気弱げな微笑を見せる。
「何て?」
「素の僕で、もう少し皆と親しくなって、もうちょっと旅がしたかったなって」
「それなら、わたくしだって、皆であの道を帰りたいって」
「わたしもだ」
「妾もじゃ。無事に帰って、吾子たちの顔が見たいと」
 顔を見合わせて、皆で笑い出す。
 皆、欲がないわねぇとジェイが呆れた顔で言って、それから一際高い声で笑いに加わった。
「帰れるよね、これで」
 風太の言葉に、
「元の暮らしに戻るわけじゃな」
 曄姫が少し名残惜しげな表情を見せる。
「僕はどうしようかなぁ。このまま翔たちに付いていっちゃ、迷惑ですか?」
「迷惑じゃないが……扶桑まで付いて来る気か?」
「あ、そうか!」
「兄ちゃん、お間抜け」
「ほんに、最後の最後までなぁ」
「曄姫さぁん~」
「ほら、これじゃ」
 ちらり――横目で若者を睨んで肩をすくめる曄姫に、リサは笑い出す。相変わらずの遣り取り。抗して交わせることが、こんなに嬉しい。
 そうして――
「あ……。翔さんと風太ちゃんは……」
「帰って、里を立て直す」
「弧月の爺ちゃんと篝(かがり)姉ちゃん、首を長―くして待ってるもんね。あと、薄氷(うすらい)さんと、野火さんと――」
「伶月と木霊も戻ってきたそうだ。あとでリシルに連絡があった」
「やったぁ!」
 風太が歓声を上げる。
 今にも扶桑に飛んで帰りそうな勢いに、
「家までは……送っていって下さいますわよね」
 慌てて言うと、当然だろうと笑われた。
「約束しただろ? 皆で、あの道を帰ろうと」
「そうでしたわね」
 ちょっと顔を赤らめて、リサは翔を見る。
 最後まで妹のようにしか見てもらえなかったようだけれど――
 もうじきお別れだけれど、
 また、同じ道を皆で帰れる。それが何より嬉しかった。
 これで、もう一人さえ一緒だったら――


「泣くなと言ったはずじゃぞ」
 いきなり後ろから声がして、驚いた。
 振り返ると、灰色の髪の仏頂面の過保護なお父さん。
「泣くなと言ったはずじゃ。主にも小僧にもな。あの若いのにも嘆くなと。そう言ったというに、そろいもそろって――」
「だって、そんなの無茶苦茶ですわ。おじさまの身勝手ですわ。本当に悲しかったのですもの。それに、悲しかったり辛かったりするのを堪えるのは、健康に良くないんですのよ。旅立つ前に父がそう言っていました」
 リサの糾弾(きゅうだん)に、元聖騎士は困りきった顔をする。
「だいたい、スランのおじさまは、いつも勝手なんです。今回だって今頃になって、そんなことを仰るなんて! 一体今までどこにいらしたのです?」
「どこにも行きはせん。ここにおった」
 元聖騎士は、リサの胸の辺りを指す。
「これからも、そこにおる。ずっと、ずっとな」
 言う声が、少しづつ遠ざかる。
 姿が薄れる。
 おじさま――呼ぶ声に、遠く答えが帰る。
「忘れるな。儂はそこにおる。この先も、ずっと」

 目を開けると、顔が涙で濡れていた。
 帰りの旅の初日。小さな町の小さな宿。うすい若葉色のカーテンを透かして、早朝の光が射し込んでいる。
 会いに来てくれたのか――
 それとも、星石が願いを聴いてくれたのだろうか。
 望んだことは、皆が一緒に――だったから。
 それでもまた、きちんとお別れが言えなかったなと、それが少し残念だった。
 ――相変わらず勝手なおじさま。
 自分の言いたいことだけ言って、さっさと帰ってしまうなんて。それに、逢いに行くなら翔の方へ――だろうに。
 思ったら、翔の顔が見たくなった。
 珍しく疲れた顔で、食事もそこそこに部屋に引き上げてしまった青年の。
 足音を忍ばせて廊下へ出る。多分、曄姫は全部承知で、眠ったふりをしていてくれるのだろうけれど。
 突き当たりの、大きく切り取られた窓の前、ほの白い朝の陽を浴びて、床に淡く影を落として、翔は一人佇んでいた。
 この人も――何となくそう思った。
 歩み寄って、夢を見ましたというと、青年は無言のまま頷いた。




 名残を惜しみながらの旅は、呆気ないほど早く終ってしまった。
 途中、《地》と《水》の星石と、風太の青を預かって、ジェイはヴァルファへ帰っていった。こちらの竜は扶桑では目立ちすぎるから、二、三年して変身できるようになったら風太に返しに行くのだそうだ。それまでに《地》と《水》の星石も、それぞれの使い手に相応しい形にしておくと、変わり者の魔法使いは張り切っていた。
 帰宅したニーサでは、リサの家族は全員無事で、父は神殿の建て直しのため、もっぱらそっちへ詰めている。
「お帰り、翔くん!」
 息子にでもするように抱きしめられて、翔はかなり当惑したようだった。それでも、
「ありがとうございます」
 丁寧な口調で礼を言っていた。
 曄姫の義子たちが義母を訪ねてニーサの屋敷に来ていて、その少年の方が風太と気が合った様子。そのためもあってか、翔と風太は《奎》に行く船が出るまでの一冬を、サールインの曄姫の屋敷で過ごすことに話がきまったようだ。リサも姉姫の方と話が合って、冬の間に屋敷を訪ねる約束をした。
 クリスもしばらく曄姫の厄介になりながら、今後の身の振り方を考えるそうだ。
 そうして、旅立ちの前日になった。
 家で話し込んでいて、すっかり遅くなってしまって――リサは少しわがままを言って、翔に神殿まで送ってもらうことにした。
 あの日は背中に掴まって疾走した道を、今度は空木の鞍の前輪に乗って、特に話をすることもなく、のんびり歩いて森に入った。
 緑一色だった森は、紅葉の季節を終えて、常緑樹の中、あちこちに鋭い枝を伸ばした裸木を交えている。
「お国へ帰られたら、翔さんではなくて、月影さんに戻ってしまわれるんですね」 
 言うと、翔は少し笑って、あれを――と天空にかかった月を指さした。
「国によって呼び方が違う。夜毎に姿も変わる。それでも、月は月だろう? わたしも――姿や名前は変わっても、わたしであることに変わりはない」
「はい……」
 答えながら、ちょっとうつむく。
 どうしても言っておきたいことがあった。
 二人きりでないと、絶対に言えないことだった。
「今じゃないと、きちんとお別れが言えないと思って」
 空木の白い鬣を眺めながら言う。
 言いながら、ドキドキする。
「いろいろと……ありがとう。わたくし、一生忘れません。だから……翔さんも、忘れないで下さい。それから」
 ちょっと言葉を切り、振り返って翔の顔を見る。
 息を吸い込んで、思い切って口にする。
「気が付いていらっしゃらないと嫌なので、申し上げておきます。わたくし、翔さんのことが、男性として好きでした」 
 伸び上がって両肩に手をかけ、かすめるように口づけをする。
 そのまま馬を飛び降りて、神殿へ向かって走り出す。
 今さらのように、顔が真っ赤になる。心臓がばくばくいっている。
 だけど――
 我ながら大胆だとは思ったけど――いいじゃない、お別れなんだから。

 一瞬の、触れるか触れぬかの口づけ。
 蝶の羽根がふれたような――
 それとも、風に流れた花びらが掠め去ったかのような、少女の唇。
 後を追おうとして空木を飛び降り、 
 当惑をおぼえて、翔はそのまま佇ちつくす。
 決して不快なものではなかった。
 それどころか――
 ――あの娘(こ)は……。
 極自然に笑みが浮かぶ。
 まさか、こんな形で鮮やかに告白されるとは、思いもしなかった。
 ――とんでもないお嬢さんだ。
 それにしても――
「リサも存外やるのぉ」
 振り向くと月牙の鞍上、義理の娘の肩を抱いて、曄姫がにやりと笑っている。
 後をつけてきたらしい。西の貴婦人らしい身なりに変えても、曄姫はあくまでも曄姫である。
「まさか、口づけも知らぬわけではあるまい? 想い合う男女が交わすものじゃ」
「そうじゃないんだが――」
 言いかけて苦笑する。
「ああ。さようであったな」 
 言って、奎国の公主も苦笑する。
「なんですの、お母様?」
「あのな――」
 耳元で囁かれて、年若い姫は真っ赤になっていた。
 扶桑で、そして奎では口づけは閨(ねや)の技の一つである。
 大陸の西では、ごく軽い愛情表現。知識として了解はしても、やはり虚をつかれる。
「――にしても、存外初心(うぶ)じゃの。もっとも、今のが初めてではないが」
「曄姫殿?」
「気を失うておった其方に、口移しで薬を飲ませたのはリサじゃ」
「…………………………」
 初耳だった。というよりは、よくまあ今まで、この女性が黙っていたもの。
「さ……て、どういたす?」
 興がっている風の曄姫に、翔はちょっと肩を揺らして笑う。
「何じゃ?」
「いや……。あの娘(こ)は気付いているのかと思ってね。わたしの命と、この世界とを引き換えにしようとしたことに」
「気付いておっても後悔はせぬ。世界なぞよりは想う男が大事。それが女子じゃ」
「………………」
「冥利であろうが? そこまで想われれば」
 ちょっとからかうような口調。
「女子は変わるぞ。子供だと思うておったものが、須臾の間で一人前の女子になっておる。まして、二年もたてば――」
 頷いて、翔は指先で唇に触れる。
 幼い口づけ。少女の想いそのままの、ごく淡く、かすめるような。
 蝶の羽根か、花びらがふれたような――決して不快ではない。
 それどころか――
 ――拙いな。
 一人前の女性になったリサを見てみたいと、ふと思ってしまった。
「空木。ここに居ろよ。いいな」 
 葦毛に言い聞かせ、くるりと背を向ける。向かうのは、リサが走り去った方向――
 くすくすと、少女の笑う声が聞こえる。
「これ、嬌姫(ひめ)。いかがいたした?」
「なんだか素敵……」
「嬌姫。そなたは真似るでないぞ」
「あら、お母様」
 くすくすと、笑い声が追ってくる。


 神殿への道を辿りながら、リサは梢を見上げている。
 確か、始まったのはここからだった。

  恋とはどんなものかしら、きっと素敵なものでしょう

 ライラがよく歌っていた歌を口ずさむ。

  好きになったら、好きというだけ
  振られたら、泣くだけの話
  いいよと言ってくれたら、キスするだけ

 リサのは、少し反則技だったけれど。
「いいよと言ってくれたら、何だって?」
 声に驚いて振り返ると、木陰に翔が立っていた。
 やっぱり妹のいたずらを叱る、兄のような目で。
「まったく、とんでもないお嬢さんだ。大人をからかうものじゃない」
 しゅん――と下を向いてしまったリサの頬に手を添えて、顔を上げさせる。
 からかってなんかいません。真剣なんです。言いたいけれど、恥ずかしくて――猛烈に恥ずかしくて、つい、目を伏せてしまう。
「おまけに……返事も聞かずに逃げ出すものじゃない」
「だってぇ……」
 告白したって、絶対に振られると思ったし、
 ひょっとして、怒ってるかなぁなんて思うし、
 まさか、追いかけてきてくれるなんて思わなくて……。
「ご………!」
 御免なさいといいかけたリサの唇を、翔のそれが軽くふさぐ。
 それはごく軽い、兄が妹にするような口づけだったけれど、
〈妹とは思ってはいないから〉
 ――え?
 耳ではなく、直接頭の中に響いた言葉に、目を瞠る。
「翔さん……?」
「見に来るんだろう? 木と紙だけで出来た家」
 いつもの笑顔とお兄さん口調で、翔は言う。
「憶えていらしたの?」
「見においで、本当に。今は帰って里を立て直さなければいけない――多分、わたしは扶桑を離れることは出来なくなるだろうけれど。二、三年たって落ち着いたら。他にも色々見せてあげるから」
「本当に?」
「本当に」
 ――それじゃあ……。
 少しは異性として、好意を持って見ていてくれたんだ。リサは少し嬉しくなる。
 いまはまだ、そういう対象ではないのだろうけれど、
 翔は、遠い国へ帰ってしまうけれど、
 今度はリサが、逢いにゆけばいいだけなのだ。
 頑張って、努力して、翔に吊り合う女性になって。
 そういうことなんだ。
 不意に、羽ばたきの音が聞こえて、蘇えった記憶に、リサは小さく悲鳴を上げる。
 暗い夜空。見上げて翔は指笛を鳴らす。
 応えて、かざした籠手に舞い降りたのは、ふわりとした羽毛の野生の梟だった。
 目の前に差し出されたそれに、そっと触れて、リサは微笑む。 
 もしかすると、ここからまた、何かが始まるのかもしれない。

                                              了

 西面。リサは《風》の位置に立つ。
 この下に眠るもの――
 《星》の星石と一振りの聖剣をもって封じられているものを思った。
 一瞬開いた、その《神》の双の眸の中に見たもの。
 もとより《神》の呼び名に相応しい慈愛ではない。
 理性でも傲慢(ごうまん)でもない。
 怒りでも、怨念でも、虚無ですらなかった。
 無邪気な、無垢な小児のそれに似た――
 リサの父に化けて《神器》を奪いに来た黒い堕天使のそれに似た、無垢であるがゆえに限度を知らぬ残酷さ。
 全ての願いをかなえる神。際限もなく、願うものの望みのままに。
 すばらしいことのようで、それは本当はとても恐ろしいことなのだ。
 思い出す昔語り。願いが叶う指輪で部屋いっぱいの金貨を呼び出した商人は、降ってきた金貨に押し潰されて死んでしまった。きっと結果はそんなことだ。だからあれは、あのまま眠らせておかなくてはいけない。
 白銀の光が揺らめく。裡(うち)に垣間見えるのは、双の翼を持つ白い虎。
 翔と二人、その背に乗って焔の中を駆け抜けた。大切な仲間をなくした、あれは夜のことだった。
 返してやろうか。声が聞こえた気がした。
 わたしを蘇らせれば。声が言う。 
 いいえと、リサは答える。
 願うのはそんなことじゃない。 
 わたくしは、もう誰も失くさない。なくしたくはない。
 だから――
 ――眠っていなさい。あなたは、そこで永遠に。
 胸の前に両手を組み合わせる。
 集中と制御。
 リシルからここへの旅の途中、教えてもらった印の結び方。
 望めばいいの――ジェイの言葉を考えながら、辿った旅の道筋を思った。
 初秋の森での奇妙な出会い。
 次は図書館。あのときは、こんなに好きになるなんて、夢にも思っていなかった。
 いつからだったろう。追いつきたくて、そばにいたくて、懸命に背伸びをしてきた。
 思うのは、幾つかの翔の言葉。印形を作るために添えられた手。
 一緒に眺めた焔の色。朝焼けの色。そして約束。
 ――帰りましょう。皆で、あの道を。
 願うのはそれだけ。
 風虎が双の翼をたたむ。そんな幻が見えた気がした。


