「さて、皆さん。覚えてるかしら? 星石を集めたものは、一つ願い事が叶うんだけど?」
ヴァルファの管理者ことジェイが言ったのは、なんとか泣きやんだリサが顔を拭いて、「特別よ」と泣き腫らした目に治癒の魔法をかけてもらったあとだった。
「おじさん、特別ばっかり言ってない?」
「そうよ。だって、特別ってのは大好きな相手に使うものでしょ」
言われた風太は、いたく納得したようだった。
「冗談でしょう?」
星石が本当に願いをかなえるなんてと、声を上げたリサに、
「冗談じゃなくてよ。星石を前にしてお願いごとを唱えるワケ。お金持ちになりたいとか、病気を治してくださいとかね。そうすると、運気がそっちの方へ向くワケ」
岩石を刻んだようないかつい顔が、にっこりと笑んだ。
「じゃあ、死んだ人を生き返らせたりとかは、駄目なんですの?」
一瞬思ったのは、あの仏頂面の過保護なお父さん、元聖騎士のスランだった。
もし、一つだけ願いが叶うなら――
「リサちゃん」
いさめる口調で言って、翔がかぶりをふる。
「そうね。それだけはできない――しちゃいけないコトなの」
「ああ……そう。そうですわよね」
それでは、あの元神官の老人や、最後まで名前のわからなかった魔道師と同じことになる。それに、それぞれの生を完結させたものを、無理に現世に呼び戻すのは非礼なことだろう。志半ばに倒れたものについては――呼び戻しては、かえって、すごく厄介なことになりそうな気がした。
「だったら、ありませんわ」
「いいの?」
「いいんです。今は……帰って、お父様とお母様に逢いたいだけ」
「あ。おいら、なんかお願い事しちゃったみたい」
風太が言う。
「何て?」
「早く大きくなって、強くなって、月影さんの助けになりたいって」
「風太……」
三つくらい声が重なって、破顔した翔が風太の髪をくしゃくしゃにかき回した。
「ちょ……ちょっと、やめてよ!」
「期待してるからな。せいぜい修行に励んでくれ」
微笑ましいわねと、ジェイが顔を緩める。
「愛されてるわねぇ、月影さん」
喜んでいいものか――と、ちょっと憮然とした顔を見せて、すぐに青年は快活な笑い声を立てる。
「そういうお願いなら、僕もしちゃったような気がします」
クリスが気弱げな微笑を見せる。
「何て?」
「素の僕で、もう少し皆と親しくなって、もうちょっと旅がしたかったなって」
「それなら、わたくしだって、皆であの道を帰りたいって」
「わたしもだ」
「妾もじゃ。無事に帰って、吾子たちの顔が見たいと」
顔を見合わせて、皆で笑い出す。
皆、欲がないわねぇとジェイが呆れた顔で言って、それから一際高い声で笑いに加わった。
「帰れるよね、これで」
風太の言葉に、
「元の暮らしに戻るわけじゃな」
曄姫が少し名残惜しげな表情を見せる。
「僕はどうしようかなぁ。このまま翔たちに付いていっちゃ、迷惑ですか?」
「迷惑じゃないが……扶桑まで付いて来る気か?」
「あ、そうか!」
「兄ちゃん、お間抜け」
「ほんに、最後の最後までなぁ」
「曄姫さぁん~」
「ほら、これじゃ」
ちらり――横目で若者を睨んで肩をすくめる曄姫に、リサは笑い出す。相変わらずの遣り取り。抗して交わせることが、こんなに嬉しい。
そうして――
「あ……。翔さんと風太ちゃんは……」
「帰って、里を立て直す」
「弧月の爺ちゃんと篝(かがり)姉ちゃん、首を長―くして待ってるもんね。あと、薄氷(うすらい)さんと、野火さんと――」
「伶月と木霊も戻ってきたそうだ。あとでリシルに連絡があった」
「やったぁ!」
風太が歓声を上げる。
今にも扶桑に飛んで帰りそうな勢いに、
「家までは……送っていって下さいますわよね」
慌てて言うと、当然だろうと笑われた。
「約束しただろ? 皆で、あの道を帰ろうと」
「そうでしたわね」
ちょっと顔を赤らめて、リサは翔を見る。
最後まで妹のようにしか見てもらえなかったようだけれど――
もうじきお別れだけれど、
また、同じ道を皆で帰れる。それが何より嬉しかった。
これで、もう一人さえ一緒だったら――
「泣くなと言ったはずじゃぞ」
いきなり後ろから声がして、驚いた。
振り返ると、灰色の髪の仏頂面の過保護なお父さん。
「泣くなと言ったはずじゃ。主にも小僧にもな。あの若いのにも嘆くなと。そう言ったというに、そろいもそろって――」
「だって、そんなの無茶苦茶ですわ。おじさまの身勝手ですわ。本当に悲しかったのですもの。それに、悲しかったり辛かったりするのを堪えるのは、健康に良くないんですのよ。旅立つ前に父がそう言っていました」
リサの糾弾(きゅうだん)に、元聖騎士は困りきった顔をする。
「だいたい、スランのおじさまは、いつも勝手なんです。今回だって今頃になって、そんなことを仰るなんて! 一体今までどこにいらしたのです?」
