コンスタンティヌス帝が自ら議長となって325年に開催された「第1ニカイア公会議」は、キリスト教における最初の全教会規模の会議で、最初の正統教義を決定した重要な公会議でした。

この公会議の議論のメインは「イエス・キリストの神性」でした。つまり、イエスは神か、神ではなく神の創造物(人間)であるかが大きく争われました。

 

この答えに関して、「イエスは神そのものではなく、父なる神に従属する」と主張し、神性はないと考えた「アリウス派」と、「イエスは子であるが、父と同じ神である」と主張し、神性があると考えた「アタナシウス派」に二分されました。

 

第1ニカイア公会議には318人もの司教たちが集まり、1ヶ月にも及ぶ議論の末、2名を除いたほぼ全員の意見が一致し、325年6月19日にイエス・キリストの神性を認める「ニカイア信条」が承認されました。アタナシウス派が正統とされたことから、アリウス派は異端であるとされ、コンスタンティヌス帝はアリウスらをローマから追放します。次に行われた2回目の公会議(コンスタンティノポリス公会議)でも異端と認定されてしまいます。

 

アリウス派主義は、4世紀初めごろの教師の名(アリウス)から来ています。初代クリスチャンたちの間で、最も初めの、そして最も重要な議論の項目のひとつはキリストの神性の問題でした。イエスは本当に人となった神だったのか、それとも創造された存在だったのか。イエスは神か、または単に神のようだったのか。アリウスは、イエスは 、神が他の創造のわざをする前に、神によって創造された、すべての創造のうちの無上の栄光だったと信じました。

アリウス主義は、イエスが疲れたこと(ヨハネ4:6)や、再臨(空中再臨)のときを知らないこと(マタイ24:36)などについて書かれたところを誤解しています。神がどうして疲れることができるのか、神が知らないことがあるのかなどは理解しにくいことですが、イエスを創造された者にしてしまうのが答えではありません。イエスは完全に神ですが、また完全に100%人間でもありました(※このような考えを両性説と言います)

 

故に、イエスの人間としての限界はイエスの神性、永遠性に何の影響もないと考えることは妥当です。

二番目のアリウス主義の誤解は、”長子”、”先に生まれたかた”ということば(ローマ8:29;コロサイ1: 15-20)の意味です。アリウスは、これらの節の”先に生まれたかた”を。イエスは”生まれた”または、”一番最初の創造のわざで造られた者”という意味に取りました。実は、そういう意味ではないのです。イエスご自身が、自分の自存性と永遠性を宣言されました。(ヨハネ8:58;10:30)ヨハネ1:1-2は、イエスは「初めに神と共にあった」と教えています。聖書の時代には、 一家の長子は偉大な栄誉を与えられていました。(創世記49:3;出エジプト11:5;34:19;民数記3:40;詩篇89:27;エレミヤ31:9)イエスが神の長子だというのは、この意味なのです。イエスは神の家族の卓越したメンバーだということです。イエスは油注がれた方、”不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君”(イザヤ9:6)なのです。

初代教会のさまざまな会議で一世紀近く議論された後、キリスト教会は、正式に、アリウス派の教義は偽りだと告発しました。それ以来、アリウス主義は、キリスト教信仰の教義としては一度も容認されてはいません。しかしながら、アリウス主義は廃れてはいません。アリウス主義は、数世紀を通してさまざまなかたちで、続いて来ました。今日のエホバの証人やモルモン教 は、キリストの性質に関してアリウス主義に非常に似た立場を取っています。初代教会がしたのと同様に、私たちも私たちの主であり、救い主であるイエス.キリストの神性に対するどんな攻撃に対しても、断固として反対しなくてはなりません。

 

キリスト神性の根拠