 南面――《火》の位置に立った翔は、揺らめく真紅の光に炎を思う。
 自然、両の手が動いて印形を結んでいた。
「臨……、兵……」
 九字の印は、すなわち破邪のためのもの。心を澄ませ邪を払い、内なるもの、外なるもの、そのほか森羅万象に神聖な波動を送り、働きかけるものである。
 物心ついて最初に学ばせられたのは、炎を、そして感情を制御することだった。
 威吹は火の民。母神を焼き殺して生まれた火神の末裔(すえ)。
 強すぎる力を持って生まれた者への、それは課せられた義務。
 教えられ、父の膝に抱かれ、手を添えられて印形を覚えた。
「闘……、者……」
 闘は外獅子(げじし)。外敵への威嚇(いかく)。精神を外へ向かって燃え上がらせ、奮い立たせる働きを持つ。
 者は内獅子(ないじし)。内省を促し、内なる邪を払い、強い意思の発揮を促す。
 印形の意味を説き、心得を説く声が、ふと耳のうちに蘇える。
 ――父上……?
 あの日以来、初めて痛みを伴わずに浮かべる、父の面影であった。
 威吹の新緑が、燃える紅葉が、深い雪が、遅く訪れる絢爛(けんらん)の春が――その人の愛した里の四季が、目に浮かんだ。受け継ぎ、そして時代に引き渡すべきもの。
 風太に、そして次の世代に。
 そうして――
 ――見において。そう、言ったのだった。
 懸命な面持ちで、たどたどしい手つきで、印形を結んでいる少女に。
 一緒にあの道を帰ろう。そう、約束もした。
「皆……、陣……、裂……、在……、前」
 外縛、内縛、智拳、日輪、隠形。
 飛翔しようとしていた大鵬(おおとり)が、炎の翼をおさめ、仮の眠りについた。


 東面――焔ににて揺らぎを発する《地》の星石。
 もがき、咆哮(ほうこう)する龍を思わせ、螺旋(らせん)の光が駆け登り、また駆け降りる。
 望めばいいの。何を――曄姫は思う。
 妾は制御の仕方など――いや。そうではないな。
 何のために武芸を学ぶのか。指弾(しだん)を教えてくれた老人の与えた問いを思い出した。
 自分は、何と答えただろう。
 大切なものを守るため。守りきれるほど強くなるため。確かそう答えたはずだった。
 その時の老人の教え。
 心を澄ませる。集中する。
 自分が、剣が、世界と一体になるあの感覚。
 星石のもつ力が流れ込んでくる。
 視界が、意識の全てが緑に染まる。
 飲み込まれる――感じた意識の隅に、泣いている子供の声を聞いた気がした。
 ――誰? 泣いているのは?
 母を亡くした自分だろうか。
 守られるばかりで、愛しいものを守れなかった口惜しさに、いたずらに剣に打ち込んでいた、少女の頃の自分だろうか。
 お前がお前らしくあってくれさえすれば、それだけでいい。
 結ばれなかった――自分のために命を落とした、初恋の男の遺した言葉の意味を、思いやることさえ出来ず――
 それとも――
「あなたが、新しいお母様?」
 目に映るのは、少女の不安に揺れる緑の眸。その服の裾につかまっているのは、同じ色の眸の、まだ頑是無い男児。
 ――星石のようじゃ。それとも、星石が吾子たちの目に似ているのか。
 愛しいと思った。昔の自分を見るようで。
 ――守りたいと思った。この子供らを。今度こそ。
「母ではない。誰も、真の母の代わりにはなれぬ。が、真(まこと)の母子のような仲良しになることは出来る。仲良うしてくだされな」
 こくん――頷いて、おずおずと手を差し伸べた、何よりも愛しい子供たち。
 待っていて、吾子。必ず帰るから。


 北面――《水》の位置へ。
「おまえなら出来る」
 言葉一つを頼りに、風太は意を決して星石に近づく。
 印を結び咒(しゅ)を唱える。
「悪魔降伏、怨敵退散、七難速滅、七復速生秘……」
 焦ることはない。翔に――月影に教えられたことだった。
 初めて見た、その人の涙を思った。
 大人だから――男だから泣かないのだと思っていた。
 男の子は泣くものじゃない。里の皆がそう言った。
 泣いていいのは、大事な人を亡くした時だけだと。 
 その大切な人を失ったときさえ、その人は涙を見せなかった。
 だから、特別な人なのだと思っていた。
 悲しいこと、辛いこと、苦しいこと、恐いこと、当たり前に感じて、ただ、それを面に出さないだけだと初めて知った。そうして、それがどれほど大変なことかも。
 大きくなって、強くなって、少しでも助けになれれば――
「臨、兵、闘、者、皆、陣、裂、在、前」
 教えらた形に、ごく自然に手が動く。意識が水の動きに従う。 
 焦ることはない。水は命じるままに動いてくれる。
 動き出す水の気配を感じる。望むままに水はかたちを変える。
 やった――感じた瞬間、気を抜くなと耳元で叱咤(しった)された気がした。
 その人のいつもの言葉。思い出し、深く意識を集中する。
 水がゆっくりと元の形に戻ってゆく。


 ――不思議な感じよね。
 魔法陣の中央。冥穴を見下ろす虚空に浮かび、ジェイは微かに笑んでひとりごちる。
 転生jを繰り返し、姿も形も、魂を彩る炎の色さえ変わったけれど、あれはやはりあのときの四人だ。 
 表に出る性格は変わっても、魂の核が同じだ。
 あのときの約束通り、時間を越えてここに集った。
 ――なんて言ったら、激怒しそうな人がいるわね。
 厭ぁな顔をしそうな人も。
 想像して、小さく笑う。
 それでも、長く生きていると悲しいことも多いけど、こんな嬉しいこともある。
 そうして自分は、あのときのような小さな力のない生き物ではない。
 今度こそは失敗しない。あの四人は絶対に失わない。
 ――そうして、今度はアンタが見届けるのね。何千年かの後に向けて。
 肩に置いた、小さな青い同族に囁く。
 青竜が、青玉色の眸で見返す。
 呪文を唱える。歌うように、祈るように。
 体が変化する。
 仮にまとった人の姿を脱ぎ捨てて、さらに本来の姿も捨てて――
 細胞の一つひとつが光の粒子に変わる。
 その場を満たす全ての光を包み込む。一色に変える。
 そうして――


 闇色の月が動き――
 ゆっくりと本来の姿と光輝を取り戻す太陽の下、
 静かに音もなく冥穴が閉じてゆく。
 四大から放たれた光は、それぞれ天を指す一筋となり、星石のうちに収斂する。
 そうして残るのは四つの星石。
 瓦礫の中に残された魔法陣。
 果たされなかった願いの残滓。
 何を望んだのか――


 散らばった瓦礫(がれき)、乱された魔法陣の中――
「そんな!」
 リサは両手で顔を覆った。足許には、血に塗れて固く目を閉ざして横たわっている赤毛の若者。手にも足にも、目を覆いたくなるような裂傷が大きく口を開けている。
 這ってでも戻ろうとしたのだろう。伸ばされた手が、曲げられた足が、魔法陣の外――リサたちのいた方に向いていた。一方の手は胸もとで、しっかり華焔を抱くようにしていた。
 だから――嗚咽(おえつ)の合間、リサは切れ切れに言葉をつむぐ。
「だから、野良猫に餌をやってはいけないって。居付いてしまって、性格が悪くて懐かない猫だって、死んでしまったら、あんなに悲しかったのに……」

「莫迦な子ね」
 倒れている、かつて魔道師であったモノを見て、ジェイは少し悲しそうに呟いた。
「だからアンタには星石は――《地》の星石は、制御できないって言ったでしょ。大地母神は女神。母なる神。いつの時代においても《地》の器は女――母となるものでなければ勤まらないのよ」
 風変わりな賢者の視線を受け止め、わずかに首を振り、曄姫はリサのほうへ歩みを進める。
 途中、枯れ木に似た干からびた何かを踏んだ気がした。神官服をまとった何か――
 そんなことより、気の良い、不器用な若者を失ったことのほうが、切なかった。

 やったよ――走りよってきた少年を受け止め、その頭を無意識に撫でながら、翔は披露によろめく足を賢者の方へ向ける。
「人が――親しくしていた人間が死ぬって、どんなに長く生きてたって、絶対になれることってないんだから……」
 自分で自分を揶揄するような、おそらくは想像も出来ぬ時を生きてきた賢者の言葉。
「どれだけ、生きてこられた?」
「当てて御覧なさい」
「星石を神器に納めた魔法使い」
 そうしておそらくは、夢で見た場の中央、五つ目の影の肩に止まっていた、白銀の竜を思わせる小さい影。
「そうよ――って言ったら、驚くかしら?」
 微笑って、翔はかぶりをふる。人間ではないのだと、会った当初から察しはついていたように思う。
 笑みを消して、少し先の床に視線を向けた。
 何とか戻ってこようとしたのだろう。こちらに手を伸ばしたまま、血に染まって倒れている若者。その傍らでは、リサが両手で顔を覆っている。
「だから……野良猫に餌をあげてはいけないと……」
 嗚咽まじりに言う声が聞こえる。
 沈痛な表情で曄姫が傍らに屈みこむ。
「可哀想に……」
 呟くジェイの言葉に頷きかけ、ふと、眉をひそめる。
 崩れそうになる膝を叱咤して駆け寄ると、首筋に手を当てる。
 ごく細い脈の――命の流れ。
 かすかに感じられる。錯覚ではない。
「賢者殿!!」
「なに?」
「生きてる!」
「うそっ!? 本当にっ!?」
 走ってきて脈を確認して、慌てて治癒の呪文を唱えている。
「え~っと、後は体力回復と――あらま、逆だったわ」
 何が逆だかわからないが、かなり慌てている。
 リサがその場にへたり込み、
「なんとまあ、人騒がせな」
 曄姫が泣き笑いのような表情を見せる。
 それに軽く笑って、小さくため息を吐くと、翔は少し離れた場所に座り込んだ。
 あちこちに転がっていたはずの死体は、冥穴に呑まれたものか、極小規模で起こった天変地異もどきに破壊されたものか、ほとんどが跡形もない。
「どうかした?」
 治療を終えたジェイが、横に来て顔を覗き込んだ。
「さすがに……」
 気力の方も限界を超えたようだと、笑んだまま言うと、翔は目のあたりに垂れてきた前髪をかきあげた。
「このまま気絶できたら楽だろうとは思うが……」
「月影さぁん……」
 つい……と、情けない声を上げる風太の額をつつく。
「そうしようものなら、こんな顔をする奴もいて」
「あらま、可哀想に。気力の回復ばかりは、魔法ではどうにもねぇ」
「落ち着いたら、ゆっくり寝かせてもらうよ」
「そうね。そうして」
 煙水晶に覆われた日輪を見上げる。
 白く濁ったそれは、太陽というよりは薄い雲に覆われた真昼の月のようだ。
「連れて帰ってあげるの?」
 唐突な問いに、首をかしげる。
「無月さん――だったかしら。お友達だったんでしょう?」
「忍びは、死したその場で土に還るのがさだめ。まして無月も……今さら、裏切った里へ帰りたくはないだろう」
「しっかし、本当に派手な合図だったわねぇ。光輝(ライティング)を暴走させるなんてさ」
「――って、いつもリサ姉ちゃんのやってる、あれ?」
「そう。覚えておいて、損はなかっただろう?」
「………勉強します」
 神妙な顔で頭を下げる風太の向こう、何やら騒ぎの気配が見えて――
「何なの? 何の騒ぎ?」
「風太?」
 聴覚では里随一の少年に、話の内容が聞き取れるかと問えば、
「リサ姉ちゃんのアレ。なんか、兄ちゃんが気がついたみたい」
 見ると、当惑顔のクリスにしがみついて、リサが盛大に泣いていた。
「良かったじゃないの」
「うん。良かったよね。良かったけどさ……何とかならないかな、アレ?」
「泣かせておいてやるさ」
「でも、兄ちゃん、凄く困ってるみたい。曄姫さんは、宥(なだ)める気、ないみたいだし」
「仕方がないな」
 立ち上がりかけて、翔はちょっと顔をしかめる。
 本当に、体力も気力も限界点を超えたようだ。
「賢者殿――じゃなくて、ジェイか。すまないが肩を――」
「いいわよ♪」
 名を呼ばれて、何やら嬉しそうな賢者の肩を借り、騒ぎの元凶の元へ行くと、クリスが憮然とした顔で翔を見て、
「嘘つき」
 ぼそっと言った。
「生き延びたって、リサさん、泣いたじゃないですか」
 夢だったのだろうか。
 それとも、時の中に深く刻み込まれた記憶だったのだろうか。
 不思議なヴィジョンだった。
 最初に見えたのは影。四つとも五つとも定かではない。
 ただ、四つは紛れもない人間のものだと、これだけははっきりとわかった。
 男性が一人に女性が三人。
 男性は戦士らしい。腰に、不思議な光輝を放つ白銀の拵えの剣を帯びている。
 女性のうちの一人も同様で、こちらの剣は黒曜の拵えだった。
 もう一人は、東洋人らしい短い黒髪の少女。
 四人目はどうやらアルビノ。髪の肌も雪のように白い。女神官か巫女のような――なんとはなしに、そう感じた。
 四人が立っている場所は――
 ――ここなのですね。
 リサは気付く。
 おそらくはまだ聖都が聖都として機能していた、はるか昔の太陽神殿。古びてはいるが未だ美しいモザイクの床。彫刻を施した白亜の柱。碧空をイメージさせる色彩の壁。
 華麗な絵が描かれていたと伝えられる天井は、すでに丸く切り取られ、煙水晶がはめ込まれている。
 その中央、今しも重なり合おうとする太陽と月が見えた。
 床には魔法陣。描かれる円は五重。風の方向を示す十二の印。外円には光のルーン。中央には六芒星。それぞれの芒には星石がおかれ、六芒星の中央にもまた一個の星石が置かれている。
 刻刻と時が移る。
 煙水晶の天蓋(てんがい)の中、太陽と月が重なり合う。
 刹那――
 魔法陣の外円から白銀の光が立ち上り、続けて七つの星石が光を放つ。
 一本の光の柱となったそれは、天空を目指して駆け昇る。
 魔法陣に光の筋が走り、星石がそれぞれの色の眩しい光輝を放つ。
 朱金に、黄金に、白銀に、翠緑に、黒曜に、そして冷ややかな青みを帯びた銀に。
 光が乱れ、混じり合い、魔法陣の中に輝く雲を思わせる光の渦を作り上げる。
 その中央に、深く冥い穴が穿(うが)たれ――
 駄目だ。喘ぎに似た声は誰のものか。
 駄目だ。負荷に耐え切れない。星石が――
 ――砕ける。
 誰かの悲鳴。
 不思議に澄んだ音を響かせて、黄金と銀青の、二つの星石が光の粒子となって砕け散った。
 陽と月の星石が――
 呼応するように、中央に置かれた星石の光が乱れる。
 地下に――あるいはこの世以外のどこかに通じた冥穴の奥深く――
 何かが身じろぐ気配があった。
 巨大な、凄まじい力を持った恐ろしいものだった。
 あれが目覚めたら、大変なことになる。
 感じたのはリサか、それともこの場にいる誰かか。
 戦士が白銀の剣を抜き放った。
 ルーンを刻んだ刀身を、冥穴の中央に突き立てる。
 刹那、白銀の光を発し、剣が真っ二つに折れ飛んだ。
 続けて、女戦士が剣を抜く。
 中央の――五つ目の影が何かを叫んだ。
 白い光がその場を包んだ。


 静かな場所だった。
 そうして、不思議な場所だった。
 音もなく光もない。
 それなのに不思議に明るい。
 その中央に、それは居た。
 あるいは《彼》というべきだったろうか。
 純粋な闇を、あるいは夜の精髄を集め、人のかたちに刻んだような――
 完璧な姿の、それは若く美しい男性に見えた。
 長い、身の丈に余る黒髪を四方に散らし、胸の上で両手を組んで眠っている。
 額には星に似た銀青色の輝きの星石。
 胸の中央を貫き、彼をこの不思議な場所に縫いとめているのは、ルーンを刻んだ黒曜の柄の剣。
 太陽神殿のはるか下、封じられた古い神。その長い睫毛(まつげ)が慄える。
 固く閉ざされた目が開く。
 その眸の中――