「どこにも行きはせん。ここにおった」
元聖騎士は、リサの胸の辺りを指す。
「これからも、そこにおる。ずっと、ずっとな」
言う声が、少しづつ遠ざかる。
姿が薄れる。
おじさま――呼ぶ声に、遠く答えが帰る。
「忘れるな。儂はそこにおる。この先も、ずっと」
目を開けると、顔が涙で濡れていた。
帰りの旅の初日。小さな町の小さな宿。うすい若葉色のカーテンを透かして、早朝の光が射し込んでいる。
会いに来てくれたのか――
それとも、星石が願いを聴いてくれたのだろうか。
望んだことは、皆が一緒に――だったから。
それでもまた、きちんとお別れが言えなかったなと、それが少し残念だった。
――相変わらず勝手なおじさま。
自分の言いたいことだけ言って、さっさと帰ってしまうなんて。それに、逢いに行くなら翔の方へ――だろうに。
思ったら、翔の顔が見たくなった。
珍しく疲れた顔で、食事もそこそこに部屋に引き上げてしまった青年の。
足音を忍ばせて廊下へ出る。多分、曄姫は全部承知で、眠ったふりをしていてくれるのだろうけれど。
突き当たりの、大きく切り取られた窓の前、ほの白い朝の陽を浴びて、床に淡く影を落として、翔は一人佇んでいた。
この人も――何となくそう思った。
歩み寄って、夢を見ましたというと、青年は無言のまま頷いた。
名残を惜しみながらの旅は、呆気ないほど早く終ってしまった。
途中、《地》と《水》の星石と、風太の青を預かって、ジェイはヴァルファへ帰っていった。こちらの竜は扶桑では目立ちすぎるから、二、三年して変身できるようになったら風太に返しに行くのだそうだ。それまでに《地》と《水》の星石も、それぞれの使い手に相応しい形にしておくと、変わり者の魔法使いは張り切っていた。
帰宅したニーサでは、リサの家族は全員無事で、父は神殿の建て直しのため、もっぱらそっちへ詰めている。
「お帰り、翔くん!」
息子にでもするように抱きしめられて、翔はかなり当惑したようだった。それでも、
「ありがとうございます」
丁寧な口調で礼を言っていた。
曄姫の義子たちが義母を訪ねてニーサの屋敷に来ていて、その少年の方が風太と気が合った様子。そのためもあってか、翔と風太は《奎》に行く船が出るまでの一冬を、サールインの曄姫の屋敷で過ごすことに話がきまったようだ。リサも姉姫の方と話が合って、冬の間に屋敷を訪ねる約束をした。
クリスもしばらく曄姫の厄介になりながら、今後の身の振り方を考えるそうだ。
そうして、旅立ちの前日になった。
家で話し込んでいて、すっかり遅くなってしまって――リサは少しわがままを言って、翔に神殿まで送ってもらうことにした。
あの日は背中に掴まって疾走した道を、今度は空木の鞍の前輪に乗って、特に話をすることもなく、のんびり歩いて森に入った。
緑一色だった森は、紅葉の季節を終えて、常緑樹の中、あちこちに鋭い枝を伸ばした裸木を交えている。
「お国へ帰られたら、翔さんではなくて、月影さんに戻ってしまわれるんですね」
言うと、翔は少し笑って、あれを――と天空にかかった月を指さした。
「国によって呼び方が違う。夜毎に姿も変わる。それでも、月は月だろう? わたしも――姿や名前は変わっても、わたしであることに変わりはない」
「はい……」
答えながら、ちょっとうつむく。
どうしても言っておきたいことがあった。
二人きりでないと、絶対に言えないことだった。
「今じゃないと、きちんとお別れが言えないと思って」
空木の白い鬣を眺めながら言う。
言いながら、ドキドキする。
「いろいろと……ありがとう。わたくし、一生忘れません。だから……翔さんも、忘れないで下さい。それから」
ちょっと言葉を切り、振り返って翔の顔を見る。
息を吸い込んで、思い切って口にする。
「気が付いていらっしゃらないと嫌なので、申し上げておきます。わたくし、翔さんのことが、男性として好きでした」
伸び上がって両肩に手をかけ、かすめるように口づけをする。
そのまま馬を飛び降りて、神殿へ向かって走り出す。
今さらのように、顔が真っ赤になる。心臓がばくばくいっている。
だけど――
我ながら大胆だとは思ったけど――いいじゃない、お別れなんだから。
一瞬の、触れるか触れぬかの口づけ。
蝶の羽根がふれたような――
それとも、風に流れた花びらが掠め去ったかのような、少女の唇。
後を追おうとして空木を飛び降り、
当惑をおぼえて、翔はそのまま佇ちつくす。
決して不快なものではなかった。
それどころか――
――あの娘(こ)は……。
極自然に笑みが浮かぶ。
まさか、こんな形で鮮やかに告白されるとは、思いもしなかった。
――とんでもないお嬢さんだ。
