「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」とは十字架上でイエスが叫ばれた言葉です。

 

そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マタイ27:46)

 

この言葉を発した後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く」(ヨハネ19:28)と言われました。そして、ローマ兵が酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプにつけて、それをイエスの口もとに差し出すと、イエスはその酸いぶどう酒を受けられ、「完了した」(ヨハネ19:30)と言われ、最後に「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」(ルカ23:46)と言って、息を引き取られたのです。

 

「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」というイエスが叫ばれた言葉は詩篇22編から引用したもので「神への嘆き」であると同時に、「神に対する讃美」と言われています。当時の慣習からすると、「冒頭の句の引用」=「詩篇22全体の引用」と同じことらしいです。

 

詳しい内容はこちらのサイト、動画をご視聴してください。

 

 

このことは多くのクリスチャンが知っていることですが、その背景を知らない人がこの聖書箇所を読むと「キリストが神ならば、どうしてこのように叫ばなければならなかったのか。」という疑問を投げかけられます。そんなこと最初からわかっていたはずではないか、それなのにこのように叫んだということは、キリストがただの人間だったということ示しているのではないか、というのです。ちなみに旧統一教会では「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」という言葉をイエスが最初から十字架に掛かる予定ではなかったという理由の一つに挙げています。


詩篇22編はダビデが神を賛歌したものと言われていますが、ダビデが自分の人生において、神に見捨てられたのではないかと思えるような状況の中で歌った詩なのです。

 

少し長いですが22編全体を書き記します。

 

1 わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。
2 わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。
3 しかしイスラエルのさんびの上に座しておられるあなたは聖なるおかたです。
4 われらの先祖たちはあなたに信頼しました。彼らが信頼したので、あなたは彼らを助けられました。
5 彼らはあなたに呼ばわって救われ、あなたに信頼して恥をうけなかったのです。
6 しかし、わたしは虫であって、人ではない。人にそしられ、民に侮られる。
7 すべてわたしを見る者は、わたしをあざ笑い、くちびるを突き出し、かしらを振り動かして言う、
8 「彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ。主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ」と。
9 しかし、あなたはわたしを生れさせ、母のふところにわたしを安らかに守られた方です。
10 わたしは生れた時から、あなたにゆだねられました。母の胎を出てからこのかた、あなたはわたしの神でいらせられました。
11 わたしを遠く離れないでください。悩みが近づき、助ける者がないのです。
12 多くの雄牛はわたしを取り巻き、バシャンの強い雄牛はわたしを囲み、
13 かき裂き、ほえたけるししのように、わたしにむかって口を開く。
14 わたしは水のように注ぎ出され、わたしの骨はことごとくはずれ、わたしの心臓は、ろうのように、胸のうちで溶けた。
15 わたしの力は陶器の破片のようにかわき、わたしの舌はあごにつく。あなたはわたしを死のちりに伏させられる。
16 まことに、犬はわたしをめぐり、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いた。
17 わたしは自分の骨をことごとく数えることができる。彼らは目をとめて、わたしを見る。
18 彼らは互にわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引にする。
19 しかし主よ、遠く離れないでください。わが力よ、速く来てわたしをお助けください。
20 わたしの魂をつるぎから、わたしのいのちを犬の力から助け出してください。
21 わたしをししの口から、苦しむわが魂を野牛の角から救い出してください。
22 わたしはあなたのみ名を兄弟たちに告げ、会衆の中であなたをほめたたえるでしょう。
23 主を恐れる者よ、主をほめたたえよ。ヤコブのもろもろのすえよ、主をあがめよ。イスラエルのもろもろのすえよ、主をおじおそれよ。
24 主が苦しむ者の苦しみをかろんじ、いとわれず、またこれにみ顔を隠すことなく、その叫ぶときに聞かれたからである。
25 大いなる会衆の中で、わたしのさんびはあなたから出るのです。わたしは主を恐れる者の前で、わたしの誓いを果します。
26 貧しい者は食べて飽くことができ、主を尋ね求める者は主をほめたたえるでしょう。どうか、あなたがたの心がとこしえに生きるように。
27 地のはての者はみな思い出して、主に帰り、もろもろの国のやからはみな、み前に伏し拝むでしょう。
28 国は主のものであって、主はもろもろの国民を統べ治められます。
29 地の誇り高ぶる者はみな主を拝み、ちりに下る者も、おのれを生きながらえさせえない者も、みなそのみ前にひざまずくでしょう。
30 子々孫々、主に仕え、人々は主のことをきたるべき代まで語り伝え、
31 主がなされたその救を後に生れる民にのべ伝えるでしょう。

 

 

そして詩篇22編はメシア預言でもあります。

「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」とイエスが叫ぶことでその預言が今まさに目の前で成就していることを見守る群衆に訴えかけたのだと、それは一人でも多くの人を救う為の魂の叫びであったと思うと胸が熱くならざるを得ません。この叫びが「使徒の働き」2章、4章で書き記されている3千人、5千人のリバイバルに繋がったのです。

 

いかにイエスが詩篇22編の預言を成就したのかは次の動画をご覧ください。

 

 

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)