「リサ!」
 名を呼ばれ、軽く頬を叩かれて覚醒した。
 開いた目に最初に飛び込んできたのは、粒子の荒い岩を武骨な人の形に刻んだような――
「おじさま?」
「やっと気が付いたわね」
 ヴァルファの管理者が、いかつい顔に笑みを浮かべる。
 案じ顔に覗き込んでいた曄姫の顔にも笑みが戻る。
 風太がくしゃりと泣き笑いのように顔をゆがめ、肩の青竜がぱたりと尾を動かす。
 蒼白な顔で、色を失った唇で、それでも翔が微かに笑んで見せる。
「わたくし……」
「ちょ……まだ動かないでよ」
 ジェイが心臓部に手を当てて、何かの歌に似た呪文を唱える。
 暖かく力強いものが、そこから体に流れ込んでくる。
「はい。もう大丈夫よ」
 言われて、ゆっくりと体を起こす。
 小さなドームに似た不透明な力場の中、座り込んでいるのは五人だけで――
「クリスさんは? それに、一族の皆さんは?」
「一族のものは、何とか引き上げさせた」
 心臓の辺りを押さえたままで翔が言う。一言いうごとに、わずかだが肩が上下して、すこし苦しそうだ。
「まだ痛みの余韻が残ってるのよ。アンタみたいにあっさり気絶すれば楽なのに、なまじ根性があるから」
「根性の問題?」
 顔を見上げる風太に、さあな――と翔はまじめな顔で対応する。
「それで、その……ね」
 ジェイと曄姫が顔を見合わせる。
「クリスは呪物を壊しに行った。そのまま、戻ってこない」
 静かな口調で言ったのは、翔だった。
「はい?」
 意味を解しかねて、リサはきょとんとその顔を眺める。
 どういう意味なのだろう。それに、どうして皆、目を逸らすのだろか。
 リサ――名を呼んで、曄姫がそっと肩を抱く。
 ぐすん――風太が洟をすすり上げる。
「多分……」
 ジェイが沈痛な表情でかぶりを振る。
「あの……それって……?」
「死んじゃ駄目だって、おいら言ったのに」
「は?」
 ――シンジャダメダ。
 それって、どういう意味だっけ?
 シンジャダメ。
 死んじゃ――
 それって、まさか――!?
「うそ……ですわよね。そんなこ……そんな、わたくし」
 あのクリスが死ぬなんて。
 まさか、そんなこと、思ってもいなくて。
 酷いことを言って、まだ謝ってもいないのに。
 じわっ――と、下の目蓋(まぶた)に熱いものがこみ上げてくる。
「リサちゃん」
 呼んで、翔が肩に手を置く。
「酷いことを言うようだが、泣いている暇はない」
「そうなの。ちょーっと心臓に悪い光景だから、気をしっかりと持っててね」
 ジェイが軽く手を動かす。
 不透明だったドームが一瞬にして透明に変わり、無数の色彩の乱舞に包まれる。
 あれを――指し示す、おそらくは魔法陣の中。夢と同じ、光り輝く雲が見える。中央に昏く、冥府に通じるような穴。あの冥穴の向こうには――
「お……おじさま。あれ――!?」
「わかるのね。そうよ。このままでは――わかるわね、リサ。あれを閉じなくては」
 わかります――リサは頷く。
 多分、あの下に眠っているものが起きてしまうのだ。
 そうして、それはきっと大変な結果をもたらす。
「でも、出来るのでしょうか? 二振りの聖剣に星石が七つそろってさえ不完全だったのに」
「大丈夫よ。今度は道をふさぐだけだもの。星石を制御して力を収めれば冥穴は閉じるわ。それに、陽も月もここにいる。性別が入れ替わっちゃってるけどね」
 曄姫と翔を眺める。
「曄姫さんの曄って、お日様の意味なのよね。それに、月影さんに聞いたんだけど、扶桑では月の神様は男の人なんですって」
 そうだったんだ。リサは二人を眺める。
 太陽の名の姫君は、不本意そうに明後日のほうを見ていた。
「それにアタシだって、あの時よりは力は増しているわ。だから、やるわよリサ。曄姫さん。月影さんも、キツイでしょうけど頑張って。それから、坊やちゃんもね」
 思いがけない言葉に、風太はえーっ!? と声を上げる。
「お……おいらも!?」
「大丈夫よ。《水》の器ですもの」
 ジェイの言葉に、だって……と少年は素直な怯えを顔に刷く。
「だって……だって、失敗したら、おいら……」
 視線の先には、星石に引き裂かれた魔道師の残骸が見えている。
 それは、少年にとっては確実な恐怖の証だろう。
「怖いか?」
 両肩に手を置き、顔を覗き込む翔に、うん――と風太は素直に頷く。
「うん。凄く恐い」
 愛しげに笑んで、青年は風太の目の高さに視線を合わせる。
「わたしだって恐い。だが、やらなかったら、確実に皆死ぬんだ」
「みんな?」
「そう。みんな」
「月影さんも、姉ちゃんも、曄姫さんも?」
「賢者のおじさんも、街の外で待っている皆もだ」
 ばちっ! 結界の外に、負荷を示す火花が散る。
 がらり――音を立てて、半ば残っていた柱が崩れる。
「わかるな」
 うん――頷いて、少年はごくりと息を飲む。
「うん。おいら、やってみる」
「大丈夫だ。おまえなら出来る。ただし――最後まで気を抜くな」
「うん! 賢者のおじさん、青を頼むね」
 肩の青竜をジェイに渡す。
 わかったわ――応える賢者の肩に、青竜は大人しく納まる。
「リサも、いいわね?」
「やるしか……ないんですのよね!」
「そうよ」
「妾(わらわ)は、制御の仕方など知らぬぞ!」
 顔をしかめる曄姫に、大丈夫よと変人の賢者は笑ってみせる。
「お国の武芸は、《気》の運用ってのを大事にするんでしょ? それより何より、望めばいいのよ。強く、強くね。それが魔法の基本。皆も覚えておいてね!」
 にこり――いかつい顔に笑みを浮かべたまま、変人の魔法使いは軽く片手を振る。
 結界が五つの玉に分かれ、それぞれの位置に滑り出した。
 刻々と――
 月の影が面を覆い、太陽を次第に色褪(あ)せさせてゆく。
 その下で――
 切れ切れの言葉で、血の匂いのする息で、デイルは呪文を紡ぐ。
 紡ぎながら、音律の創り出す圧力を感じる。
 ぴくり…と、老いた神官姿の手が慄える。
 時は――機会はとうに失せている。
 魔法陣の一部も崩され、術の成功はおぼつかない。
 それでも――
 何かに急かれるように、デイルは呪文を唱える。
 薄れてゆく意識のうちを過ぎるのは、漆黒の髪、闇色の眸。
 異郷の巫女か、その兄である青年か。
 同じく古き神の――新しき神と時の権力に追われた異形神の末裔(すえ)。
 憎いのか、愛しいのか。妬ましいのか、羨(うらや)ましいのか。
 焦がれて――求めて手に入らぬものなら、
 消し去ってしまえばいい。跡形もなく。
 胸を貫いた鉄の凶器を抜き去る。
 流れ出た血が、赤い色の蛇のように魔法陣の中央に向けて這い進む。
 紅色の流れが、描かれた図形に添い、ダークルーンを完成させる。
 ゆらり――ミイラのような老人が立ち上がった。


 リサの手を引いて、巧みに襲い掛かってくる下忍や死人を避けながら――
 そうとは気付かず、風太はじりじりと二体のミイラの座る椅子の方へ近づいていた。仮に気付いていたとしても、まさか、枯れ木のようなミイラが立ち上がるとは思いもしなかったろう。
 それが、いきなり後ろからリサに掴みかかるとは。
 あらかた片付いた敵に気を抜き、そうして、あっと気付いたときには、懸命に手足をばたつかせながら、リサが魔方陣の中央に引きずられてゆくところだった。
 途中一度、リサの肘が老神官の腹にまともに決まったが、逆に悲鳴を上げると、嫌悪に顔を引きつらせて少女は身をよじる。
 五重の円の周りに敷かれた水晶が、淡く光を放ち始める。
 逆五芒星の中央に少女を投げ落とすと、老神官の骸は、ぎくしゃくとした動きで短剣を振り上げる。
「やめろ!」
 叫び声を上げて、魔法陣に飛び込もうとしたクリスが、結界壁に跳ね飛ばされて床に転がる。
 悲鳴を上げ、身をよじったリサの肩を刃がかすめ、鮮血が魔法陣を染める。
「あ……の、莫迦者が!」
 呻いた曄姫が、結界に踏み込む。
 偶然か、翔が結界石を崩した丁度その場所。
 リサともみ合う老人に向け、剣を一閃させる。
 首を飛ばされ、ようやく動きを止めた妄執の凝固物(かたまり)に、
「後で微塵に刻んでくれる。待っておれ!」
 少女の腕を引っ掴んで、魔法陣の外へ飛び出す。
 デイルの呪文が完成したのは、まさにそのときだった。
 円柱の形に、魔法陣の外円から白い光が立ち上がる。
 呼応して星石が光を発し、紅と黒、白と緑の光が天空を目指して翔け登った。


 東に地の星、歳星。王の死と諸侯の争いをもたらす。
 西に風の星、太白。暴動をもたらす星である。
 南天に熒惑(けいわく)。凶兆として暴動と戦乱。
 北に辰星。水難、水害を起こす星。
 深緑の、白銀の、真紅の、黒曜の――
 目もくらむばかりの光輝を発した星石から、四色の光の柱がそれぞれの星を目指して駆け昇る。
 天空に達したそれは、今度は星の力を受けて逆流する。
 それを見ながら、翔は広間へ駆けつける。
 魔術のことは知らぬ。ただ、本能が危険と告げていた。
 駆け込んできた翔に、一足遅れじゃと叫んだのは、曄姫だった。
 蒼白になったリサの肩を支えるように抱いている。
 月影さんと呼んで、風太が駆け寄る。それを抱きとめ、
「ウチの莫迦弟子が、よりにもよって最悪の時に魔法を発動させたのよ! 畜生、こんなに根性のある奴だとは思わなかったわ。おまけに魔法陣は半分壊れてるし、この分じゃ本当に、何が起こるかわかりゃしない!」
 明らかな狼狽を示すジェイの言葉を耳にしながら、翔は広間の中を見回す。
 呆然と天空を見上げる《影》たちに、
「引け!」
 命じた。
「しかし、月影殿……」
「月華(げっか)。聞いたとおりだ。何が起こるかわからん。全員を引かせろ。建物の――いや、街の外へ。《影》の役目はもう終った。ここからは――」
 《風》の器――風伯の前に立つ魔道師が引き裂かれたのは、その瞬間だった。
 少女の悲鳴が、広間を裂く。
 魔道師の死に怯えたわけではないのは、胸を押さえるその仕種から明らかだった。
 苦悶の表情を浮かべ、その場に倒れると、手足をまるめて胎児の姿勢になる。
 リサ――と、曄姫は自分が傷を負ったような顔をする。
 駆け寄ろうとした翔は、声もなく膝を折る。
 心臓に凄まじい痛み。あの魔道師の術にかけられたときと同じく――
 《風》に続いて《火》の器が、体のうちから焔を発し、一瞬にして燃え尽きる。
 月影さん――風太が泣きそうな声を上げる。
「逃……げろ。星石が……」
 みなまで言い切れず、苦痛に呻いて心臓を押さえた。


「リサさん! 翔!!」
 体を丸め、胎児の姿勢で横たわる少女と、胸を押さえ苦痛に耐える青年と。どちらも気がかりで、どちらに駆け寄っていいのかわからずに、おろおろとクリスは立ちすくむ。
 ぼしゅ――と、奇妙な音を立てて《水》を制御していた魔道師が裡から崩れた。
 《地》の場所に立つ魔道師の体は、すでにミイラのように枯れ朽ち、肌も土気色に変じている。
 天空を目掛け翔け昇っていた光に、乱れが生ずる。
 光のうちに、獣の影が揺らめいたようだった。
 東に、長く鎌首をもたげた青い竜。
 南には、焔の翼を広げた朱色の鳥。
 西に、対の翼を持つ白虎。
 そして北に、その身に蛇をまといつかせた玄(くろ)い亀。
 束の間――見えたかと思えた神獣の影はすぐに崩れ、魔法陣の結界の中で火が、風が、水が荒れ狂い、地震のような激しい振動が繰り返される。
 結界を越えて伸びた力が、呆然と事態を眺める《影》の一人を捕らえ、一握りの塵に変える。
 さらに――
 リサを庇う曄姫の肩すれすれを力がかすめる。
 悲鳴を上げて、気丈な女剣士が床に転がる。
「ああ、もう!」
 野太い声でヒステリックに叫ぶと、ジェイソンは空中に図形を描く。
 ごう――と音を立てて伸びてきた焔が、ドーム型になった結界に遮られる。
「だからって、コレもいつまで持つかわかりゃしない」
「ジェ…ジェイさん!?」
 呪物が――塔の管理者は呻くように言った。
「使い手の力を封じて……。このままじゃ負荷に耐え切れない。あの時と同じ……星石が砕ける。でも、その前に器が……二人が」
 狼狽(ろうばい)の極致でも、女言葉は直らないらしい。
 意味不明。
 ただ、このままでは二人が――リサと翔が危ないのだと、クリスはそれだけを理解した。
「どうすればいいんですか?」
「呪物を――人形を壊せれば――」
 人形を――繰り返したのは、翔が月華と呼んだ女性。
「誰か――虎落(もがり)」
 はいと答えて、とどめる暇も与えず《影》の一人が結界の外へ転移する。
 魔法陣に踏み込もうとする、その寸前に伸びてきた白銀の光に捉えられた。
 瞬きをするいとますらなく、紙切れのように引き裂かれる。
 風太が懸命に声を抑えて、顔をそむける。
「不甲斐ない。こんどは、あたしが」
「待…て。月華……」
 翔の制止に、
「行くなとのご命令なら、きけませぬ」
 魔法陣へ向かおうとするのを、待ってくださいとクリスが引き止める。
「僕が行きます。貴女は《影》の皆さんをまとめて、街の外へ」
「ちょ……坊や!?」
「お前さまが――!?」
「一族の人にこれ以上犠牲が出たら、翔と――風太が悲しみます。それに……翔が言ったでしょう? 《影》の役目は終ったって」
「ですが――」
「ここからは星石の関係者の仕事です。僕だって、星石の関係者ですから」
「そんなこと――アレを見てなかったの? 入ったら、命の保障はないのよ」
「でも、誰かがやらなきゃいけないでしょ? 僕、頑丈なのが唯一の取り柄なんです」
「ク…リス……」
 翔が伏せていた顔を上げる。
 その眸を瞶(みつ)めて、止めないで下さいねとクリスは言った。
「あなたが僕と同じ立場だったら、きっとこうするでしょう? それに――仲直りの機会ぐらい、与えてくれたって良いじゃないですか」
 仕様がないわね。ジェイがため息をつく。
「他に方法がないものね」
 翔は無言。ただ、何度か大きく肩を喘がせた。
「気をつけなさいね。今はまだ、四つの力が拮抗してる。一つの呪物を壊して、バランスが崩れた時が一番危険よ」
 両手に呪陣を描きながらジェイが言う。信託の魔法。これを押し当てれば、人形は呪力を失い崩れるのだという。
 はいと応えて行きかけたのを、クリス――と再び翔が呼び止める。
 何か――と顔を覗き込んだ、その腕を痛いほどの力でつかまれる。
 深い闇色の眸が、クリスの淡い色のそれを真っ向から捕らえた。
 どんな時でも、意志の力を失わない――
 その、強い光に呪縛される。
 これを――と、手渡されたのは華焔。 
 そうして、若者の眸を見据えたまま翔は、死ぬなと言った。
「死ん…だら……、リサ…ちゃんが………泣くぞ」
 ――あ………。
「あ…あはは……」
 少し顔を引きつらせて、クリスは笑う。
「そっ…、それ…………、無茶苦茶怖い脅し文句ですよぉ」
 風太が、そうして向うから曄姫が、もの言いたげなまなざしを送ってくる。
「じゃあ、一瞬だけ結界を解くから」
「はい!」
 にこっと笑うと、駆け出す。
 兄ちゃん――風太の声が後を追ってきた。
「おいらだって、泣くからね。兄ちゃんが死んだら、おいらだって――翔さんだって、泣くんだからね!!」
 ――翔が!?
 想像できないけれど、それでもちょっと可笑しくなる。
 深呼吸を一つして、魔法陣に踏み込む。
 凄まじい圧力が、体を取り巻いた。


