戦国武将の藤堂高虎が家臣に家訓として残した言葉として
「人を騙してはならない、真(まこと)のとき承諾が得られない」
というものがあります。
 
嘘をつくことは洋の東西を問わず、昔から悪いことであるという認識は我々が持っている普遍的な価値観です。
 
しかるに統一教会では嘘をつくことを推奨してきた過去があります。
正しい動機であれば嘘をついても良いと!
嘘も方便だと!
しかしながら彼らのその主張が空々しく聞こえるのは嘘をつくことの受益者が彼ら自身であるからでしょう。
 
そして、あろうことか嘘をつくことの推奨の事例を聖書に求めています。
いわゆる「ヤコブの知恵」と言われる箇所です。
実は私が原研在学中に「ヤコブの知恵」という言葉を聞いた記憶がありませんが皆さんのブログ内容から推察するとヤコブがイサクを騙して族長の祝福をエサウから奪ったエピソードだと認識しています。
そして、統一教会が「ヤコブの嘘」ではなく「ヤコブの知恵」と呼んでいることからこのエピソードでヤコブがついた嘘を肯定的に解釈していることが分かります。
 
クリスチャンの見解は異なります。
ヤコブがイサクを騙して族長の祝福をエサウから奪ったとにより、後にヤコブ自身が神から罰を受けることになったとクリスチャンは理解しています。
その罰は次のようなものです。
・叔父のラバンに騙され長年にわたり労苦を経験することとなった
・ディナ事件で息子たちに騙された
・ヨセフの事件でも息子たちに騙されることとなった
 
ヤコブがラバンに騙された事例が一番神の罰を感じる事例だと思いますのでその箇所について説明いたします。
 

夕方になって、ラバンはその娘レアをとり、彼女をヤコブのところに行かせたので、ヤコブは彼女のところに入った」(創世記29章23節)

 

①イサクは盲目であった。暗闇の中にいたヤコブも、相手が見えなかった。

②ヤコブは弟を兄だと偽った。ここでは、ラバンが姉を妹だと偽っている。

③イサクはヤコブをエサウだと思った。ヤコブはレアをラケルだと思った。

④ヤコブは兄エサウのように振る舞った。レアは妹ラケルのように振る舞った。

 

自分が嘘をついた時と同じ状況が再現されて今度は自分が騙されていることが分かると

思います。

 

「ヤコブの知恵」という理論を文鮮明氏か幹部連中か誰が言い出したのかは知らんが

聖書を悪用しないで欲しいです!