チョンに限らず、現役の旧統一教会信者からこのような下方比較発言をよく耳にする。下には下がいる、苦しいのは貴方だけではないとね。ちなみに下方比較発言をする人たちの特徴は次のサイトを参照してください。

 

子供だって馬鹿じゃない、親が必死に頑張った結果、貧乏であるならさほど親を恨んだりはしない。それどころか親に感謝する人だって多いだろう。野口英世とかがそうだ。しかし、統一教会信者の貧困家庭はそうではない。

 

「みんなが持っている」、この言葉に親が弱いのは何故だかわかるだろうか?「みんなはみんな、うちはうち」と言って子供の要求を却下すればいい。なのについつい子供に買い与えてしまう。それはみんなが持っているものを持っていない我が子の切ない気持ちを想像すると親は耐えられないからだ。

 

多額の献金をすれば子供に新しい服を買ってあげられない、塾に行かせてあげられない、大学に行かせてあげられないという状況になることが分かっていながら献金をするということは子どものつらさを想像できず感じ取れていないからか、または献金することによる己の承認欲求(脳内ドーパミンの大量放出の快楽)が満たされる快楽にあがなえないからかのいずれかだと思う。

 

いずれにしてもそのような親は親失格と言わざるを得ない。子供はそのことを本能的に嗅ぎとっている。だからこそ親を恨むのだ。

 

子どもがつらいのは単に貧乏ということだけじゃなく、親が多額の献金を選択してしまうことから感じてしまう親の愛情の欠如だ。

 

旧統一教会では本来なら親になるべき人でない人が親になっている人が多いように思われる。そしてこのことは人格を完成した後、結婚しなければならないという教義にも矛盾しているように思うのだがそう思うのは私だけ?