 ひっきりなしに襲う揺れ。荒れ狂う火と水と風。
 かすめるようにして、それでも避けて通るように見えるのは――
 ――華焔が守ってくれてるんだろうか。
 数百年の長きにわたり、星石の一つを納め、制御してきた神器が。
 眼前を乱舞するのは四色の光――いや、入り混じって無数の色だ。
 夕焼けの赤に薔薇色。リサの眸に似た菫に紫。木々を、水を思わせるさまざまの緑と青。翠と蒼。碧と藍(あお)。月光の銀。鋼の銀。全てを飲み込む深い闇の色。
 それらが踊り、ぶつかり、弾ける中に、黒い衣をまとい、土気色をして干からびた醜いものが立っている。
 デイルと呼ばれていた、魔道師だったものの骸。
 ――何をしようとしたんだろう。
 本当は、何を望んだのだろう、この男は。
 体を押しつぶそうとする負荷。襲い掛かる力の触手。それに耐え、かろうじて躱しながら、ふと思う。
 古い神の復活。魔法界の秩序の変革。なんだか、とても馬鹿げている。
 ――僕なら……。
 今の自分なら、何を望むだろうか。
 一歩、一歩、這うように足を進めながら――
 何とか《風》の場所に達し、人形を手にする。少女の血と髪を封じ込めたそれ。
 手に取っただけで、ばらりと砕ける。
 風が――動く。
 光で出来た白い虎が、束の間姿を見せ、色彩の乱舞の中に紛れる。
 音もなく、魔道師であったものが崩れる。
 風に裂かれたか、それとも負荷に砕かれたのか。
 思ったとき、何かが体を薙いで通った。風か、火か、他のものか。
「い……痛い……」
 声が出る。それでも――
 ――大したことじゃない。
 魔法陣の外にいる二人の方が、もっと苦しいだろう。悲鳴を上げて、胸を押さえて倒れたときの、リサの痛みはこんなものじゃなかっただろう。黒い塔につれて行かれた時に、翔の受けた苦痛は、こんなものじゃなかったはずだ。
 それより何より、仲間が――大切な友人が殺されようとしている時に、手をこまねいて見ていなければならない苦しみに比べたら、こんな体の痛みなど、本当に大したことじゃない。
 何か、痛いものが何度か、体を通り過ぎたようだった。
 何度か倒れて、そのたびに立ち上がる。
 額から流れて、視界をふさぐ生ぬるいものは、血か汗か、よくわからない。
 目がくらむ。もう、どこが痛いのかさえも判らない。
 それでも、気を失うわけにはゆかない。
 もう少しだ、きっと。
 自分を励まし、クリスは足を進める。
 大切な仲間のために――
 仕方がないですねえと言いながら、クリスの仕事を取り上げて、てきぱきとやってしまうのがリサで――兄ちゃん、お間抜け――とか言いながら、手伝ってくれるのが風太。翔は大抵笑いながらの助言か、手にとってやり方を教えてくれた。曄姫は、口ではきついことをぽんぽん言ったが、黒い眸はいつも優しく笑っていたし、もう会えなくなってしまった元聖騎士も、気難しげな仏頂面だったけれど、本当は優しい人だった。
 ――みんな、大好きだった。旅は、本当に楽しかった。
 無意識に伸ばした手が、祭壇を探り当てた。
 はっと見開いた目に、赤く明滅する星石。そして、その前の稚拙な人形。
 漸く――と人形に触れた瞬間、目の前が暗くなった。
 もう駄目かな。ぼんやらいと思う。
 ――リサさん、泣くのか……。
 風太も、やはり泣くのだろう。翔と曄姫は――
 ――やっぱり、想像できないや。
 もう少し、皆と親しくなりたかった。
 もうちょっと旅を続けていたかった。
 それでも――
 ――出会えてよかった。……みんな……
 大好きでしたという呟きとともに、手の中で、人形が脆く崩れた。


 心臓を鷲掴みにされ、握りつぶされるような痛み。
 鼓動に従って間断なく襲い掛かるそれ。
 何より苦しいのは、妨げられて制御できぬまま、身裡に流れ込み、溢れ出ようとする《力》。
 星石の――
 ――体が……。
 躰(からだ)が引き裂かれそうだ。
 いや。これは、芯から何かでじりじりと炙(あぶ)られて、溶かされてゆく苦痛か――
 それが、不意に止んだ。
 訪れる、休息に似た一瞬の暗黒。
 その彼方に――
 垣間見えたのは《華焔》の――いや、《火》の星石の純粋な真紅に似た揺らぎ。
 そうして――
「あ。気が付いた!」
 最初に意識に上ったのは、風太の弾んだ声だった。
 目を開く。
「わたしは……」
 心配そうに覗きこんでいる風太の顔の後ろ、乱れ飛ぶ光の眩しさに、翔は目を瞬(しばたた)く。
「気を……失っていた…のか……」
「本の一瞬だよ。――大丈夫?」
 応える少年に微笑ってやろうとして、翔は再び目を瞬かせた。
 光の流れが変わっている。
「まだ、無理よ」
 誰かの制止の声に抗って体を起こす。
 そのまま――
 クリスの、リサの、《影》たちの安否を気遣うことすら忘れ――
 翔は目を見開いたまま、その光景に見入る。
 凝視する。
 天空目掛けて駆け登っていたはずの四つの光。それが今、逆に天空から星石に向けて降り注いでいた。
 そしてその下、入り乱れ混じりあう光は、輝く雲に似た渦を作り――
 その中央。逆五芒星の描かれていた場所に、
 おそらくはこの世ではない場所に通じる、深く冥い穴が開いていた。
「汝(うぬ)が……」
 顔を歪め、鬼面よりも凄まじい形相を見せる鬼道丸に、
「残念だったな」
 嗤って翔は――月影は忍び刀を逆手にかまえる。
「だから言ったろう。殺せる時に、殺しておけと」
「今からとて、遅くはないわ。四大はまだ、こちらの手にある。汝を殺し、四大を手にして――」
「世界を変えるか。変えてどうする」
「我ら鬼咒が、世の面に出る」
「愚かな……」
 一抹、哀れみの色を込めて、月影は《鬼》の頭領を見る。 
 《鬼》とは《隠》。隠れ潜むものの意。《影》と同じく、《人》の世に容れられず、納まりきれず、闇の中に潜んだもの。世の面にで出るのなら《鬼》であること――異形であることを捨てねばなるまい。
 あるいは――
「古き神の作る秩序とやら、《鬼》どころか、《人》を容(い)れることすら叶うかどうか」
「ほざけ!」
 横殴りの一撃。躱(かわ)して下から斬り上げた刃を、鉄の義手に掴まれる。
 鋼が鋭く悲鳴を上げ、刀身が半ばから折れて飛ぶ。
 得物には執着せず、手を放し、引いたところに更に一撃が降ってくる。
 白刃に空を斬らせ、鮮やかにとんぼを切って月影はその場を逃れている。
 間合いを取っての一瞬の静止。
 その脇をかすめて忍者刀が飛ぶ。
 鬼道丸の投じたそれを避け損ね、右の上膊(じょうはく)を浅く裂かれた。
 傍目(はため)からわかるほど肩が上下し、呼吸が乱れる。
 そこまでらしいな――嘯(うそぶ)き、刃をかざして《鬼》の頭領が間合いに踏み込む。
 刹那、ふっ――と月影の姿が消えた。
 ――と見えるほど低く身をかがめ、同時に月影の手は床に落ちた術具――結界石として置かれた水晶の一つを拾い取っている。
 右の手に握りこみ、母指で弾く。古武道に謂(い)う指弾。
 紙一重、《鬼》の頭領のこめかみをかすめ、一筋、血を滴らせる。
「汝は――その右手、使えぬふりをしておったのか!」
「おかげで、潰されずにすんだ」
 チラリ、黒眸(ひとみ)に閃く笑い。
「忍法の極意は欺(あざむ)くこと。教えてくれたのはお前だった」
 立て続けの指弾。眉間を狙うそれを尽く躱すうち、月影は再び地を蹴っている。
 華焔――呼ぶ手に現れる黄金の小太刀。柄の星石を抉(えぐ)り取られて、なお、その内に力をとどめる――
 真っ向、斬り下げた刃に掛かったのは――
「紅!?」
 変わり身――と、月影は唇を噛む。
 よどんだ眸に束の間、正気の色が戻り――
 月影――と、その名の形に女忍は唇をふるわせる。
「……………………」
 何を言おうとしたのか――
 言い終えぬまま、もとの骸に戻る。
「紅…………」
 呆然と骸を抱いた、その、一瞬――
「後ろだ!!」
 警告と、気配を感じた月影が背後に刃を突き出すのと、いずれが早かったか。
 華焔の刀身に存分の手ごたえを感じ、振り向いた目に、残忍な笑みを凍てつかせたままの焼け爛(ただ)れた半顔。
 刃を抜き取り、ずるり――くずおれるのをそのままに、月影は警告を発した声を顧(かえり)みる。三方鎌を手に、昏(くら)い嗤いを見せる《影法師》。かつて友と呼んだ男――
「無月……」
「勘違いするなよ、月影。俺は、こんな奴にお前を倒させたくなかっただけ――身分も立場も、友としての情も捨てて、一度、本気で競ってみたかっただけだ。ただの術者として、どちらが優れているか」
「抜け忍が、聞いた風の口を――」
 激昂(げっこう)し、言いかける《草》のたばね、月華と名乗った女を片手で制し、
 わたしもだ――答えて、月影は静かに笑む。
 駄目――言って走り寄ろうとしたリサが、《影》の一人に阻まれる。
「抜け忍の処断は、頭領であるわたしの務めだ。ならば――」
 刀を――差し出した手に月華が忍者刀を渡す。
「お前は、余人の手には掛けさせぬ。来い!」
「駄目です! お二人とも、そんなこと――」
「満身創痍(まんしんそうい)の相手に、何が本気じゃ」
 少女の叫び、ぼそりと呟く曄姫の言葉を余所に――
 二つの《影》は鋼の打ち合う音を響かせ、重なり合い、飛び離れ、また翔け違う。
 そのまま柱を垂直に駆け上がり、天井から外へと飛び出した。


 日輪の面を月の影が覆う、かりそめの夜。あるいは、昼でも夜でもない時間。
 暗黒の空。星だけが冷たく光る。
 その星影を裂き、鎌が飛んだ。
 躱し、跳躍した影を見ながら、無月は奇妙な高揚感をおぼえていた。
 人外の化生(けしょう)――扶桑において忍びがそう呼ばれ、忌避(きひ)されるのは、役目の上、術の優劣を競う上で、親子、兄弟が平然と殺しあえるためである。
 まして、技を競い合った仲ならばなおさら――
 五分ほどの円の外側に三箇所、両刃の刃物を取り付け、中央に鎖をつないだ三方鎌。
 離れては鎖鎌となり、接近戦では短剣となる。
 あやに使い、旋回させ、地を潜り、あるいは上方から落下させる。
 千変万化の鎌の動きを見せながら、この武器では勝てぬ己れを無月は知っている。
 小童の頃からともに遊び、競ってきた相手。弱点となるべき無月の癖を、月影は熟知しているはずだった。
 が、逆に付け込むとすれば一点。
 投じられ、鎖の伸び切った鎌の、一瞬のさらに何分の一かの静止。
 予測通り、投じられた刀。内円――真芯を貫き、鎌を地に縫いとめる。
 同時に、手首に止めた鎖を外すと、無月は地を駆ける。
 得意の武器を、それも瞬時に捨てる。月影は対応しきれぬはずだった。
 しかし、呼応して月影も地を蹴っていた。
 鋼が――双方の手にした短刀が打ち合い、かりそめの夜の中で火花を散らせる。
 束の間、重なり合った影はそのままもつれ合い、地に落ちた。
 飛び離れ、間合いを置いて対峙し、次の動きに移ろうとした、その刹那――
 月影の体制が崩れた。
 誘いか、隙か。
 隙と見て、無月は飛び掛る。
 それそどう避け、どう反撃したか――
 気付いたとき、月影の手にした短刀が、深々と無月の胸を抉っていた。
「負けた………な」
「無月……! この……莫迦が」
 憤怒と嘆きを込めた言葉に、無月は静かに嗤う。
 今、ようやく気付いた。昔から、この青年が容赦なく莫迦呼ばわりするのは自分だけだった。そうして、遠慮なく突っかかってくるのも。
 何年、翔と一緒におった。遠慮も会釈もない奎国(けいこく)の貴婦人の言葉を思い出す。
 ほんの少し強情なだけの当たり前の男。辛いことも苦しいことも自分の胸の畳んで、そうして、歯を食いしばっている姿さえ人には見せず――
 ――気を許せる相手くらい、欲しかったよな……。
 それでもなお、この事態を悔いてはいない自分に、無月は気付く。
 身分や立場、若頭領として作り上げた虚像に目をふさがれ、互いの位置を遠ざけた。挙げ句、鬼咒の張った罠に落ち、命惜しさと弄された甘言が半々、里を裏切り劫火に沈めた。その時から――月影が生き延びたと知ったときから、自分はこうして、その刃に倒れることを望んだか。
 ――いや、そうじゃない。
 望んだのは、純粋に技を競い合うこと。
 こうして、命さえかけて。
 ――俺たちは所詮、人外の化生よ。
 それでも、
「なあ……。楽しかった……な?」
 発した問に、微かに笑んで月影が頷く。
 こいつ、泣くみたいな顔をして笑いやがる。ふっと思った。
 名を呼ぼうとして開いた口から、ごぼりと血泡が溢れる。
「……ゆけ、よ」
 吐息のように言って、無月は目を閉じる。
 きり――唇を噛むと、月影は背を向ける。
 駆け去ってゆく。
 足音は聞こえない。
 眼裏に浮かべたその後ろ姿へ、翔――と無月は少年の日の名で呼びかける。
 まだほんの小童のころ、何が理由か、丘の上の櫨(はぜ)の巨木に二人で登ったことがあった。
 互いに意地を張り、むきになって天辺を目指し、気付いたら足がすくんで下りられない高さに達していた。正直、怖かった。それでも、自分より幼い翔が、歯を食いしばって泣くのを堪えていたので、結局自分も泣けなくなった。
 ――あんな頃から、あいつは意地っ張りだった。
 あの櫨の木は、この先もあそこに立ち続けてゆくだろうか。
 なんだか、ひどく幸せな気分だった。
 仰いだ空、かすんでゆく視界に、月影の体勢を崩した理由を見る。
 ふちにわずか黄金の光輪を見せて、月輪が完全に太陽を隠している。
 その天空を目掛け、地上から、白く光の柱が立ち登っていた。
 描かれた円は五重。中央に逆五芒星。外側に風の方位を示す十二の印。月の支配を受ける二十七の星宿。周りに蛇のようにのたうつのは古代文字の一種か、見るだけで不快を通り越し、奇妙な悪寒めいたものを誘う。
 四方には四大の印。東に水。南に火。西に風。北に大地。描くのは藍銅鉱(ラズライト)岩緑青(マラカイト)藍玉(らんぎょく)辰砂(しんしゃ)瑠璃(るり)……鉱石を混ぜた十二の絵具と、四色の力の玉石を砕いた粉。
 さらに四方に台を置いて、神器から外したそれぞれの星石を乗せてあり、《火》と、《水》の前には、それぞれ黒衣の魔道師らしき姿がある。
 五芒星の一角には祭壇が設けられ、原水晶、剣に聖盃、金貨に棍棒などの儀式に必要な道具が並べてあった。
 伝説になるほど昔の、廃墟となった神殿の、神が祀られ多くの人が祈りを捧げた場所だったのだろう、瓦礫(がれき)を片付けた広間。用意された、どこか冒涜的(ぼうとくてき)な匂いのする儀式の道具のあれこれを嫌悪の目で見て、懸命に歯を食いしばり、着せられた白いドレスの裾を引きながら、リサは祭壇へ近づく。
 崩れ、ひび割れた壁やわずかに残る絵具の跡が、聖都と呼ばれた場所の名残りか。かつては華麗な天井画が描かれていたと伝えられる、その天井部分を丸く切り取り、大きな煙水晶がはめ込まれている。その端から、黒ずんで死んだような太陽が顔を見せていた。
 こちらへ――黒衣の、顔を見せようとしない魔道師が手をのべる。
 付き添ってくれていた曄姫が、そっと肩に触れると離れてゆく。ちらりと笑みを見せたように思えたのは、気のせいだろうか。
 柱の影に隠れるように、捨てられた犬の風情のクリスが立っている。
 世界の大半が滅びたような凶悪な顔は、威吹の無月。
 鬼道丸は、焼け爛(ただ)れた半顔をさらし、口許に嘲るような笑みを浮かべている。リサには見えないが、広間のあちこちに下忍が配してあるようだ。
 要所にかけられた松明が、それぞれの足許に黒く濃い影を落としている。
 そうして翔は、縄を打たれ、影を縫いとめた手裏剣に身動きさえも封じられて――
 それでも、威吹の若い鷹とデイルが評した青年は、両翼をもがれ、鎖に繋がれてなお毅然(きぜん)として立っている。
 助けるから――同じように捕われたときに言ってくれたのは、もう、ずっと昔のことのようだ。
 ――今度は、わたくしが……。
 儀式への協力の代償として、翔の命をあがなった。
 約束は果たされるものと信じている自身の幼さに、リサはまだ気付いていない。
 証として取られたひと房の髪と、数滴の血の意味も知らない。
 と――
 祭壇の向こう、本来なら神の像が祭られていただろう場所に安置されたものに気付き、思わず、小さく悲鳴を上げていた。
 並んで置かれた、どこか玉座を思わせる二脚の椅子。かけているのは神官服の老人と、絹とレースの花嫁衣裳のような豪華な純白の衣装に包まれた幼い少女の――
 ミイラだった。
 老人の首は、あり得ない方向に曲がっていて、
「何じゃ、アレは!?」 
 曄姫が嫌悪の声を上げる。
「貴女の仰る分家の莫迦者ですよ。もう、死体ですが」
「そのようなことは、見ればわかる」
「立ち合わせてあげようと思いましてねぇ」
 フードからわずかに覗く口許だけで、魔道師は仄かに笑む。
 どこか、壊れた感じのする笑みだった。
「彼と彼の愛する人の望みが叶うところをね、見せてあげようというわけです」
 愛する人――と、少女のミイラを眺めて、曄姫は嫌悪をあからさまにする。
「何を望んだ?」
 問うたのは、翔だった。静かな声音である。
「世界を変えることです」
 世界を――と、翔は問い返す。
「あなた方の言葉を借りると、世の理をかえる――と、そういうことになりますか」
「反魂――などではなかったな、やはり」
「いいえ」
 返されるのは、やはり口許だけの笑み。
「反魂ですよ。ただし、古き神の――ね」
 口許から頬へ、青白い顔全体へ――禍々しい笑みが広がってゆく。
「反魂を禁じたのは新しい神。彼らが作ったこの世界の秩序。古き神を呼び起こすことにより、その秩序を変革するのです」
 何かとても大変なことだ。そう感じて、リサは身を慄わせる。
 とても恐ろしいことだ。それでも――
 翔を喪うより他に、恐ろしいことはない。
「さあ――」
 手を取られて、祭壇の前に立つ。
 気がつくと《風》と《地》の位置にも魔道師が入っている。
「そう。必要なのは風の器ではなく、媒介となる無垢な乙女。どのように使うかは――言うまでもないでしょう」
 ――何ですって!?
 改めて見る黒魔術めいた術道具(マジックアイテム)と祭壇。ならば自分の――乙女の果たす役割は――
 ――贄(にえ)だ。
 取られた手を振り払おうとして、動けない自分に気付く。
 魔道師の言うままにしか動けない自分。
「――同時に《四大》で《道》を開くのです。蝕の始まりと同時にね」
 言うと、魔道師は天空を見上げた。煙水晶に曇る、翳色(かげいろ)の空。
 肉眼では見えないけれど――
 南に火の星、熒惑(けいわく)。凶兆として暴動と戦乱。
 北に水を司る辰星(しんせい)。水難、水害を起こす星でもある。
 東に木――すなわち地の星である歳星。王の死と諸侯の争いをもたらす。
 西に金。風の星太白。これもまた暴動をもたらす星である。
 太陽が中心に入る。しかし煙った色の日輪に、月の影の落ちる兆しは、まだ見えない。
 そのとき、それが起こった。


