過去記事でも触れましたが、旧統一教会の人達が正しいロジカルシンキングができていないと思う理由を具体例を挙げて説明させていただきます。

 

ロジカルシンキングの柱となるのは演繹法、帰納法、弁証法です。まずは演繹法の視点から説明していきます。

 

演繹法の一番単純な形が三段論法です。

A = B (大前提)

B = C (小前提)

ならば

A = C

である。

 

という論法です。

【三段論法の書き方と例文】説得力が高まる文章術をわかりやすく解説 | 桜御前の執筆日記

 

 

数学の証明問題を解くときにも「三段論法」が用いられます。中学の数学では、2つの図形が合同であることや、相似であることを証明します。例えば、三角形が合同であるための条件として「3辺の長さがそれぞれ等しい三角形は合同である」と習います。証明問題を解くときには、「問題にある2つの三角形の3辺の長さがそれぞれ同じであること」「3辺の長さがそれぞれ等しい三角形は合同であること」を書き、最後に結論として「2つの三角形は合同である」と書きます。

 

元信者の方も分かっていないようですがね。この方も三段論法が身についていたらカルトに騙されなかったかもしれません。

ちなみに彼は僕に指摘されて記事を訂正していますね。

「三段論法」を「三段オチ」に訂正しとるwww

なんや、「三段オチ」ってwww

 

なので、三段論法で結論を導くためには大前提が正しいこと、小前提が正しいことを証明しなくてはなりません。逆にそれが証明出来たのならもう結論は導かれています。

 

 

旧統一教会の事例で言えば大前提が「既存のキリスト教の教え(聖書)」、小前提が「この教団独自の教え(原理講論)、導かれる結論は文鮮明は人類を救う再臨のメシアということになるでしょう。

 

だから、旧統一教会の教えを信じる為にはまず、「既存のキリスト教の教え」が正しいものであることを証明、若しくは証明とまではいかなくても信憑性が高いことを説明する必要があります。

 

しかし、旧統一教会はそれらが出来ていません。それどころか聖書は誤謬を多く含む書物だと言います。誤謬も含まれているというのであればなおさら、誤謬の部分と歴史的事実の部分を見極める根拠の提示が必要になりますが旧統一教会はそれを示していません。

 

科学的でないかどうかを誤謬の目安にしている節は見られますが、例えば「マリアの処女懐妊はあり得ない」と言っておきながら神様による「アダムとイブとの創造」は認めています。また、イエス様の奇跡は認めています。私の感覚で言えば「マリアの処女懐妊はあり得ない」のであれば「アダムとイブとの創造」はもっとあり得ません。パスカルも私と同じことを言っています。

 

話を戻しますと、私は原研在籍時にそもそも大前提である「既存のキリスト教の教え(聖書)」に信憑性が感じられませんでした。そして聖書をベースとしている旧統一教会の教えはなおさら信じることができませんでした。このことは実は信者の人達も本当は分かっていたのではないかと考えています。だからこの教団を離教した人は「そもそも聖書の話は神話である」と言い出すのです。

 

この点、同じ異端であっても「エホバの証人」は聖書の正しさを立証する努力をしています。聖書預言の成就について説明しているからです。聖書の記述が信頼できるものであるということを証明する為に聖書預言の成就を説明することは必須であると思うのですが、旧統一教会はそれを怠っています。怠っているというよりも彼らには聖書預言についてあまり触れたくないのだと私は考えています。聖書預言についての知識を得ると、教義との矛盾に気付かれるからです。(預言の二面性の間違いや文鮮明が再臨のメシアということを否定する預言を知られてしまうから)

 

教団独自の教え(原理講論)でさえ多くの誤りを含んでいます。その点を突っ込むと「離教した人がサタンに讒訴されない為に誤りを含んでいるのだ」とうそぶきます。

 

また、演繹法(三段論法)が成立する条件として前提条件同士が矛盾しないことが必要なのですが、聖書の内容と統一教会の教えは矛盾だらけです。

 

彼等に矛盾点を突き詰めてもどこ吹く風で聞き流せるのは、前提条件が矛盾しないことが演繹法の成立条件であることが分かってないからではと思う次第であります。