今日も昨日の沖縄観光の続き。ガンガラーの谷のツアーが終わってからの話を書いていきたい。

 

 ガンガラーの谷のツアーが終わってから、私たちは平和祈念公園へと向かった。実は、19年前にも平和祈念公園を訪れていたそうなのだが、ひめゆりの塔のことははっきりと覚えているのに平和祈念公園のことはあまり覚えていなかったこともあり、今回も訪れることにした。それに、前日の居酒屋海音での島唄が出来た時の話を聞いて、今の私に沖縄戦という惨劇がどのように映るのかを知りたかったし、一緒に来ている夫にとっても初めての平和祈念公園だったので、彼と一緒に考え、共有したかったというのもある。

 

 天気は相変わらずで、遠くから雷の音が聞こえてはいたが、雨だけはギリギリ降らないでいてくれた。お昼近かったこともあり人気はあまりなく、西欧の庭のように左右対称で綺麗に整えられた庭を足早に横断する。まず初めに向かったのは、公園の真正面に位置する平和祈念堂だった。平和祈念堂は塔のような形をしていて、その横には大きな平和の鐘が置いてあった。祈念堂までは幾つもの階段を登る必要があり、階段を登り終えてから振り返ると「平和の礎」が遠くに見える。雨が降りそうだったこともあり、景色を堪能する間もなく、急ぎ祈念堂に足を踏み入れた。

 

 祈念堂には、沖縄に関する絵画、沖縄戦に関する絵画が沢山並べられていた。その一つ一つから、言葉にならぬ声が聞こえてくるようだった。沖縄は太平洋戦争中、唯一国内で陸上戦になった場所であり、多くの一般市民も亡くなった。武器によって亡くなった人もいれば、自ら命を絶った人、飢えて亡くなった人も大勢いたと聞く。それはまさに惨劇であったのだと思う。沖縄戦を生き抜いた人々は、戦後もその記憶に苛まれ苦しみ、必死に忘れようと、決して言葉にしない人も多いのだそうだ。そんな言葉にならぬ声が、そこには絵画として存在していた。一つ一つが重く、受け止め難いものばかりだったが、「19年前に受け止められなかったものを今受け止めるのだ」という想いで懸命に受け止めた。祈念堂には沢山の千羽鶴と巨大な大仏がある。そのどちらにも手を合わせ、平和を願った。

 

 大仏の裏側を下っていくと地下室がある。その地下室は霊石堂となっており、各地、各国から寄贈された「世界平和の願いをこめた石」が並べられている。各地、各国とは本当に幅広く、日本国内の地方から寄せられた石もあれば、アラブや西欧、北米、南米など様々な国から、かなり様々な形、大きさの石が寄せられていた。最初はそのあまりにもバラバラな石たちに、それぞれの「平和」への価値観やイメージが違うからこんなにもバラバラなのか?と、言わば好奇心で見つめていた。私が石を眺めていると、夫がドイツから送られた石を見てぽつりと呟いた。

 

「この石、ベルリンの壁の一部だ。まさに、人々が平和を願った壁だね。」

 

思わずハッとした。それまで、祈念堂で沢山の沖縄戦での想いに触れ、受け止め、大仏に手を合わせて平和を願った直後であったのに、私は各国から寄せられた石を見ながらも、その背景まで考えを巡らせることが出来なかったのだ。夫の一言で、それまで何となく眺めていた石の一つ一つに、その国の歴史や背景、そして平和を願う気持ちが込められているのだと気付かされた。それはあまりに当たり前のことであったのに、私は自ら気づくことが出来なかったのを恥じて、祈念堂を後にした。祈念堂を出ると、目の前には、最初に訪れた時に見た風景が広がっていた。真っ白で巨大な平和の鐘は祈念堂の横でずっしりと構え、鐘はピクリとも動かない。空を見上げるとパラパラと雨が降ってきて、不安そうな雲に覆われた公園を見渡し、生温かくも強い風を受けながら、ゆっくりと進んだ。