 目を閉じて――耳元で囁かれた気がした。
 翔の声。そんな――と、リサが振り向いたとき、縛られたままの翔の手許から、ふわりと小さな光球が浮き上がった。
 それが最初だった。
 すーっと《場》の中央に移動したそれは、真夏の太陽にも似た光輝を放ち、一瞬、その場にあった全ての影を消し去り、四散する。
 慌てて閉ざした目の中に、真っ白な太陽が広がった。
 《影縛り》から逃れた翔の体から、はらりと縄が解けて落ちる。
  捕らえようとした下忍の腕を躱(かわ)しざま、その両目に指を突き入れる。悲鳴を上げ、血に染まった顔を押さえてのけぞる首根に、棒手裏剣を打ち込んだ。寸前まで、彼の影を封じていたそれである。
 同時に、天井から小さな影が飛び降りた。
 魔法陣の中央、描かれた図形を蹴散らすと、小さな丸いものを床に叩きつける。
 ぱん――小気味のよい音に続いて、黒影が空を覆った。
 蝙蝠に似た翼と長い尾を持つ伝説の神獣。それが瞬時に収斂(しゅうれん)して、ヴァルファの管理者の姿になる。
「月影さん! 姉ちゃん!」
 小さな影が声を上げる。
「風太ちゃん! それに、おじさま!!」
 がらり。祭壇を倒してくずおれかかりながら、莫迦な――呻いた魔道師の胸を、翔の投げ撃った棒手裏剣が貫いていた。
 きゃ……と悲鳴を上げかけるリサに、姉ちゃんと風太が走り寄る。
 こっち――リサの手を引く風太の前に、うっそりとクリスが立つ。
「兄ちゃん……」
「クリス」
 二つの声が重なる。
「クリス。殺しなさい、その子供を」
 魔道師の命令に、微かに口を開け、若者はうす青の目を左右にさまよわせる。
「い……いやです」
 小さく言った。
「厭(いや)です。ぼ、僕は、あなたの操り人形じゃない」
 くくっ……と、咽喉(のど)で笑ったのは鬼道丸。
「天唾(てんだ)の術。見事といっておこうか」
 ――とは一般的には、潜入してきた忍者を寝返らせ、味方に変える術をいう。
「が、月影よ。この程度で勝てたつもりか?」
 無言のまま、口角をわずかに笑みの形に吊り上げて、す――と翔が片手を上げる。
 各所に配された下忍が、ばたばたと声もなく倒れ伏し、その後ろから、
「《影》お呼びにより参上」
 すう……と、幾つかの黒影が滲(にじ)み出る。
「ご苦労」
 微笑する翔の顔は、リサが初めて目にする頭領としてのそれである。
「汝は……このために――草の動きを悟らせぬために、敢(あえ)て囚われて見せたのか」
 鬼道丸が歯噛みし、魔道師が呆然と呟く。
「莫……迦な。結界が――」
「結界は、内から崩せば簡単なのではなかったのかえ?」
 手にした小石を、曄姫は宙に投げ上げる。敷地の四隅に置いた結界石の一つである。
「女――裏切ったか!」
「妾(わらわ)は元々、こちら側じゃ。忍びの術にもあるそうではないか。それに母親は、我が子に顔向けの出来ぬ真似は、せぬものじゃ」
「……だが、どうやって……」
 魔道師の呻きに、青――と少年が声を上げる。来い――と呼ぶまでもなく空間が裂けて、青玉色(サファイアいろ)の小竜が風太の肩に羽根を休めた。
「この青で、曄姫さんと月影さん、二人に連絡(つなぎ)を取ったのさ」
「竜はね、古代の生き物なの。結界は無効なのよ。唯一の例外が、契約によって召喚される次元竜だけどさ」
「まさか……それで、少年にご自分を召喚させたわけですか」
 風太の胸にかかったままの召喚符を見て言うのに、総世とジェイは頷く。
「さすが……ですね、お師匠さま……」
「年季が違うわよ。しっかし、派手な合図だったわね」
 とは、蝕の開始と同時に、翔が光輝(ライティング)を暴走させたことである.
 がくりと膝を折ると、デイルはそのまま前のめりに身を倒した。
「お……のれ、裏切り者が!」
 おめいてクリスに斬りかかる鬼道丸の刃を、
「間違えるな、鬼道丸。お前の相手は、わたしだ」
 翔の忍び刀が跳ね返す。
「風太!」
「姉ちゃんを、だろ」
 心得て、リサを背後に庇(かば)い、少年が小太刀の柄に手をかける。
「雑魚は我等が」
 言いざま、鮮やかな動きで下忍の一人を斬って捨てたのは、
「そなた――」
 曄姫が声をかける。
「《草》のたばね、威吹の月華(げっか)。お見知りおきを」
 リシルの宿で見かけた女だった。
「皆さん、派手にやっちゃっていいわよ! 聖別してある武器だから、アンデッドにも有効だからね!」
 陽気な口調でジェイ――ヴァルファの管理者が叫ぶ。
 陽の面に月輪の落とす最初の影がさしている。
 こうして、儀式を行う機会は失われたはずだった。
 格子の向こうにゾンビの姿を認めては派手に悲鳴を上げていたリサも、半日もすると、その状況に慣れたらしい。
 そのかわり――こりこりと何かを引っ掻く音を、翔は浅い眠りの合間に聞く羽目になった。何を始めたのか――悲鳴よりは良いかと考えているうちに、それが止まって、今度はレンガが一つ、せり出してきた。
「翔さん、聞こえますか? そちらから引っ張って下さい」
「悪いが、出来ない。動けないんだ」
 答えると、困惑を示す沈黙が返ってくる。
「落としても、大丈夫だよ」
 言ってやると、じりじりと慎重にレンガが押し出されてきた。
「何を始めたんだい?」
「子供のころに読んだ物語にありましたの。壁に穴をあけて、看守の目を盗んで、囚人どうしが行き来をするんですわ」
 子供の――という言いかたに、翔はつい、笑い出しそうになる。
 曄姫が鬼道丸を変態呼ばわりするのを聞いて以来、そちらの方の反応が、些(いささ)か過剰になっているようだった。
「あ、ひどい。今だって子供だと、そう思っていらっしゃるんですのね」
「ごめん、ごめん。……妹と同年だと思うと、どうしても」
 重い沈黙。リサは、樹(こずえ)の話になると、過剰反応するようだ。
「……行き来は無理だと思うよ。星が並ぶのは――そう、もう二時間ほど後だから」
「わかるのですか?」
「詳しいことは一族の禁忌。ただ――忍び名に《月》を冠せられた者は皆、体内に月の動きを読む能力を持っているから」
 時の権力に追われ、影に潜んだ異能者の群れは、遡(さかのぼ)ればまた、古代の神――闇に追われた古き異形神の末裔(すえ)とも聞く。繰り返された《人》との混血に、能力は薄まってしまったが。
「まさか………………満月に向かって吠える方がいらっしゃる…………とか?」
「どうしてわかった?」
「本当なんですか!?」
 くくっ……と喉だけで笑ってやると、冗談と受け取ったらしい。
「翔さんっ!!」
 レンガの向こうから、抗議の声が降ってくる。
 もう――と、すねる声がそれに続いてから、
「お顔、見られるだけでいいんです」
 ごと……と音を立ててレンガが落ちる。
 四角く切り取られた空間から覗いて、酷い――とリサは呟いた。
 幾度も意識を失うまで打ち据え、責め苛んで、まだ飽き足らぬのか、あるいは安心できぬのだろうか。四肢に枷(かせ)をかけられて、鉄の鎖で翔の体は獄舎の床につながれている。かろうじて寝返りが許される長さではあるが、重く太い鎖は、痛めつけられた体には、身動きを考えることさえ億劫(おっくう)にする。
 もっとも、こうして体の自由を奪われていなければ、とうに牢を抜け出して、破壊工作の一つも行っていたところだから、翔も敵の行為を非難できる立場ではない。
「なんて……酷いこと」
「あまり、見られたくない姿だったな」
 こうして鎖をかけていったのも無月で、
「あの方、翔さんのことをお嫌いだったのでしょうか」
 子供っぽい言い方に、つい失笑する。
 結局人は、どんな時でも笑えるようだ。
「気が付かなかっただけかも……知れないな」
 それでも予感はあったのか――翔は思う。
 最初に意識を取り戻したとき、無月はまだ、この獄舎にいた。
 誰かに輪をかけた凄まじい仏頂面で翔の手当てをしながら、
「せめて手当てぐらいしてやれと、小娘がやかましい。まだ死なせるなと《鬼》の頭領の仰せもあるしな」
 明々後日(しあさって)の方に向かって嘯(うそぶ)いてから、なんともいえぬ顔で翔を眺め、何か言うことはあるかと言った。
 水――と言うと、何やら不服げな顔になって、それだけかと問い返す。
 恨み言でも聞きたかったのかと言ってやると、さらに形容のしがたい複雑な表情になって、それでも水の器を口許に持ってくるだけの親切は見せた。ついでに、痛み止めだと、憶えのある味の丸薬を口に押し込まれた。威吹の秘薬――といいたいが、実は古老の作るそれの壮絶な味に閉口した若い世代が工夫した――実のところは失敗作だ。効き目はあるが、五感の反応、感覚を鈍らせる。
「……まだ、こんなものを持っていたのか」
 言うと、やかましいと怒った顔で出て行った。
 あんな具合に無月を怒らせたのは何年ぶりか――それこそ仔犬のようにじゃれあって育ったはずが、いつからか感じられるようになった隔意、苛立ち。別れたときの――後に残って里を頼むと言った時の、傷ついた子供のような表情。
 忍びに生まれた以上、常に死とは隣り合わせ。覚悟はしていても、失って後にようやく、それがその人との最後の時間だったと気付くことは多い。
 まして、あんな形の別れなど、誰が想像し得るだろうか。
「翔さんは、どうだったのですか?」
「……一番、近くにいた。子供のころから一緒に走り回って、術を競って……助けられたことも、何度もある。近くにいることが、当然だと思っていたよ」
 年齢は無月の方が二つ上で、どちらも似たような負けず嫌い。むきになって競い合っていたはずが、気付いたら無二の――といえる仲になっていた。
 ――優しい……男だった。
 救おうとして救いきれずに指の隙間から零(こぼ)れた幾つかの命。それをいつまでも惜しんでいるような――そうしてそれを、悲しみではなく、怒りの形で表すような。
 世のためといい、弱者を守るために働くというのなら、威吹の力を持って天下を制し、弱者の虐(しいた)げられぬ世を作るのが本当ではないか。怒ったように言ったのは、あれはまだ共に二十歳にもならぬ頃だった。
 あのときの無月の腕の中にもはやり、救いきれずに零れた命。
 これほどの力がありながら――翔を睨んで言う肩が、怒りと悲しみに慄えていた。
 里の誰彼からも背を向けて、皮肉で冷笑的な物言いをするようになったのは、確かあの頃からだった。
 優しすぎて、心のどこかを壊してしまったのかも知れない。
 それほどに――
 ――やさしい……男だった。
 決して、強い男ではなかった。むしろ――
 偶然だろう、翔の横たわる位置からは、抜き取られたレンガの向こうのリサの顔がはっきりと見える。微笑して小首をかしげた、問いかける仔犬の表情だった。
 微笑いかえして、好きだったよと答える。
 強がって、肩肘を張って――それでも時折覗く脆(もろ)さが、優しさが、好きだった。
 目に浮かんだのは、子供のころ。優しい色の里の夕焼けと、二人で登って降りられなくなった丘の櫨(はぜ)の木。子供とはいえ威吹の忍びが情けないと、二人並べて弧月に散々叱られた。あれは、いくつの時だったろうか。あの木はまだ、あの場所に揺るがず立っているはずだった。
 答える口調が、死者を悼(いた)むものであることに、翔は気付かない。
「かけがえのない……友人だと思っていた」


