教えていただけるのであれば現役さんでも歓迎いたします。
イースターの日は「春分の日以降、最初の満月の日の次に来る日曜日」と定義されています。なので今年は4月9日(日)ということになります。文字通りイエスキリストの復活を祝う祝祭です。
この復活を旧統一教会では「霊的な復活」であり、一般的クリスチャンが認識しているような肉体の復活ではなく、この後も肉体を伴った復活はないと教えていました。ですが聖書には、この復活が肉体を伴ったものだと教えるために、イエス様は弟子のトマスに体を触らせたり、皆の前で魚を食べたりしています。また、イエス様が葬られた墓には遺体を包んでいた亜麻布が残されているだけで遺体そのものは無くなっていました。
これらの矛盾をどう考えられていたのですか?
①肉体を伴った復活などありえない。聖書の記述の方が間違っている。
②聖書にそのような記述があることは知らなかった。
③その時は気にしていなかったけれど言われてみれば確かにおかしいね。
また、自分には旧統一教会の言う「霊的な復活」というのがイマイチよくわかりません。例えば、変貌山で光り輝くイエスとモーセとエリヤが山の上で語り合われるという場面がありますが、ここで現れたモーセとエリヤは霊体ですが、彼らと霊的に復活したイエス様は何が違うのでしょうか?
というのは聖書ではイエス様の復活は「眠った者の初穂として死者の中からよみがえられた」(Iコリント15章20節)と書かれているからです。
初めての死者からの復活なのです。霊的によみがえったというのであればモーセやエリヤのような先達がいることと矛盾するのではないですか?
また、第1テサロニケ4章13-18節には次のように書かれています。
イエス・キリストは死んで葬られ、3日めによみがえられました。そしてイエスは再び来られます!キリストにあって死んだ者はよみがえらされ、主が来られるときに生きている者は変えられ、新しい、栄光のからだを受けるのです
霊的復活なのに「栄光のからだ」を受け取るっておかしいと思いません?
当時信者だった方はこの点ついてどう思っていたのかお聞かせください