それにしても――
「リサも存外やるのぉ」
振り向くと月牙の鞍上、義理の娘の肩を抱いて、曄姫がにやりと笑っている。
後をつけてきたらしい。西の貴婦人らしい身なりに変えても、曄姫はあくまでも曄姫である。
「まさか、口づけも知らぬわけではあるまい? 想い合う男女が交わすものじゃ」
「そうじゃないんだが――」
言いかけて苦笑する。
「ああ。さようであったな」
言って、奎国の公主も苦笑する。
「なんですの、お母様?」
「あのな――」
耳元で囁かれて、年若い姫は真っ赤になっていた。
扶桑で、そして奎では口づけは閨(ねや)の技の一つである。
大陸の西では、ごく軽い愛情表現。知識として了解はしても、やはり虚をつかれる。
「――にしても、存外初心(うぶ)じゃの。もっとも、今のが初めてではないが」
「曄姫殿?」
「気を失うておった其方に、口移しで薬を飲ませたのはリサじゃ」
「…………………………」
初耳だった。というよりは、よくまあ今まで、この女性が黙っていたもの。
「さ……て、どういたす?」
興がっている風の曄姫に、翔はちょっと肩を揺らして笑う。
「何じゃ?」
「いや……。あの娘(こ)は気付いているのかと思ってね。わたしの命と、この世界とを引き換えにしようとしたことに」
「気付いておっても後悔はせぬ。世界なぞよりは想う男が大事。それが女子じゃ」
「………………」
「冥利であろうが? そこまで想われれば」
ちょっとからかうような口調。
「女子は変わるぞ。子供だと思うておったものが、須臾の間で一人前の女子になっておる。まして、二年もたてば――」
頷いて、翔は指先で唇に触れる。
幼い口づけ。少女の想いそのままの、ごく淡く、かすめるような。
蝶の羽根か、花びらがふれたような――決して不快ではない。
それどころか――
――拙いな。
一人前の女性になったリサを見てみたいと、ふと思ってしまった。
「空木。ここに居ろよ。いいな」
葦毛に言い聞かせ、くるりと背を向ける。向かうのは、リサが走り去った方向――
くすくすと、少女の笑う声が聞こえる。
「これ、嬌姫(ひめ)。いかがいたした?」
「なんだか素敵……」
「嬌姫。そなたは真似るでないぞ」
「あら、お母様」
くすくすと、笑い声が追ってくる。
神殿への道を辿りながら、リサは梢を見上げている。
確か、始まったのはここからだった。
恋とはどんなものかしら、きっと素敵なものでしょう
ライラがよく歌っていた歌を口ずさむ。
好きになったら、好きというだけ
振られたら、泣くだけの話
いいよと言ってくれたら、キスするだけ
リサのは、少し反則技だったけれど。
「いいよと言ってくれたら、何だって?」
声に驚いて振り返ると、木陰に翔が立っていた。
やっぱり妹のいたずらを叱る、兄のような目で。
「まったく、とんでもないお嬢さんだ。大人をからかうものじゃない」
しゅん――と下を向いてしまったリサの頬に手を添えて、顔を上げさせる。
からかってなんかいません。真剣なんです。言いたいけれど、恥ずかしくて――猛烈に恥ずかしくて、つい、目を伏せてしまう。
「おまけに……返事も聞かずに逃げ出すものじゃない」
「だってぇ……」
告白したって、絶対に振られると思ったし、
ひょっとして、怒ってるかなぁなんて思うし、
まさか、追いかけてきてくれるなんて思わなくて……。
「ご………!」
御免なさいといいかけたリサの唇を、翔のそれが軽くふさぐ。
それはごく軽い、兄が妹にするような口づけだったけれど、
〈妹とは思ってはいないから〉
――え?
耳ではなく、直接頭の中に響いた言葉に、目を瞠る。
「翔さん……?」
「見に来るんだろう? 木と紙だけで出来た家」
いつもの笑顔とお兄さん口調で、翔は言う。
「憶えていらしたの?」
「見においで、本当に。今は帰って里を立て直さなければいけない――多分、わたしは扶桑を離れることは出来なくなるだろうけれど。二、三年たって落ち着いたら。他にも色々見せてあげるから」
「本当に?」
「本当に」
――それじゃあ……。
少しは異性として、好意を持って見ていてくれたんだ。リサは少し嬉しくなる。
いまはまだ、そういう対象ではないのだろうけれど、
翔は、遠い国へ帰ってしまうけれど、
今度はリサが、逢いにゆけばいいだけなのだ。
頑張って、努力して、翔に吊り合う女性になって。
そういうことなんだ。
不意に、羽ばたきの音が聞こえて、蘇えった記憶に、リサは小さく悲鳴を上げる。
暗い夜空。見上げて翔は指笛を鳴らす。
応えて、かざした籠手に舞い降りたのは、ふわりとした羽毛の野生の梟だった。
目の前に差し出されたそれに、そっと触れて、リサは微笑む。
もしかすると、ここからまた、何かが始まるのかもしれない。
了