 独白に似た、かつての親友の言葉を耳に、肩を落として獄舎から離れようとした無月の背を――
 後ろから力一杯叩いた者があった。
 顔をしかめて振り返るのに、口と性格の悪い美女が、にやりと人の悪い笑みを見せる。
「おぅや。忍びらしゅうもない不覚じゃのぉ。翔は――月影は、そのようなことは一度もなかったぞ」
 言われて、厭(いや)な顔をするのに、
「そなたは、どうだったのじゃ?」
 さらに、追い討ちをかけてくる。
「どう……とは?」
「月影を嫌うておったのか?」
 あからさまな訊き方に、無月は凶悪なまでに厭な顔をする。
 昼夜の別も定かでない地下の獄舎の通路。松明の明かりが揺らめいて、頬の削げた顔の陰影を、さらに濃いものにした。
「あの男を嫌うのは、かなり難しいと思うが」
「嫌えずはずが……」
 あるものかと言いかけて、無月は、はっと言葉を切る。
 出会いなどは、覚えてもいない幼い頃。それ以来、当たり前のように傍にいた。一緒に走り回り、技を競い、危険な役目の幾つかを供にした。助けたことも、助けられたこともある。
 嫌っては――憎んではいない。それだけに、思いは一層複雑になる。
「嫌ってどうなる。上忍の、それも頭領の若様が、下忍ずれの小倅(こせがれ)を対等に扱って下されたのだ」
 意図せず、卑下(ひげ)したような言い方になった。
「…………阿呆じゃな、そなた」
「何だと?」
「どんな理由があって、一族を裏切ることになったのかは知らぬが、自分で自分の誇りを地に塗(まみ)れさせてどうする。翔も賢い生き方のできる男ではないが、そなたほどの阿呆ではないぞ」
「あいつは特別だ。生まれも人間も、俺とは違う。鬼道丸に喉を潰されかけてさえ、命乞いもしなかった」
「阿呆」
「あ……阿呆、阿呆と――」
「翔の台詞ではないが、阿呆に阿呆と言わずに、どこの誰に向かって阿呆と言うのじゃ。命乞いなどしてみよ。あの変態、その場で喜々として翔を切り刻んだわ」
「…………変態………………」
「本当に、根っからの阿呆じゃな、其方(そなた)は。何年、翔と一緒におった?」
「なんだと?」
「翔のどこが特別なものか。すこしばかり強情なだけの、当たり前の男じゃ。辛いことも苦しいことも、自分の胸ひとつに納めて、なんでもないような顔をして――人をまとめる立場のものは、そうあるべきなのじゃが――妾に言わせれば、敢てきつい生き方を選んでおる莫迦者じゃ。もう少しそなたが――ああ、よい。言うだけ無駄じゃ」
「ああ。言うだけ無駄だ。いまさらな」
「なんじゃと?」
 露骨に柳眉(りゅうび)をひそめるのに、抜け忍というのを知っているかと、無月は問うた。
「俺のように、勝手に一族を抜けたものを言う。そうして、月影は――威吹の頭領は、立場上その抜け忍を処断しなけりゃならん。生き延びたければ、俺が月影を殺すか――俺としちゃあ、どちらも本望だが、さて、あの甘い若様に、俺が殺せるかな」
「翔には無理であろうな。じゃが、月影ならどうであろうか」
「何だと?」
「阿呆にわかるように教えてやる親切心はないわ」
「女。そういうお前はどうなんだ。お前だって、月影たちを裏切ったことになるんだぞ」
「妾は、自分に正直に生きておるだけじゃ」
 容姿と性格の落差の激しい美女は、平然と言ってのける。
「……全く………あの魔道師は、何を考えてお前を野放しにしてるんだ」
「わかったら苦労はせぬわ」
「……………………お前、月影と随分気が合ったろう?」
「うん♪ わかるかえ」
 皮肉ったつもりが、それこそ喜々として肯定されてしまい、鼻白む。
「アレは真っ直ぐそうに見えて、意外なところで性格に捻りが入っておる。話しておると、面白いぞ」
「……………………(~_~;)」
「公爵夫人。勝手にうろつき回らないでいただきたいと、申し上げたはずですが」
 いつ来たのか、ぬうと黒いフードが視界に割り込んだ。
「無礼なだけでなく、無粋な男じゃな。どこから湧いた?」
「公爵夫人。勝手にうろつき回らないでいただきたいと、申し上げたはずですが」
 無礼で無粋な魔道師は、全く同じ台詞を、全く同じ口調で繰り返す。
 受けた曄姫は平然として、斜め二十五度ほど上にあるフードを見下(みくだ)した。
「そうであったかえ? 年を取ると、忘れっぽくなってな。それより、分家の莫迦者はい如何いたしたのじゃ? 何ゆえ顔を見せぬ?」
 それを無視して、影法師――と、魔道師は無月に向かって言う。
「娘を牢から出しなさい。儀式を始めます」
「月影は?」
「儀式の一部始終、見せてやりましょう。影縛りで、動きを封じておいて下さい」
 わかった――答えて、無月は鍵を開ける。
「お二人とも、魔法や火術とやらは使わぬことです。これまでの反動で、暴走しますよ」
 引き出された少女が、憎体に魔道師を睨みつけると、同じように牢から出された青年にしがみつく。支えかねた青年が、わずかによろめき、牢の格子で体を支える。立っているのが、やっとなのだろう。
「翔さん!」
「大丈夫だ」
 ふわり――浮かぶのは見慣れた微笑。
 微笑んだまま、青年は少女の耳元に唇を寄せる。
 微かな唇の動きを読んで、あいつ――と、無月は顔を歪めた。
「何と言うたのじゃ?」
「………………」
「翔は、リサに何と言うたのじゃ!?」
「…………最後の最後まで、望みを捨てるな」
 むすり。告げた無月の言葉に、翔らしいと、曄姫は淡く微笑んでいた。
 かしゃ――と、音を立てて食器が下げられてゆく。
 まったく手をつけなかった食事を手に、無表情に出てゆく紅を、こちこちに固まったまま見送って――視界から揺れる黒髪が消えると、リサははぁーっと息を吐いた。
 知り合いの、それも死ぬ場面を目撃させられた人間のゾンビに給仕をさせるなんて、なんて悪趣味なんだろう。ぶるるっと身震いをしていると、
 リサちゃん――隣から声が聞こえた。
「翔さん! 気が付いたんですのね!!」
「ああ。大丈夫か?」
「こんなときに、わたくしの心配なんか! 翔さんこそ、大丈夫なんですか?」
 壁越しの会話がもどかしい。
 治療魔法がつかえたら。向こう側に手が届いたら。
 せめて、顔が見えたら……。
「酷いことをされたって……。わたくし……」
「大丈夫だ。だから、御免なさいは無しだよ」
「でも、あいつ――あの魔道師――」
「何かされたのか!?」
「何も――」
 何もされてはいません。答えると、全身で安堵の息を吐く気配。
 これほどに、翔はリサのことを案じてくれているのに。
「《儀式》に協力をしろって。それから、翔さんに――何をしたんですか、あいつ!?」
「大したことじゃない。わたしのことは心配しなくていいから」
 言う言葉に時折微かに感じられる、あれは――全身を耳にして、一言も聞き漏らすまいとしているから感じられる、呼吸の乱れ。
 苦しくないはずがない。あれほど――翔ほどの人が気を失うほどにひどく、痛めつけられたのだから。
 だから――
 黙って、と言うべきなのだ。
 苦しかったら、口を利かないでと。言うべきなのだ。わかっている。それなのに、少しでも翔の声を聴いていたいと思う。
 ――わたくしは、こんなに身勝手だ。
 翔の近くにいたい。ただそれだけのために、逃げるという約束を破ることさえした。
「リサちゃんは、自分の身を守ることだけを考えるんだ。いいね」
「いや」
「リサちゃん……」
「厭です。そんなこと、できません」
 だったら――吐息に混じる、ごく微かな笑いの気配。
 ――この人は……。
 こんなときでも笑えるのか。
「だったら……食事くらいは、ちゃんとしておくものだよ」
「翔さん……」
「いつかのお返し」
 語尾に、くっくっと、押し殺した笑いが続く。
「リビングデッドのお給仕で、食欲なんか出ませんわ。それに、こんな時にご飯なんかいただいて、どうなると仰るんですの?」
 言うとまた、途切れがちに低い笑い声が伝わってきた。
「食べられる時に食べておく。寝られる時に寝ておく。忍びの心得でね。一番大事なのは、最後の最後まで、望みを捨てないこと」
「望みがあると仰るの?」
「命さえあればね。二人とも、まだ生きている」
「ま……まだって……」
「取り敢えず、鬼道丸は当分は、わたしを殺す気はないようだし」 
 まだ。取り敢えず。当分……。
「…………翔さん、さりげに物凄いことを仰ってますわよ。自覚、おありですか?」
「ああ、ごめん。心臓に悪かったかい?」
「あああああ……あのですねぇ……」
 悪いなどというものではない。その猶予期間が切れたら、どうする気なんだろう。
 それ以前に、
「あそこで殺されていた可能性だって――」
「ないよ」
 えらくあっさり言ってくれる。
「一思いに殺すには、憎まれすぎているしね。少々、挑発もしてやったし」
 あれは……………………………………挑発だったのか……。
 なんだか、どっと疲れた気がして、
「…………………………あのですね……」
「忍者というのはね、結構しぶといんだ」
 思わず――格子に手をかけ、向こう側を覗こうとして――
 目の前に灰色の顔のゾンビが灰色の装束で立っているのを見てしまい、リサはキャーッと思い切り悲鳴を上げていた。


「何じゃ。リサならともかく、翔までが食事拒否(ハンスト)かえ?」
 曄姫の言葉に、ほとんど手付かずの食器を下げてきたクリスは、辛そうな表情で目を伏せた。
「いいえ、翔は……。体の方が受け付けそうにないから――って。水は、なんとか飲んでくれたんですけど」
「そうまで手ひどく――うん? 何か言われたのかえ?」
「……………………いいえ」
「それにしても、あの魔道師も良い趣味じゃな。紅の次は、そなたの給仕とは。それで、リサは?」
「美味しくないって。僕の作った消し炭の方がましだって言うんですよ」
 では、口だけは利いてくれたわけだと、曄姫は若者を眺める。
 叱られてしょげ返った犬さながら――当人には気の毒だが、いつかのリサの絶妙の表現を思い出した。
 本当に、耳を垂れて尻尾を後足の間に挟み込んだ大型犬そっくりだ。しょんぼり、上目遣いで人の顔を窺(うかが)うところなども――
「持っていってやるのじゃな。消し炭を」
「もう少しましなものだって作れますよ。あれこれ教えてもらって……。旅は、とても愉(たの)しかった。でも――」
 クリスは深くうつむく。
 仕様がないですねえと言いながら、クリスの仕事を取り上げて、てきぱきとやってしまうのがリサで、兄ちゃん、お間抜け――とか言いながら手伝ってくれたのが風太。翔は大抵、苦笑しながらの助言か、時には手にとってやり方を教えてくれた。曄姫は――唯一、目の前にいる婦人は、ぽんぽんときついことを言いながら、黒い眸は大抵は優しく笑っていたし、もう会えない元聖騎士も、仏頂面だったけど、本心は優しい人だった。
 みんな、大好きになれたのに――
「顔も見たくないって。ゾンビの方がまだましだって言われました」
「…………………………」
「言われても当然ですよね。僕は、皆を裏切った――いや、そうじゃない。もともと、こちら側の人間だったんです」
「察しておった――いや、知っておったというべきかな。妾も、翔も。じゃが――それでも妾は、そなたを仲間じゃと思うておった。翔もじゃ」
「記憶だって――クリスなんて人間は、本当はどこにもいなかったんです!」
 頭を抱え、クリスはただ、かぶりを振る。
 小児のようじゃなと、曄姫は思った。
 妙な感触――この若者の同行を許したときの、翔の言った言葉は、そのまま曄姫の抱いた思いだった。
 それでも旅の仲間に加えたのは、放っておけばどこまでも付いてきそうなこの若者を、監視するのが目的だった。
 それが、一緒に旅を続けるうちに、本当の仲間だと思えるようになってきた。
 間者などには向かぬ、不器用で素直な若者。人の心を操る術があるのだと聞いて、こんな人間に残酷な真似をするものだと、腹立たしく感じた。
 翔には、この若者の素性に確信を抱く、何らかの根拠があったようだが。
「そなた、本当に忍び――《草》とやらなのか?」
「ええ。母親の方の祖父さんがニンジャだとかで、子供のころに拐うように連れてこられて、モノにならないって放り出されて、それでも拾ってくれた人があって――そこの親父さん、言うこと利かないと本当に殴ったり蹴ったりするんだけど、陽気で、大声で歌ったり笑ったりする人で、お袋さんもよく喋ってよく笑う人で、本当の子供みたいに可愛がってくれて。それを、見た目がこっちの人間だからって、無理矢理に連れ戻されて――」
「………………」
「翔たちのことだって、協力したら命までは取らないって――殺さないって言ったのに、あんな酷い……」
「翔とは、何か話したのか?」
「話せません。風太にだって《水》の洞窟で熱が出る薬を盛ったし」
「知っておった――翔は気付いておったようであったな」
「えっ!?」
「一度、話しをして見るのじゃな。面と向かって罵(ののし)られたほうが、いっそ、気は楽になるぞ」
 きょっとんと瞠(みは)られる青い眸に笑いかけると、す――と曄姫は立ち上がった。
「さて。妾もリサに罵られてくるとしようか」


 獄舎に、その曄姫の来訪を受けて――
 リサは大きな目をさらに大きく瞠ると、思わず後ずさっていた。
「何という顔をしておるのじゃ?」
 格子の向こうから覗く艶やかな美貌が、あからさまに呆れた色を浮かべる。
「まさか――、まさかとは思うが、妾(わらわ)を死骸じゃと思うておるのかえ?」
「本物の………曄姫…さま?」
「本物も偽物も――ほれ」
 差し出された手は暖かい。手首を握ると、はっきりと脈が伝わってきて、
「曄姫様だ! 曄姫様だ生きてるあったかいゾンビじゃない本物だー」
 一息に言うと、子供のようにリサは声を上げて泣き出していた。
「これ――。これ、リサ。……年頃の娘が、童のように泣くでない。ああ、ああ。そのように顔をぐしゃぐしゃにして……」
「うぇ…ひっく、よかっ……生きて…ぐすっ……。よかっ……た。うぇ…ん……」
 生きていて、いつもの曄姫でいてくれるのが嬉しいと――伝えたいのが、全く言葉にならない。涙はどんどん仲間を連れてくるし、泣き声は一度喉から洩れると止まらないし――久しぶりで、リサは盛大に声を上げて大泣きをした。
「顔を拭かぬか。ああ、ひどい顔じゃ。その顔、翔に見られぬで幸いであったな」
 ハンカチを差し入れながらの曄姫の言葉に、はた! と正気にかえる。
「翔さん! どんな様子ですの!?」
 ちらりと隣を覗いて、豪胆な女剣士は顔をしかめた。
 そんなに――酷いのだろうか!?
「ん。ああ。手酷く痛めつけられたようじゃが――とりあえず、五体は満足じゃな。顔を焼かれた様子もないし」
「……………………怖いことを仰らないで下さい」
「何が怖いことじゃ。腕を落とされたとか、言うたわけではなし」
 と、曄姫はどこまでいっても、どんな立場になっても、曄姫のままであるらしい。
「ん、もう。曄姫様といい、翔さんといい……」
「翔が、どういたした?」
「さり気に凄いことを仰るのですもの。“まだ”生きているとか、“取り敢えず”“当分は” 殺す気はないようだとか――」
「それは……」
 くすっと笑うと、
「眠っておるよ。見かけによらず豪胆な男じゃ」
 少し感心したように言った。
 ということは翔はどうやら、眠れる時に寝ておく――を実践しているらしい。それにしても。リサの大泣きにも起き出した様子がないのは、よほど憔悴(しょうすい)しているのか――
 ――そう言えば、
 危険には大層敏感なくせに、夜営のとき、火の番のリサと風太が騒いでいる横で平然と熟睡していたことがあったから、そういう風に自分を調整しているのかもしれない。
「リサ…………」
「はい?」
「そんなに……、翔が好きか?」
 この上なく優しい口調で訊かれて、リサは微笑んで頷いた。
 翔を想うと胸が痛くて、でも、不思議に幸せな気分になる。だから、きっとこれは、ただの憧れではない。なにより、憧れなどという甘い思いを抱いていられるような、安易な旅でもなかったし。
「翔が、そなたを女子として見ておらずとも、か?」
 もう一度頷く。
 そんなことは、わかっている。翔はまだ彼女のことを“リサちゃん”としか呼ばない。妹を見るような目でしか見てくれない。
 それに、翔に吊り合う女性ではないと、そのくらいの自覚はある。
「切ないのぅ……」
 そっとリサの頬に触れて、曄姫はもう一度微笑してから、おかしな具合じゃと言った。
「妾は、そなたらに罵(ののし)られる覚悟で来たのに」
「…………ああ、そういえばそうですわね。なんだか、ご無事でいらっしゃるとわかったら、気が抜けてしまいました」
 とにかく無事でいてくれた。それが何より嬉しい。
 クリスにはつい、酷いことを言ってしまったけれど。
「もう、誰にも死んでほしくはありませんもの」
「騎士殿には……気の毒なことであったな」
「ええ………」
 静かに頷ける今の自分を、リサは不思議なものに思う。
 思い切り声を上げて泣いて、何か重いものが体から抜け出していったようだった。
 それとも――
 曄姫殿の存在が――ここへ向かう途中の、翔の言葉を思い出す。
 これほどに大きいものだったのか。
 この人もクリスも大切な旅の仲間。もう一人も欠けて欲しくない。
「改めて言うまでもあるまいが、妾は奴らに、仲間になる、協力をすると言うて命乞いをした」
「はい…………」
「妾は死ぬわけにはゆかぬ。なんとしても吾子たちの元に戻らねばならぬのじゃ」
「ええ」
「翔も……わかってくれると思う」
「ええ。命さえあれば、望みはあるからと………」
「さようか……」
 ふわっ……と、どこか翔のそれに似た笑みを浮かべると、曄姫は首をかしげる。
 ゆるく編んで片側に垂らした黒髪が揺れ、片耳だけに付けた耳飾りの翡翠の玉が鈍くきらめく。そうしたところは、非の打ち所のない男装の麗人なのに――
「ただ、あの慇懃無礼(いんぎんぶれい)の腹が読めぬ。ろくなことを考えておるわけではあるまいと、それだけはわかるのじゃが……」
「い……慇懃無礼って……」
「慇懃無礼を絵に描いて色を塗って、表装して壁にかけたような、あの魔道師じゃ。以前、翔に言うたら、本当に壁にかけてくれたら、手裏剣の的にすると笑うておったが」
 ――それは……。
 翔なら言いそうな気が……凄く、した。
 何となく、口調から表情までが想像できてしまい――
「…………………………お二人とも……」
 ずる――と、鉄格子につかまったまま、リサはその場で脱力する。
 もっとも、あの黒ずくめが何を考えているかは、翔も気にしていたことだった。
 翔と曄姫と、二人ながらに腹が読めないということなら、当然リサなどに、あの魔道師の考えがわかるはずはない。
 それでも――
 ようやく、リサの考えは決まり始めている。
「――リサ」
 曄姫がすっと身を寄せる。耳元にささやかれた言葉に、リサが目を瞠(みは)っていると、
「何をしておる」
 背後から、重く、くぐもった声が流れてきた。
 鬼道丸かと、曄姫は飛び切りの渋面を作る。
 リサの旅の道連れは、厭(いや)な顔を作ってみせることにかけても達人クラスだった。
「また、翔をいたぶりに来やったのか? 其方(そなた)、病気持ちか?」
「なに?」
「他人を痛めつけて喜ぶという、悪~い病気があるそうじゃ。そう、そう。そういう輩(やから)を変態とか言うそうじゃ。其方、それではないのか? 一度、こう、ぐるりと頭蓋(ずがい)を割ってじゃな、脳を取り出して洗濯してもらえ。少しは爽(さわ)やかな気分になれようほどに」
 物凄い言い方に、リサはくるっと向こうを向いてしまう。
 かつて《鬼》の頭領に向かって、こんな言葉を投げつけたものがあっただろうか。可笑しい。たまらなく可笑しい。
「何をしておるかと、訊いておるのだ」
 強面で言う鬼道丸の声が、どこか引きつっているようなのも、さらに可笑しい。
「旅の仲間であったよしみでの、大人しゅうして、我らに協力せいと説得に来たのじゃが――」
「かっ……顔も、見…たく、ありませんわ。出て行って下さいませ!」
 思い切り震える声と体。怒りに震えているように見えるだろうか。
「嫌われたものだな、女」
「この有様じゃ。人の親切のわからぬ娘じゃ。もう、どうなっても妾は知らぬぞ」
 くるっと背を向けてから、
「行くぞ、変態」
 鮮やかな、止めの一言だった。
「だっ……誰が!?」
「其方以外におるかえ?」
「………………」
 どうやら鬼咒の頭領は、怒りのあまり声も出ないらしい。
「妙な病気と疑われとうなかったら、怪我人をいたぶって喜ぶでない。ほれ、とっととでてゆくのじゃ。ほれ、ほれ」
 牛か馬でも追い立てるみたいに、押し出すようにして行ってしまう。
 足音が消えて、しばらくしてからリサは、力一杯吹き出した。
 二人の遣り取りを反芻(はんすう)して、思い切り爆笑する。
 壁の向こうからも、押し殺した笑い声が聞こえてくる。翔も目覚めて、全部聞いていたらしい。
 壁を叩いて、変態ですってと言ってやると、笑い声が高くなる。
 笑いの相乗効果――というわけで、二人で言葉も交わさず、しばらく笑っていた。
 おかげで、腹筋が痛くなってしまった。
「《風》の器として協力をお願いします。そうですね、代償はあの青年の命でどうでしょうか」 
 言い置いて魔道師が去って――
 顔を覆って、どれほど自失していたか――通路の向こうの鍵の開く音で、リサは我にかえった。鉄格子に飛びついて外を見る。これはアンデッドではないのだろう二人の下忍に、引きずられてくる翔の姿が目に飛び込んだ。
 がっくりと頭を垂れ、固く目を閉ざした顔は蒼白で、口許にもこめかみにも、乾いた血がこびりついている。
 上着を剥がれた背にも肩にも、無残な打擲の痕が見えて――
「翔さん!!」
 格子に飛びついて呼ぶと、付いてきた無月に、
「何をしたのですか!?」
「見てわからんのか?」
 ――この男!
 風刃が撃てるなら、二、三発くれてやりたい。心の底からそう思った。
「妙な真似ができないように、少々痛めつけただけだ」
「少々、ですってぇ!?」
 あれほどの男(ひと)が気を失うまで打擲(ちょうちゃく)するのが少々か!?
 おもわず、きっと睨(にら)みつける。
「同じ一族だったのでしょう? お友達だったと言ったではありませんか。どうして、そんな酷(ひど)いことが出来るのですか!?」
「生憎、やったのは俺じゃない。鬼道丸と――あの魔道師だ」
「見ていたのなら、同じことでしょう!!」
「この強い娘だな。気づいているかもしれんが、念のために教えておいてやる。この建物には結界が張ってあるそうだ。魔法とやらは使えん。治療魔法とやらもな」
 捨て台詞のように言って行きかけるのを、待ってと呼び止める。
「鬼道丸は、どうしてそんなにまで翔――月影さんが憎いのです?」
 片眉を吊り上げて、珍獣でも見るような目で、無月は格子の向こうからリサの顔を眺めた。負けないように見返すと、根負けしたように溜め息をひとつ。
 憎らしいことに、仕種がどこか、翔に似ているような気がした。
「あれだけの配下を殺されたんだ。憎んで当然とは思わんか?」
「先に威吹を滅ぼしたのは、鬼道丸ではありませんか。翔さんのお父様や妹さんだって――」
「翔――か。餓鬼の頃の呼び名だな。あいつ、こっちではそれで通してるのか?」
「ええ」
 答えながらリサは、男の目に懐かしげな色が過ぎるのを眺める。
 翔――と、この男も呼んでいたはずなのだ。まだ少年の頃に。
「鬼咒も威吹も同じ《影》の流れ。知っているか?」
「はい」
「素直な返事だ。で、同じ《影》。同じ忍び。その若頭領――ああ、今では頭領か。そいつが、あんな具合に清げな顔をしているのが、気に食わぬのだとよ、《鬼》のお頭は」
 またまた登場した理解不能の理由に、リサは顔をしかめる。
 あなたは――眼前の男に向かって訊いてみた。
「あなたは、どうなのです? 月影さんが憎いのですか?」
 無言のまま、何やら壮絶なまでに厭そうな顔をして、威吹の忍者であった男はそっぽを向いた。これも、どこかで誰かがよくやった仕種で、漸くリサは、この男が翔の友人だったという事実を認める気になった。
「だったら、せめて」
 後ろを向いて、ペチコートを引き裂くと、当面、不快な生活を強いるつもりはないのだろう、部屋の隅に水を張った桶が置いてある、それで絞って、
「せめて、手当てぐらいしてあげて下さい」
 牢格子ごしに突きつけた。


 五色のチョーク。ラピスの粉。紫水晶の粉。原水晶。没薬。
 儀式に使う道具を手際よくならべてゆく弟子を、デイルはじっと見守っている。
 聖盃に棍棒。金貨に短剣。
 描かれる魔法陣は五重。中央に逆五芒星。外側に風邪の包囲を示す十二の印。
 四方に四大の印。東に水。南に火。西に風。そして北に地。
 星石を――神器から外した力の玉石を納める場所。
 古の聖都ソリ・ティアの中央にある、かつては光の――と呼ばれた神殿は、その地下に闇の神殿を封じていたと伝えられる。
 封じられたのは古代の神。新しい神によって追われたもの。
 ゆがめられ、変容し、それでも神であろうとして、際限なく人の欲望を叶えるもの。
 ――何をたくらんでいる。そう訊いたね。
 見せてあげよう。あと一日。明日の昼には――
 手の中に握りこんだものに、そっと囁く。
 あの青年から切り取ってきた、ひと房の髪。
 呪術の基本は、その人物の体の一部を手に入れることから始まる。
 髪のひと房。いくばくかの血。
 一方は霊力が、もう一方には生命力が宿るとされている。
 練りこんで作り上げるのは、華焔を制するためのわずかばかりの呪物。
 その黒髪に――
 漆黒の髪。闇色の眸。淡い象牙色の肌。同じ血を持つ一人の少女を思う。
 少女との出会い。それが全ての始まりだった。
 少女を見たのは、漸くこの大地に名を知られ始めた極東の島国。華焔を求め、反魂の情報を求め、移動魔法の限界を試して渡った、山深い場所だった。
 魔力を使い果たし、草の中に倒れ込んで、ぼんやりと異なる色彩の空を眺めていた。それを――奇妙な、それでも傷ついた獣を見るような表情で覗き込んだ黒い眸。空の青と山の緑に映える白と緋の装束。
 一目見て、自分だけのものにしたいと思った。
 同時に、何者にも触れることを許されぬ神聖な存在だと知った。
 聖少女は異国の古き神の末裔。
 古の言葉で《火》を意味する一族の娘。
 五百の歳月、異国の人から託された華焔を守り続けた一族の巫女だった。
 病んだ獣を看取るように食べ物を運び、薬を作り、無邪気に異国の話を聞きたがる。それでも言葉の端々に、巫女としての強烈な矜持を覗かせる。その少女の心を占める存在が、母を異にする実の兄と知って、激しい嫉妬に似たものを覚えた。
 兄に対する淡い想い。まだ自覚すらないそれを、恋と教えたのはデイルだ。
 最初は戯れから。次は妬心から。
 歪んだというなら、生まれつき。
 しかし、狂ったというなら、この時からだったろう。
 敵対する一族の存在を探り出すのは、さほど難しいことではなかった。
 その一族の長を、そしてエーリックを示唆(しさ)して《神器》の争奪に乗り出させることは、さらに――
 手に入れられると思ったわけではない。
 最初から、無理にこの手にした瞬間に喪われるものと知っていた。
 だから――
 あの誇り高い少女が、裡に秘めた激しさそのままに、我が身を炎に包んで逝(い)ったのは、デイルの望みに叶ったことではあったのだ。
 ――だから、
 わたしを縛る死者の意志など、ないのですよ。
 囁く相手は、よく似た面差しの青年。
 あの少女の愛した男。
 少女の面影を色濃くうつす、端正な面。
 それが苦痛と嫌悪に歪んだ、あの瞬間を思う。
 威吹の若長。誇り高い若い鷹。鎖につなぎ羽根を折り、嬲(なぶ)ってやることに残忍な喜びを感じた。忍びという、影に――闇に棲む宿命を負いながら、どこか陽光(ひかり)の匂いのするあの青年。
 そうして――
 憤りを――瞋恚(しんい)を込めて自分を見据えた、強い光を放つ闇色の眸。
 鎖につながれ、両翼を折られてもなお、あれほどの矜持を保ち得る。
 あの時吹き上げたのは嫉心か憎悪か。
 月影に恨みでもあるのか。影法師の言葉が耳によみがえる。
 恨みはない。ならば――
 憎いのか。それとも――デイルは自問する。
 憎いのか、愛しいのか。羨ましいのか、妬ましいのか。
 あの少女に愛された青年。
 感じるのはおそらくは、嫉妬という名の執着。
 それも――
「デイル……」
 デイル、デイル――おろおろとかけられた声が、彼の思いを断ち切った。
 上げた目の中に映る魔道師の黒い衣、色の抜けた白い髪、染みの浮いた羊皮紙を貼り付けたような干からびた肌。年老いた哀れな友人という名の彼の傀儡(かいらい)。
「デイル。これは……この魔法陣は――」
「気が付きましたか」
「そんな……恐ろしい。まさか、君は――」
「ああ、エーリック。エーリック」
 少しうんざりしたように、デイルは彼の名を繰り返す。 
「まさかあなたは、ただ《神器》を集めるだけで、なんでも望みが叶うと思っていたのではないでしょうね。四つの《神器》を並べると、精霊が現れて『願いを言いなさい』と言うとでも? 冗談ではありません。世界を手に入れるためには《神器》を掲げて戦を起こさなくてはいけない。そうして、反魂の魔法を成功させるためには――」
 蝕の日――太陽が月に喰らわれる忌み日。それぞれの星が、それぞれの宮に入るのを待って、儀式を始める。道を開き、呼び出すのは――
「そんな。駄目だ、デイル。そんな恐ろしいことは、わたしは許さない」
「エーリック」
「駄目だ」
 珍しく強い口調で言って、老人は儀式の場に進む。色砂で描いた魔法陣を蹴散らそうとする。
 その枯れ朽ちそうな細い首を、デイルはそっとつかむ。
 脆(もろ)い、簡単に折れそうな――
「たとえあなたでも、邪魔はさせません。それに……最初に言ったはずですよ。何かを願うときは気をつけなさいと。願いが叶ってしまうかも知れないから」
 そっと手に力を込める。
 手の中に、脆く儚(はかな)い感触。
 そうして、老人は永遠に沈黙する。
 あと……一日。デイルは呟く。
 あと一日で――
「協力をお願いしたいのですよ」
 魔道師がリサに対して、例の慇懃無礼(いんぎんぶれい)を絵に描いて額に入れた口調で言ったのは、薄暗い厭(いや)な感じの部屋でだった。
 街の中央――伝説や古い文献によれば、太陽神殿と呼ばれたものの跡なのだろう。地上部分の半ばほどが崩れ落ちた建物の、対照的に意外なほどしっかりとした造りを持つ地下。通路に面した扉に頑丈そうな鉄格子の嵌められた一室である。
 魔道師ならば光玉の三つや四つは作れそうなのに、照明を廊下の松明(たいまつ)に頼っているのが、妙な感じだった。
 無言のまま、リサはフードに覆われた相手の目のあたりを眺める。
 相手の目を見て話をしない人間にロクな人間はいない――と、これは執事の爺やが言っていたことだったと思う。翔も曄姫も、まだ子供の風太だって、大事な話のときは、しっかりと相手の目を見て話すのに。それに――
 リサはまだ、この男の名前も知らないことに気付く。名乗りもしないで要求だけを押し付けてくる男。本当にろくな人間ではない。
「どうでしょうねぇ」
「……………………………………」
「そうですねぇ。報酬は、あの青年の命。それでどうでしょうか?」
「何ですって!?」
 思わず訊いてしまう。
 絶対、口なんか利いてやらない。そう思っていたのに。
 なのに、報酬が翔の命とは。それは――
「いったい、どういうことなのですか!?」
「鬼道丸は、月影を――あの青年を、随分と憎んでいるようですねぇ。このままでは、遠からず責め殺してしまうでしょう」
「なん……あっ、あなたこそ!」
「わたしは、邪魔者を排除しようとしただけですよ。それで、どうでしょうか?」
「何を……させようと仰るの?」
「別に。今度の儀式で、ちょっとした役割を果たしてくだされば良いのですよ」
 とんでもない申し出に、リサは思い切り顔をしかめる。可愛い顔が台無しですよと魔道師が揶揄(やゆ)するが、知ったことではない。
「どうやら《風伯》は守護と――使い手と分かちがたく結びついているようだ。それに――」
 言いかけて、魔道師は口を閉ざす。
 それだけではないのだと、何となくリサにも理解できた。口に出してしまうのは拙い何かなのだろう。
「それを言うのなら、翔さん――月影さんも同じなのではなくて?」
「彼は――危険すぎますのでね」
 口許だけで魔道師は嗤う。本当に、厭な感じの男だ。
「気の毒だが、少し、痛い目を見てもらうことになります。その点については、彼の口から直接聞いてもらったほうがよろしいでしょう」
「な……」
 湧き上がってきた怒りで、リサは言葉を失う。 
 何を――この男は、翔に何をしようというのか。
「ご心配なく。殺しはしませんよ。わたしは、ね」
「…………………………」
「まあ……今すぐ結論を出すのは無理なようなので――考えておいて下さい。彼の様子など、じっくりと見てね」
 勝手に言いたいだけのことを言って、出て行ってしまう。
 がちゃり――と、鍵のかかる音がすると、リサは憤然と扉に背を向けて座り込む。
「誰が、あんな奴のために!」
 口にして見て、でも――と、あとの呟きが小さく洩れる。
 鬼道丸が翔を殺してしまう。魔道師の言った言葉が気になった。
 ここに入れられる時に引き離された翔。酷いことをされているのではないだろうか。
 ――でも……。
 あんな男を信じていいのだろうか。聖騎士に同士討ちを強いるような男。死体を生ける死者にして使役するような男。邪魔者は排除と、あっさり言ってのけるような男。
 憎悪は理解できる。殺意にいたる憎悪さえ。しかし、ああいう男はリサの理解の範疇(はんちゅう)にはない。
 ――どうすれば……。
 どうすれば良いのか。
 ――誰か教えて! お父様。お母様。……翔さん!
 答えを与えてくれる人も、大丈夫だよと微笑ってくれる人も、ここにはいない。
 自分で考えて結論を出すしかない。
 ――そんなこと……。
 両手で顔を覆って、リサはその場にうずくまった。
 

 蒼穹を切り取って、その塔は玄く不吉にそびえていた。
 近づいてみると、それが影の色ではなく、黒ずんだ石材の色であると知れる。不吉な印象は、その形状によるものか。出入り口意外は明り取りと見える上層の一列を残し、窓の尽くが潰されていた。
 リサと引き離され、翔が連れて行かれたのは、都の中央から東北に当る、その、まだ充分に原型を留めた塔だった。
 その内部には、上部に向けて螺旋(らせん)の階段だけが設けられ、壁には無数の鉄環が打ちつけられていて、その幾つかからは赤錆てまだ原型をとどめた鉄鎖と枷が下がっている。枷の高さは、人が両手を伸ばして背伸びをしたのとほぼ同じ。となれば――
 異端審問(いたんしんもん)――数百年前、古き神を崇(あが)め、その復活を望んだものに、神と聖都の名の下に行われた大弾圧を翔は知らぬ。しかし、塔の有様を見れば、ここで何が行われたかを想像するのはさほど困難ではなかった。
 鎖につながれた囚人は、長く爪先立ちか宙吊りの苦痛を強いられることになる。獄舎そのものが拷問の場――思って見れば、黒ずんだ壁になお黒く人の形を思わせて浮き上がるのは、血か脂か。神聖な祈りの場とされた都にこうした場所が残されていること事態、人の心の暗黒面をより深く意識させる。
 その一階、さらに暗鬱(あんうつ)な景色を残す、何のために使われたかが明確な場所。
「どうする――とは、訊かぬのか」
 嘲りを含んだ鬼道丸の言葉に、
「察しはついている」
 表情を消して翔は答える。
「潔(いさぎよ)いことだ。が、名にしおう鬼咒の責め。その身にうけて、いつまでもそのような涼しげな顔をしていられることか」
 目顔で示され、骸骨のように痩せた下忍が、得々として説明を始める。
 忍びの世界には、捕らえた相手の自白を強いるために考案された、さまざまの拷問法が伝えられている。
「途中で狂うことが出来れば、いっそ幸い――」
 言いながら、鬼道丸は義手に付けられた鉄の爪を、翔の喉もとに這わせる。
「もっとも、そうたやすく狂わせはせぬがな」
 冷たい鉄の爪が、じわじわと気道を圧迫するように締め付けた。
「妙な気は起こさぬことだ。……あの、小娘の身が大事なら」
 とは、苦痛に耐えかねて自害することを封じようとするものか。
「あの娘に手を出すな!」
「そのような口が利けた身柄か!」
 喉を絞める手に力がこもる。
 窒息寸前で突き放され、よろめいたところを二度、三度と打ち据えられる。
 意識を失いかけたところで着衣を剥がれ、身につけた忍び道具の尽くを取り上げられた上で、改めて縄を打たれた。
 柱に縛り付けられ、減らず口が利けぬように――残忍な喜悦を含んだ(笑)とともに、弓の折れを喉の窪(くぼ)みに突き入れられる。ぎりぎりと息が止まる寸前まで抉り上げ、呼吸を求めて喘ぐところに、びしりと容赦のない殴打が走る。そうして血を吐くまで喉を責められた。
 喉笛を潰されることこそなかったが、喉は人体の急所の一つ。その時点で翔は意識を失っている。
 冷水を浴びせられて意識を取り戻すと、今度は宙から吊った横木に両腕を縛り付けられ、気を失うまで笞打たれた。
 水を張った桶に顔を付けられ、覚醒を強いられる。
 気絶させるな。鬼道丸の叱咤が飛んだ。
 後ろ手にした、その両腕をこよりで巻き上げられ、さらに縄がかけられる。きりきりと音を立てて縄が巻き上げられ――吊り責めにかけられ、意識を手放すことさえできぬ苦痛に喘がされた。縄が体に食い込み、腕が、体中の骨がきしみ、悲鳴を上げる。そのまま放置されれば上体は蒼白となり、爪先から血が滴り落ちる。
 それでも、時折ふっと意識が濁る。そのたびに肋に折れ弓の先を突き入れられ、受けた傷の上を笞で打たれて、正気に引き戻された。
「この右腕、まだ役立たずと見える」
 右腕に残る火傷の痕ににた白い引き攣れ。折れ弓で触れて、鬼道丸は愉しげに嘲笑う。焼け爛(ただ)れた半顔が歪み、凄まじい笑い顔になった。
「よかろう。いま少し、その胴に繋いでおいてくれよう」
 肋骨の間に弓の尖端を突き入れ、抉るように動かす。
 耐え切れず、唇から苦痛の呻きが洩れた。
 魔道師の訪れを知ったのは、ようやく石床に下ろされ、横たえられたまま、苦痛に浅い呼吸を繰り返す最中だった。
「可哀想に君も……。結局は、死者の意思に縛られて」
 耳元に囁くように言う声に、微かに優越の響きがあった。
 苦痛に耐えてうすく開いた目に、近々と寄せられた魔道師の顔が映った。
 蒼白な顔。長く伸ばした、老人の白髪にもにた白い髪。頭巾の影から見える双の眸は、わずかに翡翠(ひすい)のかげりを帯びた鈍い銀。
 ――この……男。
 おそらくは樹の――
 直感に口を開きかけ、翔は激しく咳き込んだ。破られた喉に激痛が走り、点々と床に紅の花弁が散る。
「――影にあって神器を守れとの、威吹五百年の。鬼を滅せよとの一族の。そして、仇を――との、妹の」
「お前は――」
 言いかけて、翔は肩で大きく息を吐(つ)く。
 言葉を発しようとする度、咽喉が激しく痛む。口腔に血が溢れる。
「わたしは、死者の意志になど、縛られてはいませんよ」
 意味を曲解したのだろう。朱い唇に浮かぶ嘲りの笑み。
 口を利けぬ――言葉を伝えられぬのがもどかしい。
 ――いや。
 話せたところで、おそらく意味は伝わるまい。
 同じ言葉を話しても、例え千語、万語を尽くしても、これは言葉の通じぬ相手だ。
 ならば、訊くべきことはただ一つしかない。
「何、を……企んで…いる?」
 呼吸の合間、かろうじて言葉を絞り出す。
「訊いて、どうしようというのです?」
 甘い嘲りを込め、魔道師は鬱血(うっけつ)の赤黒い痣を浮き上がらせた翔の喉に触れる。
 爬虫(はちゅう)を思わせる冷たい手に、ゆるりと愛撫するように力がこもる。
 気道が圧迫される。
 呼吸が――
 青白い手が離れた刹那、翔は再度激しく咳き込んでいる。
 喉に再び激痛が走り、血塊がこみ上げる。
 吐血に苦しむ翔を眺め、
「随分と痛めつけられたようですねぇ」
 残忍な喜悦を含んで魔道師が言う。
「いいでしょう。教えてあげましょう」
 頤(おとがい)を、喉を、首筋を、笞の痕を刻まれた胸を、冷たいげが這い回る。
 爬虫類か蠍(さそり)に這い回られるような――
 酷く――不快だ。
「失った者を取り戻したいとは思いませんか。愛しい死者を、もう一度その腕に抱きたいとは――」
 ――では。
 この男の望むものとは――、
 反魂――か。
 完全なる死者の復活。この大陸では一度も成功したことがないという。
 ならば、誰を。
 死者のそれを思わせる、うつろな翡翠色の双眸。
 何かに望みを抱くもののそれではない。むしろ――
「不老。不死。死者の完全なる復活。魔法を行うものの夢ですよ。そうして哀れなエーリックの――初恋の少女の死が許せない老人の望み。だが、今のこの大陸では叶わない。魔術に架せられた制約により。ですから――」
 四大が必要なのです。それだけが生き物のような朱唇が笑む。
「知っていますか? この聖都には――」
 古き神の骸(むくろ)が封じられている。
 望みという名の人の欲望によってゆがめられた神。
 代償を望まず、際限なく人の望みをかなえる神。
 いや。おそらく代償は――
 愚かな――口許と視線だけで翔は嗤った。
「そうですか」
 翡翠の眸が、死者を思わせる白い顔が、憎悪に歪んだ。
「これを聞いても、果たしてそんな顔がしていられるものか。折角逃したあの少年」
 死にましたよ。耳朶に吹き込まれる悪意の刃。
 まさか――驚愕に目を瞠(みは)るのに、
「泉水に飛び込んで、そのまま浮き上がらなかったそうです」
 そうかと口中に呟き、翔は目を閉ざす。
 水は風太を害することはない。ならば、無事逃れたということだった。
「辛いですか? 悲しいですか? 失う悲しみが、どれほどのものか。求めて、焦がれて、得られない苦しみに比べたら――」
 言い募る声の煩わしさに顔を背ける。
 この男、わざわざ、こんなことを言いに来たのか。
「そう……。忘れるところでした。いただくものがあるのですよ」
 言って魔道師は、翔の髪に指を絡ませる。
 短いのは惜しいですね――囁いて、ひと房切り取った。
「男性とはいえ、見事な黒髪だ。扶桑の人は本来、髪を長く伸ばしているものでしょう。……彼女の髪も、美しかった」
 では、やはり――。
 樹が会ったという男。
 近づいたのは、華焔の所在を知るためか。
 確信が持てなかったのは、樹の語った男と、余りに印象が違ったためだ。こうまで不快な――壊れた印象の男なら、あの妹が近づくはずもない。
「話していたんですねぇ、大事な兄上には。そう。華焔の所在を求めて渡った地で。あれは偶然だった。開放して上げられなかったのが、今でも残念ですが。因習の濃い里から。そうして、実の兄に対する邪恋から」
 笑みの形に歪む口許。
 銀と翡翠の混じり合った眸に揺らめくのは、紛れもない嫉妬の色。
 では、樹の想いを邪恋と断じたのこの男か。
 鬼咒を、そして、エーリックとかいう老人を操ったのも――
 双眸に宿った怒りに気付いたのだろう、
「なるほど、忍者というものは油断できない。それほど弱りきったように見せても、まだ体力を温存している。だが、その眸の光は隠せない」
 手をかざし、魔道師は呪文を唱える。
 刹那、翔は身をのけ反らせた。
 意識を失うことも出来ない激痛。
 心臓を鷲掴みにされ、絞り上げられる苦痛に声も出せない。
 つう……と、胸もとを手が這い回り、取り出された刃物が小さく傷を刻む。
「華焔とのつながりが強すぎるのでね。こうするしかないのですよ」
 血と髪と。その人間の体の一部を使うのは魔術の基礎と。
「ああ、もう一つ。あの娘さんの説得もお願いしましょうか。あの可愛い人に、こんな思いはさせたくないでしょう? ああ、そう……」
 呟きとともに、喉に手がかけられる。
「口ぐらい、利けるようにしておいて上げましょうか」
 いつしか耳に馴染んだ治癒の呪文。
 その響きが、奇妙なまでに禍々しい。
 まるで呪詛のようだ。
 喉にかかる手に力が込められる。ことさら強く、絞めつけるように。
 呼吸だけで、翔は喘ぐ。
 傷の癒える感覚はなく、ただ、裂かれ、幾たびも痛めつけられた箇所に苦痛ばかりを感じる。
 視界が闇の色に覆われる。
 その中に――
 妬心ばかりではないらしい憎悪に歪む顔を、奇妙なものと印象に残しつつ――
 翔はゆっくりと堕ちていった。